K馬日記

Art always makes me happy.

編集CDR『Ombra mai fu』

2017年07月20日 | 音楽
おはようございます。先日は久しぶりの演奏会でした。非常に疲れましたが、やっぱり音楽って良いですね、と再認識!

ということで、久しぶりの音楽ネタ。我が家には編集CDRという「オリジナルアルバムを作る」奇妙な習慣(要はプレイリスト作成)が先代から続いているのですが、久しぶりに新作を作りました。

編集CDR『Ombra mai fu』
01 ラヴァーズ・コンチェルト / サラ・ヴォーン
02 Awakening / 渡邊琢磨
03 おまじない / 中村一義
04 Someone In The Crowd / Callie Hernandez, Emma Stone, Jessica Rothe & Sonoya Mizuno
05 Baby I Love You / くるり
06 The♡World♡End / 堀江由衣
07 絆 / エレファントカシマシ
08 Honesty / ビリー・ジョエル
09 美しき思い出 / amazarashi
10 流動体について / 小沢健二
11 オンブラ・マイ・フ 〜Ombra mai fu〜 / 手嶌葵
12 Finale / 渡邊琢磨
13 やさしくなりたい / 斉藤和義
14 A LOVER'S CONCERTO / 薬師丸ひろ子

最近映画音楽のクオリティの高さを再認識し始め、今までとは一風変わっています。
映画音楽と言えば、個人的には卒論で触れた武満徹や芥川也寸志が思い浮かびますが、最近の映画音楽も負けず劣らず素晴らしい。芸術指向ではなく、電子音を巧みに使った「演奏不可」な作品であることが特徴的です。

以下、楽曲解説

01 ラヴァーズ・コンチェルト / サラ・ヴォーン
バッハのメヌエットがベースとなっているジャズのスタンダードナンバー。テレビで流れて虜に。

02 Awakening / 渡邊琢磨
映画『美しい星』で家族が異星人として覚醒するシーンの音楽。目覚めるような電子音の洪水が心地良い。

03 おまじない / 中村一義
ベートーヴェンの交響曲をモチーフにしたアルバム『対音楽』の4曲目。ベト4とか聞いた記憶がほぼないけど……

04 Someone In The Crowd / Callie Hernandez, Emma Stone, Jessica Rothe & Sonoya Mizuno
みなさまご存知映画『ラ・ラ・ランド』の楽曲。劇中のエマ・ストーンが可愛すぎたなぁ、衣装含めて。

05 Baby I Love You / くるり
ザ・ラブソング。個人的にはミスチルの「君が好き」並にボリュームのある楽曲かと。

06 The♡World♡End / 堀江由衣
アニメ『ゴールデン・タイム』より。いかにも"アニソン"って感じなんだけど、楽曲のレベルが高いんですよ〜

07 絆 / エレファントカシマシ
エレカシだけどしっとりと歌い上げられる曲。宮本さんの渋い声は良いなぁ。

08 Honesty / ビリー・ジョエル
"Honesty is such a lonely word. Everyone is so untrue."

09 美しき思い出 / amazarashi
amazarashiはここ数年で久しぶりに歌詞で心が揺れたアーティスト。最後の魂の叫びに圧倒される。

10 流動体について / 小沢健二
オザケンの新曲。ストリングスを中心としたオザケンサウンドは健在ながら、その色褪せなさは流石と言うべきか。

11 オンブラ・マイ・フ 〜Ombra mai fu〜 / 手嶌葵
映画『永い言い訳』のテーマ曲。身近な存在への感動を伝える楽曲。ノンビブラートの手嶌葵の透明な声が素晴らしい。

12 Finale / 渡邊琢磨
映画『美しい星』のエンディング曲。ブルガリアン・ヴォイスを思わせるようなエキゾチックな響きが癖になる。

13 やさしくなりたい / 斉藤和義
冒頭のギターソロで気持ちを煽られる。「愛なき時代に生まれたわけじゃない」良い台詞だ。

14 A LOVER'S CONCERTO / 薬師丸ひろ子
冒頭のサラ・ヴォーンから薬師丸ひろ子へ。同じ旋律ながら、無垢で素朴な声が切ない。
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N.S.ハルシャ展 チャーミングな旅

2017年07月13日 | 美術
おはようございます。Amazon Prime Dayで戦利品(ビジネスバッグ、サンダル、革靴、ワイヤレスイヤホン、Fireタブレット)をゲットしてホクホクしているただけーまです。

今更かよ感満載ですが、先日まで森美術館で開催されていた展覧会「N.S.ハルシャ展 チャーミングな旅」に行ってまいりましたのでその感想をば。



インドの現代アーティストであるN.S.ハルシャのミッドキャリア・レトロスペクティブに位置付けられる展示会です。
彼の作品の特長を一言で表すとすれば「曼荼羅的ミニマリズム」(勝手に造語)でしょう。インドのアーティストだから曼荼羅的と考えるのは、非常に安直な私ですが、その繰り返される人物像はまさに仏の繰り返しである曼荼羅に通じる表現ではないでしょうか。




N.S.ハルシャ 三連作《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》



N.S.ハルシャ《ここに演説をしに来て》

特に《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)は、ゴーギャンの《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》に通じるような、人類起源にフォーカスを当てた壮大な連作のように感じました。寧ろ、これがゴーギャンの作品に対するアンサーだとしたら、興味深いですね。つまり、私たちは何者でもあり、何者でもないという全と一の宇宙観。仏教的ではないですか!

そして、途上国における資本の流入という社会的な問題にもN.S.ハルシャは着目しています。


N.S.ハルシャ《私の目を見て》


N.S.ハルシャ《必要悪》


N.S.ハルシャ《2度目のオーガズム》

《私の目を見て》では、インドの伝統的なブラーフマンの像の首回りに、欧米的文化のアイコンが首輪のように並んだわかりやすい表現です。
逆に《2度目のオーガズム》は、鍬がビジネスバッグに突き刺さり中から米が溢れているという、資本流入による農村文化への悪影響を示唆した作品に見えるのですが、タイトルの真意が不透明です。
昨今の資本流入が2度目だとすれば、1度目は16世紀に興った東インド会社の度重なる設立でしょうか。考察の余地が多く、最後まで真意を図りかねました。

そして、ハルシャの社会問題への関心は、労働問題、女性差別問題、ナショナリズムと徐々に広がりを見せます。特に《ネイションズ(国家)》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)という、193台の足踏みミシンを使用したインスタレーションアートは圧巻でした。インド独立運動を示唆するチャルカと呼ばれる糸車に着想を得た作品です。
また、参加型のインスタレーション《未来》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)では、子供たちが白シャツに絵を描くというワークショップを通じて生まれた作品です。
「未来の多様性」と「ミニマリズム」が掛け合わされた圧巻の作品でした。



N.S.ハルシャ《未来》

最も興味深かった作品は、ハルシャの宇宙観を示した《ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)という作品です。


N.S.ハルシャ《ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ》

ここで興味深いのは、宇宙が空間的な広がりとして描かれていないことです。一筆で円環的に描かれている。つまり、宇宙の流れにはある種の指向性があるという宇宙観を持っていることがわかります。

宇宙がどういう方向に広がっているかはわかりませんが、少なくとも時間的にはある一定の方向に進んでいます。
時間という概念を考慮しない前提で、物理学では「割れたコップが元に戻る可能性はゼロではない」らしいですが、時間という概念があるが故に、覆水盆に返らずという状況になってしまうそうです。
それは、ビッグバンが起きた際、宇宙は「エントロピーが増大する」という方向性に舵を切ったから。それが時間的な方向性の裏づけになっている(という説がある)そうです。なのでタイムトラベルは、エントロピーが増大していく未来には行くことができますが、過去へは戻ることができないそうです。

ナショナルジオグラフィックで得た薄い素人式の知識で恐縮ですが、そういった背景も踏まえるとさまざまな宇宙観に興味をそそられます。
円環的なのは輪廻転生につながるブディズムに託けるのはあまりにも安直でしょうか。
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ミシェル・ゴンドリー『グッバイ、サマー』

2017年07月04日 | 映画
最近蒸し暑いですね……不快指数が高まって夏の到来を感じつつあるただけーまです。

今回は、そんな夏にぴったりの映画、ミシェル・ゴンドリー監督の『グッバイ、サマー』をご紹介します。




14歳。子供でもない、大人でもない狭間の時期。画家を目指すダニエルは沢山の悩みを抱えていた。
中学生になっても女の子のような容姿で、クラスメイトからミクロ(チビ)と呼ばれて馬鹿にされており、恋するローラにはまったく相手にされていない。おまけに母親は過干渉で、兄貴は暴力的なパンク野郎だ。誰も本当の自分を理解してくれる人はいない……。
そんなある日、ダニエルのクラスに変わり者の転校生がやってくる。名前はテオ。目立ちたがり屋で、自分で改造した奇妙な自転車を乗り回し、家の稼業のせいで身体からガソリンの匂いを漂わせている。周囲から浮いた存在のダニエルとテオは意気投合し、やがて親友同士になっていく。学校や家族、そして仲間達、みんなが二人を枠にはめて管理しようとしてくる。息苦しくて、うんざりするような毎日から脱出するため、彼らは“ある計画”を考え付く。それは、スクラップを集めて〝夢の車”を作り、夏休みに旅に出ることだった―。(「映画『グッバイ、サマー』公式サイト」より)


思春期のガーリッシュな男の子ダニエルが、一夏の友人との経験を通して成長する青春ロードムービー。
まず一言言えるのは、ショタコン好きは絶対に観るべき作品。ダニエルのとてつもないかわいさはさることながら、思春期男子の初々しい友情に思わず萌えてしまいます。



手作りの小屋型車(謂わば木製キャンピングカー)で旅をするという無茶な設定も、ツッコミどころ満載ながら、少年時代の素朴なイノセンスを象徴するアイコンのようにも感じられます。彼らは「大人の乗り物」を作り、自由に冒険の旅をする。



男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言いますが、ガーリッシュな男の子が青年へと変わるその「少年性」の尊さをここまで描き切れたのは、この映画の主演を務めたアンジュ・ダルジャンくんの透明なまでの美しさのおかげでしょう。
見目の幼さとは裏腹に、まだ発現してない性欲をその身体に宿す少年という非常に難しい役どころを見事に演じ切っていました。









他人に影響を受けやすい恋愛体質の少年だったダニエルは、友人テオとの(少年にとっては)危険な夏の冒険を経て見事に変身します。
片想いしていたローラに心を振り回される少年は最早そこには居らず、ダニエルは他人に影響を受けないテオの姿勢に学んだのでした。そこに居るのは自らの人生を切り開く青年の卵です。



テオの居なくなった校舎で、ダニエルが堂々とした足並みで肛門を出るラストシーン。そこでダニエルの背中を目で追うローラの心情が、初めて「ローラの主観で」描かれます。
しかし、ダニエルは振り返るよう視線を送るローラの方を振り返らず、足早に校舎から出ていってしまう。少年少女の心のすれ違いを描いた素晴らしい青春映画でした。
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トム・ムーア『ソング・オブ・ザ・シー 海の歌』

2017年06月27日 | 映画
こんばんは。このところ、異常なほど飲み会が多いただけーまです。誘われている内が花と思ってがんばります。

今回は隠れた名作アニメ映画『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』の感想です。アイルランドの魅力がふんだんに詰まった名作でした。




【Story】
小さなベンは、いつもいろいろなおとぎ話や歌を教えてくれる心優しい母親ブロナーと、父親コナーと共に海沿いにある灯台の家で暮らしていた。赤ちゃんの誕生を心待ちにしていた彼は、ある晩、母に海の歌が聞こえる貝の笛をプレゼントされ、大喜びして笛を抱きしめたまま眠りに落ちる。翌日彼が起きると、妹のシアーシャを残したまま、母の姿はなく……。(シネマトゥデイより)


アイルランドに伝わるシルキーというあざらしの精をテーマにした作品。そのほかにも、精霊ディーナシーやフクロウ魔女マカ、伝説の巨人マクリルなど、アイルランドの伝承がギュッと詰まっていて、特にアイリッシュ音楽が非常に心地よい作品でした。
ビジュアルで想像していた物語より何十倍も良くて、思わずパンフレットを買ってしまいました……くそ〜かわいいっ!!!





人間の父親とシルキーの母親を持つ兄ベンと妹のシアーシャ。ベンは「人間の子」として順調に育つも、シアーシャはシルキーの血が強く、海の呪縛を受け言葉が話せない少女でした。





異類婚姻譚特有の幻想的な構造の中で、ベンは兄として成長し、シアーシャはシルキーと人間の狭間で揺れることになります。種族を超えて互いを思いやる姿に普遍的な家族愛を感じられる、心温まる作品でした。

アイルランドの民謡が物語の重要なキーとなっていて、言葉の話せないシアーシャが民謡を歌い出すラストシーンは圧巻です。あまりにも美しく、思わず見惚れてしまいました。
トム・ムーア監督はジブリにとても強い影響を受けているようで、特にトトロともののけ姫、かぐや姫など、日本の文化に根付いた作品に強い影響を受けたそうです。確かに、マカの両面性のある姿は湯婆婆と銭婆に重なりますし、シアーシャの天真爛漫な動きはかぐや姫を想起させます。





それにしても、アイルランドのシルキー伝説(あざらしの衣を奪った男性と結婚し、取り返すと海に帰るという伝承)と天女の羽衣伝説が非常に似通っていて、異類婚姻譚という文化の普遍性に驚きを隠せないのでした。
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山田尚子『聲の形』

2017年06月15日 | 映画
個人的2016年映画ランキングベスト1位を獲得した山田尚子監督、大今良時原作の『聲の形』です。
劇場で3回観るという初めての暴挙をし、3回とも泣くという、好みどハマりの作品でした。初回限定版のBlu-rayも購入したのでもう一度観ましたが、案の定涙が……ありがとう京都アニメーション……



<Story>
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。

やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。
(「映画『聲の形』公式サイト」より)


身体障害者に対する偏見や差別という重い問題をテーマに設定し、ひとりの青年の人生を切り取った作品。京都アニメーションの描く圧倒的なリアリズムと妙に現実味のある登場人物に、つい物語の中に自身を投影してしまいます。

聾者 西宮硝子の転入は、狭い世界を生きる小学生にとっては一つの事件でした。当時「退屈と戦う」ことが信条だった石田将也にとって、格好の暇つぶし。すぐに将也は西宮イジメの主犯格となります。
ただ、おちゃらけキャラの石田はクラスの人気者でもあり、小学校の人気者って権力者だよな、などと過去を思い返しつつ、そのクラスや校庭の雰囲気の描写のリアルさに驚かされます。



障害者をいじめることで小学校生活を楽しんでいた将也「たち」ですが、教師によってイジメの主犯格として吊し上げられると、今度は将也がイジメの対象に。完全に自業自得ではあるのですが、将也とつるんでイジメに参加してた面々がお咎めゼロというのは、そこまで生徒のことを見ていない(考えていない)教師のリアルへと結実していきます。実際その怠慢は、西宮のイジメに気づいていたであろう教師が、親からのクレームが入るまで静観を決め込む態度からも明らかです。
とまれかうまれ、自業自得とは言え、この事件がきっかけで将也は周囲と関わりを持たなくなってしまうわけです。

そして、高校生の頃、将也は親に金を返して、橋から飛び降りを決意。しかし、死ぬ前に罪を雪ごうと地元の聾学校へ顔を出し、そこで小学生ぶりに西宮と再開を果たします。



罪の意識からか手話を覚えていた将也。小学校の頃、しきりに西宮が将也に手話で伝えていた「友達になろう」というメッセージを、今度は将也が西宮に向かって伝えます。(もう、この時点で涙目ですよ……)

そこから、死を決意し「終えた」将也は、西宮と過ごしていく中で、第二の人生を歩み始めようと葛藤します。
西宮と高校生の友人たちに加え、小学校の頃、一緒になって西宮を揶揄っていた女子の面々もさまざまな思惑から加わり、「パッと見」充実した高校生の集団が形成されます。
しかし、そこでは嘗てのいじめっ子といじめられっ子が、嘗ての関係を清算しきらないまま集う、歪で奇妙なグループだったわけです。



その表面的な友情関係は次第に不穏な翳りを見せ、最終的に将也の過去がバレることで瓦解していきます。過去に深い罪悪感を抱いてる将也にとってはかなりキツい結末ですね。
そして、西宮の飛び降り事件で、西宮を救おうとした将也は意識不明に。彼の「第二の人生」は終わりを告げます。

そして、意識を回復し、パジャマのまま西宮と再会する将也。「生きるのを手伝ってほしい」というあの名シーンです!将也の「第二の人生」は、歪んだ見方をすれば、聾者の西宮を「救おうとする」上から目線な態度だったわけですね。
良い意味で特別扱いをしない、対等に付き合っていく、という想いが将也の台詞には溢れているわけです。
そして最後、文化祭で将也が心を開く時の演出が、稀代の名シーンでした。
学校で心を閉ざしていた将也は、トラウマを克服して小学生ぶりに心を開きます。そこには、将也が認識するのを恐れていた、笑顔で楽しむ大勢の高校生やその家族たちの姿が……という演出。
それまでのフィルターがかったBGMから、靄が晴れるようにフルサウンドへと移行します。その「泣かせにきてる感」ときたら!(まあ、その術中に嵌ってしまうわけですが……)
ここから、西宮と(?)将也の「第三の人生」が始まるんですね。



耳の「聞こえない」西宮をいじめた将也が、周囲の声を「聞かない」人生に至り、そして西宮によって再び周囲の声を「聞く」ことができるようになる、この円環的な構造が大変素晴らしい作品です。
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