土盛海岸
この7月からアタシは、ケイトミュージック講師の曽田博先生に就いて奄美の島唄をちょびっとずつ教わっている。
ここからは、そのお稽古奮闘記をシリーズで(…でも飽くまでも気まぐれに)アップして行こうと思います。
【アタシが島唄を!?】
そう、もとはといえば、今年の8月に開催した「ケイトミュージック10周年パーティー」に、いろんな人が演奏するライブのプログラムとして、曽田先生が出演されるコーナーに、ほんの1ヶ月の付け焼刃で練習した「お囃子」係りとしてちょい出(で)させていただいたのが、そもそもの始まり。
アタシなんて、それまでは、「島唄には必ず『囃子』なるものが存在するのだ」てことすら知らなかった。だから、「今度8月にパーティーやるから曽田さんも三味線弾きながら何曲か唄って下さい。」と、軽~いノリでお願いしたのだった。
「いいけど、一人では演奏が成り立たないから、誰か囃子の出来る人が必要ですよ。」
「…え?そうなの?…」
「島ではいつも誰かにやって貰ってたけど、北九州に住んでる今、島唄の出来る人が周りに居ないし、わざわざ島からお囃子の為に人を呼ぶわけにはいかないんだよね。」
…ご、ごもっともです。
「その曲中の囃子の部分を教えるから、秋元さんと演奏しよう」
…ええっとぉ、アタシで務まるもんなんすか、ねェ…。
第一、奄美に一度も行ったことが無いし…ぶつぶつ。
そんな弱腰な私を「大丈夫、比較的覚え易いのを自分が選ぶから」と説得される曽田さん。
そうよね…言い出しッペはアタシ。囃子をやる人間が他にすぐに見つかるはずもなく、パーティーで曽田先生の演奏を披露する為には、どうしたってアタシがやるしかなさそう。…がしかし、覚えられるのかケイト。
そう逡巡しているうちに、段取りの早い曽田先生は早速、2曲分の譜面とその演奏のMDをニコニコしながら持って来られた。
・・・・・・。
かくして、「真夏の、奄美島唄特訓2008」が始まったわけなのです。←ちょっと大袈裟かな。
8月3日パーティーまで、あと3週間。
この7月からアタシは、ケイトミュージック講師の曽田博先生に就いて奄美の島唄をちょびっとずつ教わっている。
ここからは、そのお稽古奮闘記をシリーズで(…でも飽くまでも気まぐれに)アップして行こうと思います。
【アタシが島唄を!?】
そう、もとはといえば、今年の8月に開催した「ケイトミュージック10周年パーティー」に、いろんな人が演奏するライブのプログラムとして、曽田先生が出演されるコーナーに、ほんの1ヶ月の付け焼刃で練習した「お囃子」係りとしてちょい出(で)させていただいたのが、そもそもの始まり。
アタシなんて、それまでは、「島唄には必ず『囃子』なるものが存在するのだ」てことすら知らなかった。だから、「今度8月にパーティーやるから曽田さんも三味線弾きながら何曲か唄って下さい。」と、軽~いノリでお願いしたのだった。
「いいけど、一人では演奏が成り立たないから、誰か囃子の出来る人が必要ですよ。」
「…え?そうなの?…」
「島ではいつも誰かにやって貰ってたけど、北九州に住んでる今、島唄の出来る人が周りに居ないし、わざわざ島からお囃子の為に人を呼ぶわけにはいかないんだよね。」
…ご、ごもっともです。
「その曲中の囃子の部分を教えるから、秋元さんと演奏しよう」
…ええっとぉ、アタシで務まるもんなんすか、ねェ…。
第一、奄美に一度も行ったことが無いし…ぶつぶつ。
そんな弱腰な私を「大丈夫、比較的覚え易いのを自分が選ぶから」と説得される曽田さん。
そうよね…言い出しッペはアタシ。囃子をやる人間が他にすぐに見つかるはずもなく、パーティーで曽田先生の演奏を披露する為には、どうしたってアタシがやるしかなさそう。…がしかし、覚えられるのかケイト。
そう逡巡しているうちに、段取りの早い曽田先生は早速、2曲分の譜面とその演奏のMDをニコニコしながら持って来られた。
・・・・・・。
かくして、「真夏の、奄美島唄特訓2008」が始まったわけなのです。←ちょっと大袈裟かな。
8月3日パーティーまで、あと3週間。