前半の演奏が終わったあと私は、控室に戻るでもなく、客席にいらっしゃるお客様たちと
なんとなくお話しをしていたら、ある年輩の男性が近寄って来られて
「いやあ、あなたたちの演奏は、イイねえ、初めて見に来たんですがね。(中略)
迷いが無い、それがイイ!」と声をかけてくださった。
こういう場面ではよく「元気をもらいましたよ」とか、
「踊りたくなったわ・・(タンゴは)踊れないんだけど(笑)」とか、
「よくそのホッソイカラダであんなパワフルなピアノが弾けますねえ」とか、
そんなお言葉はいただくことがありますが、
『迷いが・・無い』
この言葉には、特別な、新鮮な気持ちにさせられました。
すぐに頭をよぎったのが、自分の担当する生徒さん達のことでした。
こんな「言い得て妙!」な言葉を、私は思いつくこともなく日々レッスンしてきましたが、
(それもかれこれ30年!!)
そうか、あれもこれも、みんな
「その人が『迷いなく』その人の音、その人の思う表現を、出してくれるように」
というための積み重ねだったのかもしれないと。
「こんな風にアレンジしたんですけど・・やっぱ、ヘンですよ、、ね?」
「まだぎこちないですが、こんな風に強弱考えて弾いて(歌って)みました、、
おかしかったら却下してくださいね、先生」なんて言いながら、恐る恐る・・
・・でも自分なりの演奏を
勇気を出して披露してくれる生徒さん達に、なぜ
「そんなのはおかしいからやめなさい」「私の言うとおりの表現にしないとダメ」とか
頭ごなしに言えるでしょうか。
彼らの一生懸命に考え感じたものの中には、必ずその人のそれまでの音楽経験の中からでないと
出てこない「光るもの」が含まれているはずです。それはレアアースかもしれません。
そこに気づいて掘り起こして、「これ、いいやん!!」と言葉をかける、そして
それが光る理由や、せっかく光るのならもっと輝くためにどうすればいいか、
一緒に考える、、こんな積み重ねが、きっと、
「私の演奏、私の音楽性、結構いいじゃん、アリじゃん、イケてるじゃん」と
思いを強くしていかれるモトなのかもしれません。
「迷いがない」イコール「これでいいのだ」 ・・
それに1コマ30分や60分、習う方にとっては貴重な貴重なレッスン時間ですから、
センセイである私がいちいち迷ってては効率悪く、良いレッスンとは言えませんし
センセイが迷うことで余計に生徒さん自身がかかえる迷いの深みにはまってしまう危険もあるわけで、
長年の経験も手伝って「今その人に、即、必要なコト」をどう組み立てて即座にアドバイスすべきかということのスピードはかなり私、速いかもしれないと思ったりします。
ひるがえって「自分自信の来し方はどうだったか」にも思いが至りました。
思えば決して「迷いなく」歩んできたわけでもなく・・むしろ「迷いだらけ・道草だらけ」の
音楽人生でしたなあ。
まあしかし、歩むルートとしては、蛇行に次ぐ蛇行でしたけど、
その時その場で出そうとする「音」には、少なくとも「迷いながら出してしまった」
ということはなかったかなと思います。つまり、その日その時の私にできる精一杯の表現を
(たとえ稚拙であったとしても)
やってきたことは確かだと思うのです。
やがていつの日か、「ブレないね、あの人は」と、言ってもらえるような、
そんな堂々としたヤツになれた日にゃ、上出来かな、とも。
・・・いつになくオオマジメなケイトはんでしたぁぁ。チャン、チャン。