K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

羊飼いと風船

2021年02月19日 | 映画
チベットの天才映画監督ペマ・ツェテンの作品が遂に一般劇場公開!一昨年の東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞した作品『羊飼いと風船』をご紹介します。
 
 
《Story》
神秘の地 ・ チベットの大草原で暮らす三世代の家族。
祖父は変わりゆく時代を憂いながらお経を唱え、若夫婦は3人の息子たちを養うため牧畜をして生計を立てている。いたずら盛りの子どもたちは、のびのびと大草原を駆け抜けている。昔から続く、慎ましくも穏やかな日々。しかし、受け継がれてきた伝統や価値観は近代化によって変わり始め、中国の一人っ子政策の波が押し寄せていた。そんなある日、母・ドルカルの妊娠が発覚する。喜ぶ周囲をよそに、望まぬ妊娠に母の心は揺れ動く。伝統的な信仰と変わりゆく社会の狭間に立たされ、次第にすれ違う家族―葛藤の末、彼女が選んだ道とは…
(「『羊飼いと風船』公式サイト」より)
 
仏教を信仰するチベット民族と宗教を認めない中国共産党のズレを「妊娠」という事象を通じて叙事詩的に描いた傑作です。東京フィルメックス最優秀作品賞は伊達じゃない!
 
【授賞理由】東京フィルメックスは過去にこの監督の傑作を評価していますが、この新作は彼の作品の中でも映画表現の新しいレベルに達しています。オープニングの遊びの視点から侯孝賢へのオマージュとなる美しいクロージング・シーンまで、本作品はチベットの特殊な難問を幅広い、洗練された観点で描いています。つまり仏教的信心と国の政策と個人の心理的要因のぶつかり合いを通して今日のチベット人の生活について多くを語っています。2019年のフィルメックス最優秀作品賞はペマツェテン監督の「気球」です。(「第20回東京フィルメックス受賞結果」より
※原題は"Baloon"でフィルメックス上映時の作品名は『気球』
 
原題が"Baloon"なのに邦題に「羊飼い」という文言を加えるのはどうなのでしょう?
少なくともキリスト教的な要素が生まれるわけですが、作中はあくまでチベット仏教と中国の一人っ子政策の衝突を描いているので、蛇足では……とも思ってしまいます。
それともキリスト教含むあらゆる宗教に不寛容な共産主義、というニュアンスを入れたかったのでしょうか?或いは生殖を制御しようとする羊飼いが中国政府のアレゴリー?
原題と比較すると色々と考えるべきことのある邦題です。
 
 
チベット仏教と中国政府
 
一人っ子政策を取る中国と輪廻転生を信じ子供を堕すことを禁忌とするチベットの人々、主人公のドルカルは四人目の子供を妊娠することで生殺与奪という問題に直面します。
産めば経済的負担は免れない、堕胎すれば信仰心の厚い夫からの誹謗、そして亡き義父の生まれ変わりと信じる息子たちの期待を裏切ってしまう、ドルカルの静かな葛藤と心の動きが丁寧に描写されています。



重要なキーパーソンがドルカルの妹ドルマです。彼女は過去に堕胎を経験し宗教との葛藤から出家をした人物であり、まさにドルカルの求める道を歩んできた人物なわけです。
ドルマは過去の後悔から姉の堕胎を止めようとしますが、ドルカルはドルマを妊娠させた男を許せず、結局自らも出家という決断をします。



また、彼岸と此岸、仏教的な死生観が水やガラスといった媒体を通じて美しく表現されている点も見事です。
亡くなったはずの義父の姿が水面に映し出されるシーンはまさに彼岸の描写ですし、ドルカルの苦悩の表情が水や窓ガラスに映し出されるシーンは出家に心揺る彼女の繊細な心理を表現しています。




羊と風船

本作における重要なアイコンはタイトルにもある「羊」「風船」です。

「羊」は牧畜を生業とする一家にとって必要不可欠であり、生計を立てるために種羊を一頭近隣から借りてきます。
ここで行われる「強制的な性行」はまさに生殖のコントロールであり、中国政府の行う一人っ子政策と同義なのです。奇しくも、一人っ子政策で悲劇を被ったこの一家は、生活のために自らも動物に対し同じ行為を強いていたのです。
ここに、ミイラ取りに似たアイロニーの妙、羊が羊飼いになる皮肉が表現されています。生殖という生命の営みを制御しようとする人間の傲慢さを批判的に捉える視点でもありますね。



そして「風船」というアイコン。冒頭では子供達が膨らませた白いコンドームとして、最後には父親の買った赤い風船として物語に登場します。
作品冒頭、白い靄がかったシーンから始まるのですが、これは膨らんだコンドーム越しでみた景色です。
この膨らんだコンドームは父親が子供たちを叱りつけながら割るのですが、このシーケンスはまさに妊娠を想起させます。



そして後半、ドルカルの去った後、少しでも父親らしいことをと子供たちのために買ったのが赤い風船です。



子供たちは風船と共に駆け出しますが、あっけなく空に放たれます。青空に向かって飛んでいく赤い風船はどこか生命力を宿し、精子のメタファーのようにも写り、また堕胎された子供を暗示させるようにも映ります。
父親から子供たちに手渡され、子供たちと共に草原を駆けた赤い風船は、末弟としての可能性を示すかのよう。



彼は天国に向かい、地上の人々は天を仰ぎその昇天を見送ります。さまざまな寓意に溢れた傑作でした。
 
本作に合わせてチベット映画祭も開催されておりますので、良ければぜひ足をお運びください。
来年は前回のフィルメックス最優秀作品賞を受賞したアゼルバイジャンの『死ぬ間際』が一般公開するのでしょうか。そしてアゼルバイジャン映画祭?できるのか……?


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2 Comments

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Unknown (ブログ)
2021-02-19 22:01:39
noteとかに変えた方がいいですよ
Unknown (tadakeima)
2021-02-20 10:04:33
コメントありがとうございます!早速アカウント作ってみました。比較してみますね。

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