IT'S NOW OR NEVER 

こどもと、ねこと、その親の日常雑事。
さて、初の海外暮らし、
どうなることやら。

ありがとうございました

2010-04-01 08:59:28 | 日記
〈水泳選手・長沢二郎〉の名はもっと広く知られていい。朝刊で長沢さんの訃(ふ)報を知り、そう思った◆この人がいなかったら、世界に今のバタフライ泳法はなかった。1ストローク2キックのドルフィンキックはバタフライ泳法の常識だが、これをあみ出したのが、長沢二郎その人だった◆もう半世紀以上も昔になる。氏は早大水泳部の現役選手だった。彼以前のバタフライといえば、キックは平泳ぎと同じカエル足だった。さらにいえば、バタフライは独立した種目ではなく、生まれは平泳ぎ種目の一泳法だった◆長沢さん自身、ヘルシンキ五輪(1952年)に出場、200メートル平泳ぎで6位入賞を果たしたが、この時の泳法はカエル足のバタフライだった◆その後、54年にバタフライが平泳ぎから分離、独立種目になって長沢さんはドルフィンキックを開発。平泳ぎでは認められなかったこのキックで世界記録を連発した◆23日、長沢二郎逝く。78歳。ドルフィンキック創始者の死を悼み、強かった水泳日本の時代を偲(しの)ぶ。

(2010年3月25日14時38分 読売新聞)

怖くて、強くて、近寄りがたく、でもとても可愛がっていただいていた先生がお亡くなりになった。
ちょっと巻き舌のように「おくー」と私を呼んでくれる人はもういない。
病床の先生が余りにも小さく見えるので
声が出なかった。
奥様が「ほら、○○○(旧姓)くーちゃんが来てくれたわよ。わかってるわよね、ね?」
とおっしゃってくれたけれど
喉から絞り出す声は苦しそうで、辛そうで。
「手を握ってあげてね」
と奥様に言われておずおずと手を握ったけれど、
「先生の手なんか握ったことないですよ、初めてです。なんか照れますよー」
と申し上げたら、
「あらー、昨日来てくださったみかちゃんも同じこと言ってたわ~」
と、いつもの優しい顔で笑われた奥様。
「先生、早くお宅に戻って、またお庭でバーベキューしましょう。飲みましょう」
お庭のジンギスカンや、先生の出身地の沼津で取れた桜海老のかき揚げのおいしかったこと、
プールでの数々の思い出を、(一方的に)お話しした。
翌日は大ちゃんの奥さん(先生にとってはムスコのお嫁さん)が
「皆さん怖いっておっしゃるんですけど、私にはどうしてだかわからないんですよ~」
とおっしゃるので
「えー?先生ってお嫁ちゃんには優しいんだ~」
なんて会話をして、「先生ったらー」なんて、笑ってこっちに戻ってきた。
努力と、体力と、奇跡を起こす力で
なんとか立ち直られると信じていた。

先生、安らかにおやすみください。
プールに行くたびに先生を思い出すでしょう。
そして、先生のされてきた努力を忘れず、
なるべくそれに恥じないように
しっかり歩いていきたいです。