武藤議員「戦争したくないなら中国大使館前や朝鮮総連前で反戦の訴えをすべきだ」
http://hosyusokuhou.jp/archives/44998244.html
大メディア権力がこの武藤議員の発言をやり玉にあげて集団リンチしています。
つまり大メディア権力は、北朝鮮の拉致、中国共産党のチベットやウイグルなどにおけるナチスばりの民族浄化や東南アジアにおける侵略行為を正当化していることになります。
さらに大きな問題として、武藤議員の意見をこれだけ一方的にリンチするということは、武藤議員と意見を同じくする一般国民がその意見を言うことに対する社会的制裁になっている。つまり実質的に「国民の言論の自由の弾圧」になっている訳です。
渡邉哲也氏も指摘していましたが、
政治家の発言を判断するのは、マスメディアではなく有権者です。
マスメディアがその判断を、主権者である我々国民に押し付けることは許されません。
だからいつも言っているように、日本の自称平和主義者、自称リベラルこそがナチスであり、極右であり、戦争賛美主義者だということです。
この件の前提として、大メディア権力は急に「シールズ(SEALDs)」なる抗議団体に肩入れし、持ち上げ出しましたが、この抗議団体は国会で多くの議席を持つ政党の共産党がバックに存在するにも関わらず、
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20150718/1437236857
http://xn--h9jya6d7a0b6h1epm5e.com/archives/6109
大メディア権力は「一般の若者による抗議」だと手放しで絶賛しています。
ある自称「若者によるデモ」を影で主導している人物がツイッターで、「若者よるデモだというイメージを付けるためにこっちがどれだけ苦労してるか。それなのに先頭の方で写真を撮ってたオッサン共は消えろ」のような、抗議活動の内幕も明らかになっています。
ちなみにシールズは「アメリカ海軍の特殊部隊」の名称でもありますね。沖縄での実態を見ても分かるように、日本という国は、反戦平和主義を声高に主張する人ほど、戦争好きなことが多いですね。
それにしてもメディアは自分の気に入った主張をする人間が、なぜ若者だというだけで持ち上げるのでしょうか?高齢者の抗議も、壮年世代の抗議も、同じく重要ではないのでしょうか?
また武藤議員にしても、大臣でも何でもなく、しかも36歳という年齢は、国会議員としてはかなり若い部類です。地方自治体の最年少市長などとも近い世代です。
「一般議員ならいいが大臣だからダメだ」と大臣への集団リンチを続けてきたメディアの矛盾が見事に表れていると同時に、同じ「若者」でも「その主張がメディアの気に入るものかどうかで差別」する実態も現れています。
これは大メディアを代表する人物だった、故・筑紫哲也もやっていたことです。イラク戦争時に、自説に批判的な若者について、大権力者・筑紫は「日本に要らない人間」と言い放ちました。
これまでの筑紫の主張からすれば、「いかなる意見の持ち主であれ、若者は日本の未来にとって必要な存在」でなければなりません。
しかし筑紫は、自分に批判的な、気に入らない若者は、「日本に必要ない」と考えていて、しかもそれを公共の電波で堂々と、国民の要不要を選別しているのです。
その差別主義的な「筑紫イズム」が、今回のメディアの報道でも現れています。
シールズのデモは一部の過激な発言を隠蔽し、正義のデモと手放しの絶賛の依怙贔屓で大々的に宣伝し、紹介する一方、例えば在特会のデモについては、一部の過激な人のみを取り上げて、悪のレイシストであるとレッテルを貼り、社会的制裁、さらにはヘイトスピーチと関係ない人を含む会全体に法的制裁まで課すべきだと言う。
あるいは、メディアの気に入らない主張の若者の抗議でも、在特会のように明らかに突っ込める失態を犯さない抗議団体については、「隠蔽」することによって、その存在をないものとする。
この国は民主主義国家でも何でもなく、
大メディア権力によるファシズム支配の国に他なりません。
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http://hosyusokuhou.jp/archives/44998244.html
大メディア権力がこの武藤議員の発言をやり玉にあげて集団リンチしています。
つまり大メディア権力は、北朝鮮の拉致、中国共産党のチベットやウイグルなどにおけるナチスばりの民族浄化や東南アジアにおける侵略行為を正当化していることになります。
さらに大きな問題として、武藤議員の意見をこれだけ一方的にリンチするということは、武藤議員と意見を同じくする一般国民がその意見を言うことに対する社会的制裁になっている。つまり実質的に「国民の言論の自由の弾圧」になっている訳です。
渡邉哲也氏も指摘していましたが、
政治家の発言を判断するのは、マスメディアではなく有権者です。
マスメディアがその判断を、主権者である我々国民に押し付けることは許されません。
だからいつも言っているように、日本の自称平和主義者、自称リベラルこそがナチスであり、極右であり、戦争賛美主義者だということです。
この件の前提として、大メディア権力は急に「シールズ(SEALDs)」なる抗議団体に肩入れし、持ち上げ出しましたが、この抗議団体は国会で多くの議席を持つ政党の共産党がバックに存在するにも関わらず、
http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20150718/1437236857
http://xn--h9jya6d7a0b6h1epm5e.com/archives/6109
大メディア権力は「一般の若者による抗議」だと手放しで絶賛しています。
ある自称「若者によるデモ」を影で主導している人物がツイッターで、「若者よるデモだというイメージを付けるためにこっちがどれだけ苦労してるか。それなのに先頭の方で写真を撮ってたオッサン共は消えろ」のような、抗議活動の内幕も明らかになっています。
ちなみにシールズは「アメリカ海軍の特殊部隊」の名称でもありますね。沖縄での実態を見ても分かるように、日本という国は、反戦平和主義を声高に主張する人ほど、戦争好きなことが多いですね。
それにしてもメディアは自分の気に入った主張をする人間が、なぜ若者だというだけで持ち上げるのでしょうか?高齢者の抗議も、壮年世代の抗議も、同じく重要ではないのでしょうか?
また武藤議員にしても、大臣でも何でもなく、しかも36歳という年齢は、国会議員としてはかなり若い部類です。地方自治体の最年少市長などとも近い世代です。
「一般議員ならいいが大臣だからダメだ」と大臣への集団リンチを続けてきたメディアの矛盾が見事に表れていると同時に、同じ「若者」でも「その主張がメディアの気に入るものかどうかで差別」する実態も現れています。
これは大メディアを代表する人物だった、故・筑紫哲也もやっていたことです。イラク戦争時に、自説に批判的な若者について、大権力者・筑紫は「日本に要らない人間」と言い放ちました。
これまでの筑紫の主張からすれば、「いかなる意見の持ち主であれ、若者は日本の未来にとって必要な存在」でなければなりません。
しかし筑紫は、自分に批判的な、気に入らない若者は、「日本に必要ない」と考えていて、しかもそれを公共の電波で堂々と、国民の要不要を選別しているのです。
その差別主義的な「筑紫イズム」が、今回のメディアの報道でも現れています。
シールズのデモは一部の過激な発言を隠蔽し、正義のデモと手放しの絶賛の依怙贔屓で大々的に宣伝し、紹介する一方、例えば在特会のデモについては、一部の過激な人のみを取り上げて、悪のレイシストであるとレッテルを貼り、社会的制裁、さらにはヘイトスピーチと関係ない人を含む会全体に法的制裁まで課すべきだと言う。
あるいは、メディアの気に入らない主張の若者の抗議でも、在特会のように明らかに突っ込める失態を犯さない抗議団体については、「隠蔽」することによって、その存在をないものとする。
この国は民主主義国家でも何でもなく、
大メディア権力によるファシズム支配の国に他なりません。
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http://www.sankei.com/world/news/150804/wor1508040057-n1.html
武藤議員を集団リンチする一方で、「拉致より憲法」という暴言を吐いた人間や、拉致被害者救出に向けて奮闘する人々の苦しみは悉くスルーする日本の大マスコミ。
「拉致より憲法」という事は、つまり「人命より憲法」、「国民より憲法」、「主権より憲法」という事です。
この件を報道しないという事は、日本の大マスコミも「拉致より憲法」、「人命より憲法」、「国民より憲法」、「主権より憲法」だと明言したも同然です。
>政治家の発言を判断するのは、マスメディアではなく有権者です。
>マスメディアがその判断を、主権者である我々国民に押し付けることは許されません。
選挙の争点、対立軸もマスメディアが勝手に決めています。
兎に角、何から何までマスメディアの独断と偏見が罷り通る国、それが日本です。
>「一般議員ならいいが大臣だからダメだ」と大臣への集団リンチを続けてきたメディアの矛盾が見事に表れていると同時に、同じ「若者」でも「その主張がメディアの気に入るものかどうかで差別」する実態も現れています。
武藤氏の主張の一部分だけを抜き出し、武藤氏を「悪人」「戦争賛美者」であるかの様に仕立て上げて、集団で吊し上げるという鬼畜の所業も然る事ながら、武藤氏の書き込みを踏み台にして、安倍政権や自民党を袋叩きにするという暴挙も、とても許せません。
これが安倍政権や麻生政権の様な保守(戦後体制に抗う)政権ではなく、リベラル系の政権なら、マスコミの叩き方も変わっていたと思います。
>しかし筑紫は、自分に批判的な、気に入らない若者は、「日本に必要ない」と考えていて、しかもそれを公共の電波で堂々と、国民の要不要を選別しているのです。
そう言えば、こういう記事がありました。
反対派だけが人民ではない。安保法案に賛成する人間も国民だ。(岩田温)
『 早稲田大学の水島朝穂教授が、安保法案に反対するSEALDsのデモに参加して、次のように発言したという。
「今、新しい民主主義が国会前で始まっている。それはなにか。今まで私が、45年前、高校生でここでデモをやった時、どっちかというと後ろからついていったデモだったんですけど、全然違うの。今日、先頭で、学生といわゆる学者が一緒に歩いたんですよ。
そして、『民主主義って何だ』って彼らが問うたら、『これだ』と言ったんですよ。私、初めて、憲法やって33年、飯食って来ましたが、今日、初めて、憲法って何だって分かりました。これなんですよ。
俺たちが人民なんです。だから、それに反対するあそこにいる政権には退陣を願いましょう。廃案しかない。廃案しかあり得ない。がんばりましょう」』
http://blogos.com/article/126353/
>俺たちが人民なんです。
この暴言、選民思想的思考丸出しですよ。
「俺達こそ人民であり、俺達の見解と異なる奴ら、もっと言えば俺達以外は人民ではない!」と公言したも同然なんですから。
少なくとも僕は「俺たちが人民」という発言を、上記の事以外に解釈出来ません。
http://www.sankei.com/world/news/150804/wor1508040057-n1.html
>武藤議員を集団リンチする一方で、「拉致より憲法」という暴言を吐いた人間や、拉致被害者救出に向けて奮闘する人々の苦しみは悉くスルーする日本の大マスコミ。
まさにファシストですからね。日本の大マスコミは。
この記事は、次の記事の主題にする予定です。
>選挙の争点、対立軸もマスメディアが勝手に決めています。
>兎に角、何から何までマスメディアの独断と偏見が罷り通る国、それが日本です。
日本における「価値観」をファシズム独裁的に全て決めていますからね。
>反対派だけが人民ではない。安保法案に賛成する人間も国民だ。(岩田温)
こんな当たり前のことをわざわざ指摘しなければならない、しかもその指摘も隠蔽される。
まさにナチズムが支配する国ですね。
>>俺たちが人民なんです。
>この暴言、選民思想的思考丸出しですよ。
「俺達こそ人民であり、俺達の見解と異なる奴ら、もっと言えば俺達以外は人民ではない!」と公言したも同然なんですから。
全く同感です。
これが日本の「自称・リベラル」の思考回路ですね。
リベラルじゃなくて、ただのナチスです。
(VTRの構成にもイラッとしましたが。)
特に、この回は。
そこまで言って委員会NPテレビは死んだのか?徹底検証SP5月3日
https://www.youtube.com/watch?v=thJzzBrLrUo
この回に出演しているパネラー、ゲスト、司会者全員と、VTRの構成・演出を担当したスタッフに対して、「お前ら脳味噌腐ってんのか?」と直言したいぐらい、発言内容も問題提起のVTRも、まあ酷いです。
一見すると、核心を突いたメディア批判に思えるかも知れませんが、その実、自慰行為ですよ。
「放送メディア万歳!」「放送メディアを批判する政治家は屑」って言いたいだけだと思います。
(これでも、テレビ番組の中ではマシな部類なんですよね…。)
ヘイトスピーカー&テロリストである古賀茂明の妄言(というか、テロ行為と表現してもいい)や、政府がNHKとテレ朝に対して行った意見聴取、NHK籾井会長の発言、テレ朝の椿事件、ジャーナリスト・識者とやらの政府&放送行政叩き、放送法の条文等々をベースにして、(選挙などの国民審査を全く受けずに)暴走を続ける放送メディアの実情を把握する努力をし、同時に著しい偏向・歪曲報道に異を唱えている政府・自民党へのバッシングを展開しているんですから。
放送メディアやBPO(放送倫理・番組向上機構)を神聖視する一方で、放送メディアが常習的にしてきた、数え切れない程の捏造・歪曲報道や、放送メディアの腐敗・汚職体質、放送メディアを国民自身が審査するシステムが存在しない事(まるで治外法権)には全く触れず、「政府が~」「自民党が~」「菅官房長官が~」「籾井会長が~」等と、偉そうにバッシングする番組出演者や番組スタッフの傍若無人さ、単細胞ぶりを見ると、怒りや殺意が自然と込み上げてきますよ。
(「メディアや民主主義の事を分かった気になっている屑ども」と表現出来るかも知れません。)
そうならないという人は、
放送メディアが国内外にどれだけ影響力があるのか。
放送メディアに従事する連中が如何に金と権力の亡者で、他者を平気で見下す屑ばかりなのか。
放送メディアが外国勢力の奴隷と化している現実。
放送メディアが権威やブランド力を悪用し、どれだけの捏造・歪曲・差別的報道を四六時中展開してきたか。
放送メディアがどれだけ利権塗れなのか。
等々、放送メディアの実情や事の深刻さを全く理解せず、メディアが垂れ流す情報や権威を妄信し、言わば「家畜」「奴隷」と化している残念な人々です。
放送局、新聞社、通信社、出版社、そしてネットメディア、どこもかしこも「民主主義の要」としては最低最悪最凶(主張・論調・報道姿勢が論外)ですが、特に放送メディアの絶大なる影響力は看過出来ません。
>「放送メディア万歳!」「放送メディアを批判する政治家は屑」って言いたいだけだと思います。
日本のテレビで、テレビを本当に厳しく批判することはないようですね。
この自浄作用のなさが、日本のメディアの信用できないところです。
>メディアや民主主義の事を分かった気になっている屑ども
根本を理解せずに、形だけ欧米から取り入れても意味がないんですけどね。
>放送メディアやBPO(放送倫理・番組向上機構)を神聖視する一方で、放送メディアが常習的にしてきた、数え切れない程の捏造・歪曲報道や、放送メディアの腐敗・汚職体質、放送メディアを国民自身が審査するシステムが存在しない事(まるで治外法権)には全く触れず、「政府が~」「自民党が~」「菅官房長官が~」「籾井会長が~」等と、偉そうにバッシングする番組出演者や番組スタッフの傍若無人さ、単細胞ぶり
奴等がやっているのは、「みんなが叩いてるから一緒に叩ける」という「いじめの構図」ですね。
本当に叩くべきところを叩くと面倒な相手でリスクが大きいので叩かない。叩いても反撃してこない楽な相手、みんなで叩いていいというお約束がある相手だけを叩く。
>放送メディアが国内外にどれだけ影響力があるのか。
放送メディアに従事する連中が如何に金と権力の亡者で、他者を平気で見下す屑ばかりなのか。
放送メディアが外国勢力の奴隷と化している現実。
放送メディアが権威やブランド力を悪用し、どれだけの捏造・歪曲・差別的報道を四六時中展開してきたか。
放送メディアがどれだけ利権塗れなのか。
等々、放送メディアの実情や事の深刻さを全く理解せず、メディアが垂れ流す情報や権威を妄信し、言わば「家畜」「奴隷」と化している残念な人々
メディアについてどう思うか問われれば、批判的な意見も結構出てくるでしょうけど、かずさんの仰るように、本質は理解せず、表面的なところに留まっている視聴者が大半でしょうね。
そこまで言って委員会NP テレビは死んだのか?徹底検証SP 5月3日
http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-63984.html
>太一さん
>日本のテレビで、テレビを本当に厳しく批判することはないようですね。
>この自浄作用のなさが、日本のメディアの信用できないところです。
一度手に入れた既得権や地位、権威・権力を手放したくないから、核心を突いたマスメディア批判が出来ないんでしょうね。(同業者や言論界からの圧力を恐れて、正面切ったマスコミ批判が出来ないという側面もあるかも知れません。)
まあ、これはマスメディアに限らず日本人、もっと言えば人間全体に当て嵌まる心理だと思いますが。
>根本を理解せずに、形だけ欧米から取り入れても意味がないんですけどね。
>本質は理解せず、表面的なところに留まっている視聴者が大半でしょうね。
本質や世界の現実を度外視する一方で、やたらと体裁に拘るのが日本人ですからね。(インテリや高学歴者と呼ばれる家畜・奴隷は特に。)
そういう日本人だからこそ、経緯や中身を精査する事なく、更には軍事バランスの変化や周辺諸国の現状をも無視して、レイプ憲法を崇拝する事が出来るのでしょうが。
>奴等がやっているのは、「みんなが叩いてるから一緒に叩ける」という「いじめの構図」ですね。
全くその通りです。
こんな屑が、ジャーナリスト・評論家・大学教授・弁護士・解説委員・フリーアナウンサー・芸能人で、マスコミ界・言論界・教育界・学界などでのさばっているんですから、そりゃ虐めが無くなるわけがありません。
既にできた「和」を重んじる日本人は、「改革」が苦手ですよね。日本で行われている改革の大半は「外圧」によるものです。自分達で既得権益を打破して改善できない国民なんですよね。
>本質や世界の現実を度外視する一方で、やたらと体裁に拘るのが日本人
まさに日本人の核心を言い当てた言葉だと思います。