それから16年の月日が流れた、、たまたま日本へ帰った時、母が「お前に手紙が来ているよ」と一通の海外メールを私にくれた。差出人を見るとコリン バウアーとある。開けて見ると次のような事が書いてあった。
「アルバムを見ていたら赤ちゃんの私を抱いている東洋人がいた、この人は誰?と父に聞いてみると 仕事の帰りに拾ったヒッチハイカーだ、彼は日本人だ、しばらくグリンデルワルトで仕事をしていた。何回かお前を連れて訪ねた事があったよ、確か住所を書いた紙を貰ったはずだ。興味をもった私は父と一緒にその紙を探した、それは父の財布の中にあった。15年間も、、今手紙を送ります、届いたら必ず返事を下さい」そうかヨーロッパでの貧乏旅行中スイスでお世話になった
バウアーさんの赤ちゃんが高校生なって手紙をくれた、こういう事なのだ。
アメリカに帰ってからしばらくして返事を送った。グリンデルワルトを出てからの事を簡単に書いて現在は結婚して子供が二人、サンフランシスコに住んでいる等々、すぐに返事が来て手紙を受け取った喜びがそして大変大変嬉しかったと素直に書かれていた。その後何回か手紙のやりとりがあったがいつしか途絶えてしまった。
そして4年後又コリンから手紙を貰う、、
「アルバムを見ていたら赤ちゃんの私を抱いている東洋人がいた、この人は誰?と父に聞いてみると 仕事の帰りに拾ったヒッチハイカーだ、彼は日本人だ、しばらくグリンデルワルトで仕事をしていた。何回かお前を連れて訪ねた事があったよ、確か住所を書いた紙を貰ったはずだ。興味をもった私は父と一緒にその紙を探した、それは父の財布の中にあった。15年間も、、今手紙を送ります、届いたら必ず返事を下さい」そうかヨーロッパでの貧乏旅行中スイスでお世話になった
バウアーさんの赤ちゃんが高校生なって手紙をくれた、こういう事なのだ。
アメリカに帰ってからしばらくして返事を送った。グリンデルワルトを出てからの事を簡単に書いて現在は結婚して子供が二人、サンフランシスコに住んでいる等々、すぐに返事が来て手紙を受け取った喜びがそして大変大変嬉しかったと素直に書かれていた。その後何回か手紙のやりとりがあったがいつしか途絶えてしまった。
そして4年後又コリンから手紙を貰う、、