K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

無関係な死・時の崖

2012年04月20日 | 文学
こんばんは!
最近肩こりとあごの痛みがひどいです、ただけーまです。
眼も腫れてしまってお化けみたいです。
ポケモンだったら「こわいかお」覚えてるレベルには腫れてます;;

と、やいのやいの言うておりますが。

今日は久しぶりに文学トピックで更新です^^
珍しいでしょー。本読むのめっちゃ遅いんだよねー^^

というわけで今回読破しましたのは安部公房先生の「無関係な死・時の崖」です。
これは短編集なので、どんな方でも軽い気持ちで・・・は無理ですね。
どの小譚も安部公房節が効いていて、とても深い内容でした。
アイロニカルなものも多くて、そういうのは星新一のショートショートを彷彿とさせますね。

・夢の兵士
・誘惑者
・家
・使者
・透視図法
・賭
・なわ
・無関係な死
・人魚伝
・時の崖

の10編からなっております。
お気に入りなのは、「なわ」と「人魚伝」かなあ。
みなさん安部公房の「棒」は高校時代に教科書でやったと思うのでご存じだと思います。
それは、人間の原始的な道具としての「棒」であって、当時の没個性的な社会を揶揄したモノでしたね。
「なわ」では何を表現したかったかはイマイチよくつかめなかったのですが。
縄で子猫と人間を殺す姉妹の話なので、多分対象の不確定性のようなことを言いたかったのではないかと。
うそ、ごめん超適当。

最後の文が印象的ですね。

『「なわ」は「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」の1つだった。「棒」は、悪い空間を遠ざけるために、「なわ」は、善い空間を引きよせるために、人類が発明した、最初の友達だった。「なわ」と「棒」は、人間のいるところならば、どこにでもいた。いまでも、彼等は、まるで家族の一員のように、すべての住居に入りこみ、住みついている。』

機能面でなわと棒を対置している点で、揶揄としての意味も反転させているのではないでしょうか。
短編「棒」では、主体の没個性を揶揄していた(と私は習いました)
ということは、「なわ」は客体の没個性を揶揄していたのでしょうか。
もちろん、小説の舞台設定はまるっきり違いますが・・・
「棒」での少年と「なわ」での姉妹は、人外の存在と言う雰囲気においては共通している節もあるように思いました。

まあ、色んな読み方が可能ですよね。
読者にゆだねられている以上、安部公房の思考レベルにまで達さなければ、結局何が言いたいのかなんてわからないもんでしょう。
ウンベルト・エーコの「開かれた作品」ですなほうほう。


「人魚伝」はなんというか。
人魚伝説の非常にシニカルな解釈というか。
えーwwwそうとっちゃうのwww
という新しすぎる、想像だにしなかった解釈が面白いです。
人魚の肉を食べると不老不死になれる、という伝説を・・・
どんな脳みそしてたらこんな解釈できんの?
って感じですよもう。

これは内容に一切触れない方がいいと思うので、是非興味が出てきた方は読んでみてください!

どうせ読まないなんてことは百も承知です。
とりあえず社交辞令までに笑

次は何を読もうかなー。
まあ、読んでない本が腐るほどあるから、ガンガン読んでこ。
卒論の本もちょくちょく読み始めなきゃなあ・・・

あ、卒論テーマは「記録芸術の会」についてまとめようかなと思ってます。
多分卒論レベルだと一人を中心に、全体を論じていく形になるかな、と。
とりあえず勅使河原宏中心に全体をまとめていこうかなと画策中です。

ではでは。
おやすみなさいませませ。

hona-☆

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