ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

マイティー井上vsパットオコーナー

2023年07月28日 | プロレス
国際プロレス愛が強いタブレット純がオープン選手権の再放送を見て
熱烈なマイティー井上ファンになったという話しはかなりのインパクトで
それより哀愁の国際プロレスファンになって行くのですが

猪木潰しでもあったと後年知る全日本プロレスのオープン選手権。
年齢は行っていても皆から尊敬されている元NWA世界チャンピオンの
パットオコーナvsマイティー井上の試合が刈られ易いYouTubeに上がっていたので
喜んでしまいました。この試合ががタブレット純を国際プロレス沼に引きずり込んだのか、と。

しかし、パットオコーナーな凄い名レスラーですな。
この年齢になっても技のスピード、切れ味と天下一品。
そのオコーナーにグランドで渡り合う井上。
お客さんから拍手が起きる。
中盤過ぎてもグラウンドレスリングの展開、コレが面白い。
私個人は寝技の攻防は第一次UWF迄、まともに見た事無いのですが
(タイガーマスクvsスティーブライトのレスリングの攻防は子供には飽きてしまって)
しかしこの試合、今観ると凄く面白かったです




格からすれば当然オコーナーの方が遥かに上ですが
井上も喰いつくグラウンドの展開。
イメージ的にはS小林やR木村とパワーファイターが多かったと感じる国際プロレスの中で
テクニシャンとして柔軟性を感じる井上。
(草津はどうであったろう‥浜口、寺西、鶴見達はテクニシャンですな)
それにしてもレスリングでオリンピックに出場したオコーナー。
バックを取るスピードやタイミングは絶品。
見応え有る試合です。

全く別の話ですが、日プロ出身の吉原社長は
力道山時代のシゴキに耐えた選手が欲しかった様。
ヒロマツダとは早々と決別するも
歴史的に知られるグレート東郷の「大木金太郎引き抜き事件」となったそうな。

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2 コメント

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悲運のIWE♯3 (凸椪)
2023-08-01 13:56:38
国際プロレスでマイティ井上が売り出される以前に、井上とは同タイプの小型ファイター(??)として「田中忠治」なるレスラーがいたのを覚えています。当時はあまり脚光を浴びることが少なかったジュニアヘビークラスで、白パンツに白リングシューズでドロップキック(飛び蹴り)が得意技でした。国際では新設したIWAという団体で、初代の世界ジュニア王座(当時はミッドヘビー級と呼称)に着かせ、同世界ヘビー級およびタッグ王座と並んで興行の目玉と目論んだのだと思われます(最近ではIWGPのようにジュニアタッグまで乱造しているのは如何かと…?)。
国際の前身の東京プロレス時代から豊登の子飼いだった田中忠治の売り時は意外に短く、数年後にはジュニアで寺西勇と井上円蔵(後のマイティ井上)にジュニア時代が移って行った感がありますが、井上の方はビル・ロビンソンからT杉山→S小林へとトップが変わって行く中で、新日に引き抜かれて行った小林の後釜としてワンポイントリリーフ的にヘビーに転向しトップを務めた経緯もあり、しかしやはり体型的にもジュニアが定位置のように考えられるところから、このパット・オコーナー戦は名勝負のひとつに感じられます。当時、パット・オコーナーは40代後半ながら往年の知名度もあって、のちにPWF世界選手権を創設し同王座に君臨する以前のG馬場と十番勝負でも対戦していたのを覚えていますが、同シリーズで帯同していたNWAジュニア王者だったケン・マンテルにジャンボ鶴田が挑戦するという珍勝負も視たことがありました。力道山亡き後の昭和マット界の“動乱期”の様相でしたが、G東郷にソソノカされた大木金太郎がルー・テーズのTWWA選手権に挑戦したのち、草津・杉山らに代わって国際のトップに座ったら…と考えると、その昭和後期マット界も様変わりしたとは思いますが、その大木が一時、再末期の国際に上がってすぐにフェードアウトして行ったのは何とも歴史的な皮肉を感じます。もう少し体格的に恵まれていたら和製ハイフライヤーの異名を誇ったM井上の全盛期も長かったかと思うと残念な気もします。
凸樫さん (太郎)
2023-08-02 19:21:53
最近、また国際プロレスの本を入手したのですが、また興味深いモノでした。
田中忠治は後半でもカタログに載っていたかな。
一応、コーチ的立場だった頃もあるみたいですね。そして東プロからの流れという事で
ブッカーとして活躍した大剛の性格の悪さは有名ですが、田中の事も書かれていた箇所が
少し有ったと思います。鶴見が言うには東京プロレス上りは性格悪いのいっぱい居た、との事。
白いタイツでしたね。当時アメリカでジュニアヘビーってあまり注目を浴びなかったイメージ有ります。
ヘビーでもやれた名レスラー、ダニーホッジやネルソンロイヤルは有名ですが。
鶴田がケンマンテルに挑戦したという記録年表が有りました。
後、現在の新日本のIWGPタイトルの乱立は、もう歯止めが効かないですね。
さて井上ですが、やはり木村では地味で気の強い井上推しが有ったそうですが
本人は「何で俺なんや!?」と新エースに困惑したそうな。
思えばvsビリーグラハムの体格差は大きいですね。カナダ路線になったら
やはり、直線的ファイトの木村の方が頑丈で耐えれた事ですし。
井上vsオコーナーは、現在でも魅入ってしまう素晴らしい試合ですね。
全日本での国際の扱いは良いとは言えませんが、爪跡残した様に思えます。
私がプロレスを見始めた頃に日本マットからフェードアウトしたので
子供の頃TVで一回見た位でしたが、全日本に招聘された外国人レスラーの中でも
オコーナーだけは選手仲間に「Sir」を付けられていたそうな。
ドロップキックの名手、No1にオコーナーを挙げる方居ましたな。山本竜二でした。
国際はとにかくスタート時からヒロマツダの離脱とグレート草津の失敗と
ゴダゴダですね。フロリダを主戦場にするマツダをエースにするに最初から無理だったと。
大木は、その木マンマンだったでしょうね。実際、周りに焚き付けられた大木が
テーズにシュート仕掛けたら、ストレートパンチで額を叩き割られ返討ちにあったそうで。
エゴも強いので、後年に国際に上がっていても、団体側は相当扱いづらかった様で
フェードアウト状態で切られた様ですね。大木の要求するギャラが全く合わないとか。
もし東郷が引き抜きに成功したら意地でもエースから降りず下が育たなかったかも知れません。
天龍革命の頃にタッグで天龍からリングアウト勝ちした頃が井上の最後の栄光期だったかもです。
しかし、全日本は大仁田離脱後、若い渕をJr.のチャンピオンにさせず
井上で長期政権を築いたというが、新日本と全く違うシブい路線です‥。
全日本がJrで新日本と対抗する気持ちが無いという提示の様な。

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