”佐藤多一”

豊橋市のイベントなど

手当て

2009-03-30 17:19:57 | つれづれ草
 病気や傷の治療をすることを「手当てをする」といいます。字の通り患部に手を当てることから始まったものと思います。額に手を当てて熱を測ります。手のひらは、皮下脂肪がほとんどなく、温度差を敏感に感じ取るところであります。「手に汗握る」といいますが、恐怖に遭(あ)ったり緊張したりすると手のひらに汗をかきます。緊張するとバクバクと心臓の鼓動が早くなり、多くの血液が送り出され、運動しているときと同様の状態になります。手のひらはこうした変化をいち早く感じ取り、体温を下げようとする作用が働くため汗をかき始めます。うそ発見器は、このような緊張による手のひらの発汗作用を利用したものであります。逆に手のひらは、温度変化を敏感に感じ取り、心臓の機能をコントロールして体温の調整を図っているところであるといえます。冷たいものに触れることによって、暖めようとする作用が働き、熱いものに触れると冷やそうとする作用が働きます。

 水が滞ると冷たくなります。炎症を起こすと熱をもちます。子供は、不安になったり、緊張するとよくおなかが痛くなりますが、心(脳)と腸は関連が深く、緊張や不安、心配ごとなどにより腸の働きが悪くなり、水が滞ってお腹が冷えたり、消化不良によってガスがたまるため、痛みを伴うものと思います。このような時、患部に手を当てていると暖められて、腹痛が治ることがあります。また、炎症を起こして熱を持っている患部に手を当てていると冷やされて、炎症が和らぐことがあります。手を当てることによって、急に暖めたり冷やすのではなく、やんわりと人肌に暖められたり冷やされるため痛みや炎症が適度に癒され和らぎます。特に幼い子供は、病になると不安に陥るものです。母親や家族が手を当てることによって安心し、心(脳)の面からも「手当て」の効果があらわれるものと思います。

 自分自身の手を患部に当てても同様の効果があらわれます。人が感知する感覚のうち、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚を五感と呼んでいます。動物も同様であり、節足動物には、特に触覚を感知する「触角」が発達しています。触覚は体全体の体性感覚でありますが、人の場合、多くをつかさどるものが手であると思います。こうした五感をすばやく判断するために脳が発達したものと思われます。高齢になると耳が遠くなったり、味覚に乏しくなります。五感が衰えると脳の働きが低下してきます。ボケ防止には手を使い、指先を動かすことも効果があるといわれていますが、手と脳は直結しており、手の触覚が脳を刺激するものと思います。動物や人には、自ら治そうとする力「自然治癒能力」が備わっており、手を当てることによって、その触覚が脳に伝わり、自然治癒能力が高まるのではないかと思います。


風が吹くと桶屋が儲かる

2009-03-27 17:56:45 | つれづれ草
風が吹くと桶屋が儲かるという話があります。「風が吹く」という原因に対し「桶屋が儲かる」という結果を導く、三段論法的な論理展開であります。様々な言い回しがあると思いますが、一般的に風が吹くと砂埃が立ち目を患い失明する。失明すると三味線引きになり、三味線の需要が増えて猫が捕らえられる。猫がいなくなるとねずみが増え、ねずみが桶をかじり桶が壊れる。壊れた桶が買い替えられるので、桶屋が儲かるという論法であります。

実際に「風が吹くと桶屋が儲かったのではないか」と考えられなくはありません。風が吹くという現象に対して「天気が変化する」という結果が係ってきます。天気は西から東へと変わっていきます。高気圧が去り、西から低気圧が近づくと低気圧に吹きこむ風、東風が吹きます。より発達した低気圧が近づけばより強い東風が吹きこむことになり、そして次第に天気が崩れてきます。
風は、気圧の差によって吹くものであり、逆に考えると東風が吹くときは、低気圧が近づいてくるときであり、大気の気圧が下がってくるときであります。このような時は虫の息といわれる状態「老衰した状態など」の体から、わずかに「大気の力」気圧で閉じ込められていた魂「気」が抜けてしまうときであると思います。東風の吹く日は、人が死ぬことが多い日であると思われます。

よくお葬式に雨が降り、涙雨といわれていますが、葬式は亡くなられた翌日に行うことが多く、ちょうど東風が吹き始めたあとに、低気圧がやってきて雨が降る、そうした日にあたることになると思います。清水の次郎長の映画で「桶屋の仁吉が棺桶を背負って暴れている」そうした姿を思い浮かべることができるかと思いますが、棺桶も桶屋が作るものであります。東風が吹くときは、人が亡くなることが多く、棺桶が売れ桶屋が儲かったものと思います。ちなみに東風が吹くと人が亡くなり、風に乗って西に運ばれていくと思われることから「西に浄土がある」西方浄土の考え方が受け入れられたものと考えられなくはありません。

ありの知恵

2009-03-18 20:09:07 | つれづれ草
ありの知恵
 イソップ物語にありとキリギリスという童話がありました。働き者で共同生活を営んでいるありと、自由気ままなその日暮らしを楽しんでいるキリギリスのお話です。せっせとえさを運ぶありは働き者にたとえられますが、ほかにも優れた能力を持っています。ありは地中や枯葉の下などに巣を作るため雨が降ると巣が水浸しになってしまう恐れがあります。雨に対して大変敏感であり、「大雨の予知能力を持っているのではないか」と思われるところがあります。

 「ありが穴をふさぐと雨」とか「ありが土を運ぶと雨」ということわざがあります。地中に巣を作る黒ありの種類は、土団子のようなもので穴をふさぎます。穴をふさいでいるところは、見たことがありませんが、大雨の後、土団子で盛られたところから、ありが這い出してくるのをよく見かけました。
「ありの宮参り(高いところへ移動すること)雨の兆し」や「ありが卵を運ぶと雨近し」ということわざがあります。枯葉や石などの下に巣を作る種類のありは、卵を抱えて移動します。大雨や長雨の前にはよく見かけます。最近、ありが列を作り、卵を抱え木の上に移動しているのを見かけましたが、翌々日台風がやってきました。「ありが行列をつくると晴れ」といった逆の言葉もあります。大雨の前に引っ越したありが、雨後元の巣に戻るところをことわざにしたものであると思います。ありの引越しなどは頻繁に行っているわけではなく、小雨などのときには見られず、卵を抱えて引っ越すところを見かけると、ほとんどの場合、大雨に見舞われます。
 
 「ありは5日の雨を知る」ということわざもあります。海洋から吹きこむ湿った潮風を感じるのか、2~3日前から降雨の予知をしているのではないかと思われます。体の小さなありは仲間を増やし、共同作業を行っていかないと厳しい自然界の中で生存していけません。女王ありの生んだ卵はなんとしても育てる必要があり、洪水によって流されてしまったり、死なせないよう雨に対する予知能力が備わったものと考えます。

ありのほかにも昆虫や動物と天気に関することわざは、たくさん言い伝えられています。「ゲジゲジが夜出ると天気が変わる」「蛇が出ると天気が変わる」「百舌が高く鳴けば雨晴れる兆し」などさまざまな言い伝えがあり、実際に予知につながるものも少なくありません。「顔がほてると天気が変わる」「古傷が痛むと天気が変わる」など人間に関することわざも数多く言い伝えられています。
「煙が低く這うと天気が変わる」「天気の変わる前には風が出る」「うろこ雲が出ると天気が変わる」など大気や雲に関することわざも数多く言い伝えられており、現在にも当てはまるものが少なくありません。人も自然界の一員です。自然と共存していくためには、風向きや雲の状態、そして昆虫の予知能力などから大気や気象状態を読み取る能力を高めておくことも大切です。

白湯(さゆ)

2009-03-13 18:24:05 | つれづれ草
薬は、白湯で飲むのが一番よいといわれています。病人の水分補給にもよく白湯を飲ませます。赤ちゃんにも最初は白湯を飲ませます。白湯は、水を一度沸騰させて常温に冷ましたものであり、沸騰させることによって殺菌されます。     
水道水は浄水場で塩素殺菌されますが、家庭の蛇口で塩素濃度が0.1ppm以上と規定されており、常に塩素が含まれています。人体に影響がないといわれる量ですが、遊離塩素は活性酸素と同様に他の物質と反応しやすく、体内で有害物質を造ってしまうことも考えられます。白湯など一度沸騰させた場合には遊離塩素は除去されます。白湯は胃にやさしい安全な水であるといえます。体の弱った病人や抵抗力の弱い乳児に最も適した水であります。白湯はこの他にも優れた効力があります。
 
水は温めると水蒸気を出します。さらに温度が上がると液体の内部からも水蒸気が発生してぐつぐつと沸騰してきます。水蒸気は、水の分子の状態であり最も塊(クラスター)の小さい水であります。沸騰してくると水の内部で激しい運動が起こり、次第に水の塊が小さくなり、やがて水蒸気となって飛び出していきます。水は温めれば温めるほど塊が小さくなるといえます。洗濯や食器洗いなど水よりお湯のほうがよく汚れは落ちますが、水のクラスターが小さく、よく浸透するからであります。水蒸気を集めた蒸留水は、水のクラスターが最も小さい純水に近く、汚れや不純物をよく溶かし込むことから、半導体などの洗浄に使われています。
 
クラスターの小さな水は、薬の成分のよく溶かし込みます。胃や腸からも速やかに吸収され、体の隅々まで浸透していきます。当然のことながら薬の効き具合もよくなります。漢方では、白湯そのものが薬であると考えられています。
人は、体の中にできた老廃物を水に溶かして運び、腎臓でこして体外に排出しています。常に体を水洗いしている「洗濯している」と考えてもおかしくはありません。汚れを落とすには、隅々まで浸透し、よく溶かし込むクラスターの小さな水が適しています。クラスターの小さな水は、細胞の隅々まで浸透していき、細胞の中に出来た老廃物を溶かし込んで体外に排出してくれます。白湯は体を洗う水としても大変適した水であるといえます。