”佐藤多一”

豊橋市のイベントなど

初鰹

2009-04-29 14:18:19 | つれづれ草
 “目には青葉山ほととぎす初鰹”山口素堂の句で正しくは「目には青葉山郭公初松魚」と書く。初夏は新芽の若葉が青く目に優しい。薫風が若葉の香りをただよわせ心地よい。風に誘われて聞こえてくるホトトギスの鳴き声、「特許許可局」とも「テッペンカケタカ」とも聞こえてくる。盛岡の方では「包丁欠けた」と聞こえるらしい。
 
 ホトトギスはカッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類で、時鳥、杜鵑、不如帰、霍公鳥、田鵑などの漢字で表記される。南アジアで越冬し、日本に繁殖のためにやってくる夏鳥で、5月下旬に渡来する。丁度、田植えの頃で「田植えをしなよと鳴く」、時を告げる「時鳥」という表現が使われています。ホトトギスなどカッコウの仲間は、自分で巣を作らずに託卵(ほかの鳥に卵を預ける)して雛を育ててもらいます。ホトトギスが託卵する鳥は、ほとんどがウグイスで、ウグイスの親鳥が巣から離れたすきに卵を産みつけます。ウグイスは自分の倍くらいの大きさになる雛を育てることになります。ホトトギスが雛の頃に聞いた育ての親のウグイスの鳴き声をまねて、「キョキャキョク」と鳴いているのかは定かではありません。
 
 鰹はスズキ目サバ科スマ属に属する回遊魚で、南の海で生まれ、海流にのって北上しますがルートは2つあり、フィリピン、台湾、南西諸島を経て黒潮に乗って日本列島の太平洋岸に現れるルートとミクロネシア付近から小笠原海流にのって小笠原諸島、伊豆諸島とまっすぐに北上し、関東沖から三陸沖へと向かうルートがあります。黒潮系は九州南部に近づくのが二月中旬、四国沖が3月中旬、紀伊半島が4月、伊豆・房総沖が5月と北上を続け、7~8月には三陸沖まで進み、9月に北海道南部に達して水温が低下すると,Uターンして南の海に帰っていきます。四国沖から鰯を追って北上し、紀伊半島沖から駿河湾にかけて鰯を食べて成長し、関東沖に現れる5月頃に取れた鰹が山口素堂の句に詠まれている初鰹であります。9月になって戻ってくる鰹が脂の乗った「戻り鰹」です。江戸時代(元禄から天明くらい)には初鰹志向が過熱し、異常に高値となった時期がありました。今で言うグルメ志向、江戸の「粋」の観念によるものと思われ、「女房を質に入れても初鰹」と川柳に詠まれています。
五感のうち青葉によって視覚が、ホトトギスによって聴覚が、風によって嗅覚が癒されますが、味覚だけは今も昔もお金がかかったようであります。

浦島太郎

2009-04-26 19:59:44 | つれづれ草
 "むかしむかし浦島は、助けた亀に連れられて竜宮城へ来てみれば、絵にもかけない美しさ。"文部省唱歌、浦島太郎の1節であります。歌詞をたどってみますと乙姫様のご馳走や舞踊りに月日のたつのも忘れていた。お暇をいただいて帰ってみれば、家も村も無く知らないものばかり、土産にもらった玉手箱を開けてみれば、白い煙が立ち上りたちまち太郎は爺さんになった。という歌(物語)であります。
 浦島太郎にまつわる伝説は、古事記や万葉集、お伽草子などに記載されており、全国各地で語り継がれています。丹後半島を中心とする日本海沿岸地方や瀬戸内海沿岸、九州の玄界灘沿岸などに多く残ります。
 日本海沿岸や玄界灘沿岸、瀬戸内海地方は大陸との交流の多かった地方であります。浦島太郎の伝説は、中国の物語をモデルにしているか、異国へ渡って戻った人をモデルにしているように思えます。
 
 アインシュタインの相対性理論によると光の速度に近い速さで飛行している宇宙船の中では、時間がゆっくり進む。したがって宇宙船に乗っている人は、地球上の人より年を取るのが遅くなってしまう。そのため光速度に近い速度で宇宙旅行をして帰ってくると、地球の人は宇宙旅行した自分より年を取っていることになります。この現象を浦島太郎の物語にちなんで「浦島効果」と呼んでいます。亀を円盤に例えて、浦島太郎が浜で宇宙人を助け、円盤に乗って宇宙旅行をして帰ってきた。自分も年を取ったが、地球では数百年経っていた。という話がぴったり当てはまります。
 琉球諸島の石垣島にも竜宮城伝説が残っています。琉球王国の宮殿を"竜宮造り"とも言われており、竜宮<りゅうきゅう>とも読めないこともない。竜宮城は、竜宮王国の城のことか、
 さて、唱歌では、浜で亀をたすけて、亀に連れられて竜宮城へ行く。亀は竜宮王国の船と考えると、浦島は、浜で難破した竜宮王国の船、人を助け、竜宮王国に迎えられる。姫に歓迎され、王国で重要なポストに就き、武功を上げる。異国での生活に月日のたつのも忘れていたが、ふるさとを思い出したのか、政権が変わって暇を言い渡されたのか、国へ帰ることになった。帰ってみると数十年の歳月がたっており、家も村もなくなっていた。という逸話がモデルになっているのではないかと思います。玉手箱の中身が難題でありますが、ふたを開けた途端に年を取った、「年に見えた」ということですので、玉手箱の中身は鏡ではなかったかと思います。当時、鏡は貴重で高価なものであり、庶民はなかなか自分の容姿を見ることができなかったものと思われますが定かではありません。

桃太郎

2009-04-06 16:41:00 | つれづれ草
 昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出かけました。すると川上から大きな桃が「どんぶらこと」流れてきました。・・・・・
「桃太郎が鬼退治をする」昔話であります。お供が犬と猿と雉であります。この組み合わせが子供のころの謎でありました。犬は分からなくはありませんが、「犬猿の仲」と言われる猿とあまり強そうにない雉(きじ)であります。
この物語のモデルは、三国時代の蜀の丞相、諸葛亮「孔明」であり、孔明自身が作ったのではないか、という説があります。三国志によると孔明は5回魏討伐に出かけています。当時の蜀の国は、人口が90万人程で魏の国の5分の1程度であったと言われています。戦争や災害が少なく、民衆の生活は比較的安定していましたが、国民24人に1人の割合で官吏(役人)を抱え、その上、兵士も養わなくてはならず、かなりの財政難であったと思われます。ちなみに豊橋市は、人口38万人で3500人の職員を抱えていますので、約市民100人に対して1人の割合であります。魏と蜀では国力に大きな差があり、漢朝再興とは言うものの、もともと無理な戦いでありました。
 
 物語を順にたどって見ますと、桃から生まれてきます。桃は中国が原産で不老不死の果実として重宝されています。桃から生まれた桃太郎は、当然、不老不死の聖人と言うことになります。そして、黍(きび)団子を持って鬼退治に出かけます。黍は、たんぱく質やビタミンB1などが多く含まれ、五穀の中で最も元気が出る穀物といわれています。兵を養う穀物として適していると言えます。さて、問題のお供した犬と猿と雉についての謎であります。申、酉、戌の方位は、西の方角であります。西の方角は五行では「金」に当たり金属、武器、剣などであり、お供の説明にこの五行を当てはめる説もあります。
孔明は、自国の少ない兵力を増強するため、周りの属国から兵を集めていたと思われます。蜀の国から見て、申の方角は、ミャンマーであります。酉の方角は、チベットであります。戌の方角は南ロシアにあたります。申の方角から「猿のようにすばしっこい」ミャンマー人を、酉の方角から「鳥の羽をつけた」チベット人を、戌の方角から「犬をあやつる」ロシア人を雇い入れたのではないかと思います。
もともと無理な戦いを漢朝再興という旗印を掲げ、魏討伐(鬼退治)に出かける自分は、(桃から生まれた桃太郎であり)不老不死で負けるはずがない、申、酉、戌の方から兵士(助っ人)が来るからお迎えして食べ物(黍)を与えてなさい。魏の国を破った(鬼を退治した)なら領地(金銀財宝を持ち帰って)みなに分けあたえましょう。と民に説いて、魏討伐を正当化し敢行したと考えます。