goo blog サービス終了のお知らせ 

【 蛸 グ ラ フ 】

八方手詰まり。

-Learning to be Me

2005-11-10 11:33:10 | ■misc
月曜日に、NHKでサイボーグ特集をやってました。先週の再放送だそうなので見た方も多いかもしれません。番組では、考えただけで機械の腕を動かしたり、直接脳に疑似信号を送って聴覚視覚を機械で代替する技術、脳深くにある患部まで電極を刺して刺激し鬱病やパーキンソン病などの治療(症状の抑制)する実例、リモコンで実験マウスを”操作”したり、思考だけでコンピュータを操作する技術、マウスの海馬を解析したチップをつかって人間の記憶障害の治療や記憶の外部保存に応用する構想などが紹介されてました。

脳に機械と接続する端子を埋め込むブレイン・マシンインターフェイスはSFの小道具としては既にありふれた物ですが実際に映像で見るとなかなかショッキングです。脳の表面に電気刺激を与えて調べていったペンフィールドの体性機能地図からついにここまできたか、という感があります。晩年ペンフィールドは心身二元論に転向しましたが、かつて心の病いと言われていた物もまるで機械のように直ってしまう現代の脳治療技術を見たらなんと洩らすか。神の領域の侵犯だと批判する人は多くいるでしょうが、実際にこれらの技術で救われた人たちが数万の単位でいること、巨大なマーケットを産む分野であることから恐らくこの流れは止まらないでしょう。

番組を見てて思い出したのはグレッグイーガンの短編集「祈りの海」に収録されている「ぼくになることを」でした。この短編では生まれたときからの記憶や個人の人格といったパーソナリティを記録・学習させた<宝石>とよばれる一種のコンピュータが出てきます。作中で人々は脳組織の老化が始まる前に<宝石>にそっくり機能代替させて元の脳をほじり出される<スイッチ>が一般に広く行われている社会が描かれていますが、通常は家族も恋人も当人すら、生身からの<スイッチ>前後の変化に気づくことはないということになっています。物(機械)とヒトが置き換え可能かもしれないという、この短編の読後に受ける不気味さや恐怖について真剣に考えなければいけない時代になったということを番組は告げているのかもしれません。

番組中印象的なもののひとつで、脳に繋がれた機器の目で当初は数百の解像度で知覚できたものの、開発者の死去と機器の老朽化で今は5,6個の光点でしか世界を視れなくなったが、それでもその機械の目が心の支えになっているという全盲の方のインタビューには切ない思いを感じました。その方は自分の子供の顔が見たいという理由で手術を申し込んだそうです。遺伝子工学と神経工学の進歩は人間の根幹に関わるだけに、かつて社会を揺るがした地動説や進化論以上の衝撃になってきそうですね。

-PRINCESS CROWN

2005-11-06 09:19:50 | ■Culture
プリンセスクラウン
遅ればせながら祝PSP版発売。PSPを買ったのは、ほぼこのゲームのためでした(…GTも期待してるけどいつ出るやら…)。

ドットアニメといえば僕の中ではこれとメタルスラッグ、ヴァンパイアって感じです。もう8年になるけど今見てもセンスの良さに舌を巻くゲーム。ダンジョンが単調すぎたり、ゲームとしては微妙な部分も感じるけれどそれを上回る魅力が詰まってると思います。
右の絵は前垂れをエプロンにしてみたけどちっとも違和感のない悪食女王。
原寸1600*1200サイズ(219KB)

普通に再プレイしてもつまらないので清貧女王様プレイでちまちま遊んでます。

・物欲を慎み、また重い荷物は女王の負担にもなるのでバッグは一つのみ。
・装備品はすべて現地調達。庶民生活の厳しさに学び、在野的手法で己の帝王学を培うべし。
・ユグラドシルの実は女王の美容と健康維持のため新鮮なうちに入手したその場で頂く。
・地面に落ちた食べ物は拾い食いしない(煮炊きできる食材を除く)。
・姉君から貰った200Gとペンダントはお守りとして大事にとっておく。
・こまめに宿泊し旅の塵を落として清潔を保つ。

サターン版でクリアを諦めてたトロッコレースを今回目を三角にしてようやく上級クリアしたもののポケットティッシュレベルの景品に魂を抜かれました。ドワーフ王のあまりの吝嗇っぷりに腹がたったので、王宮に魚の骨や食いかけのトウモロコシなど残飯をまき散らして嫌がらせ。壊れない魔法のフライパンとかを期待してた自分は甘うございました。

-Jan Svankmajer

2005-11-01 00:23:10 | ■Culture
ヤン・シュヴァンクマイエルの世界に行ってきました。いくつかの短編はDVDで観てたんですが長編の「悦楽共犯者」をまだ観てなかったので。シュヴァンクマイエルはオブジェに肉体を与えて、生理的嫌悪感すら匂い立たせる映像作家として知られる人で作品どれをとっても鮮烈です。ある意味、真の「アニメーション」の求道者。
あと、タルコフスキーの映画なんかもそうですが、寂然とした美しい風景と孤独でちょっと気鬱入ってる文芸的な作風が共産圏作品には通底してる気がして興味深いです。笑えるポイントもたくさんあると思うんですが、検閲制度やら冷戦時代の背景からかずいぶんひねくれてるように感じますね。

漫画のキャラというのは所詮絵に過ぎないわけで、ペラな絵にいかに身体性を持たせナマっぽくできないか色々考えるわけですが、そういう演出手法を探るときシュヴァンクマイエルの作品はかなりの刺激になります。命をもたない物体が呼吸し、湯気を上げて贓物や体液を撒き散らし、暴力を持って他者を喰らい、殺される。肉体のリアリティとか生存のダイナミズムの表現は単純な現実の模写である必要はないこと(逆説的に人間もまた単なる物体ではないのかということ)を端的に教えてくれるわけです。

お目当ての悦楽共犯者は、何人かの男女がそれぞれに病的な快楽、充足を求めて奇怪な行動を重ね、微妙な”共犯”関係となる様が80分執拗に描かれていくという物でした。冒頭からしてエロ本を物色する禿頭青年と中年店主の粘っこい視線で速攻椅子を蹴って映画館をおん出たくなるイヤな気分にたたき込んでくれます。出てくる奴らみんなヘンタイさんばかりなわけですが、お気に入りはきちゃなくて一等エロい郵便屋。就寝のシーンはたぶん途中笑いが凍り付くこと請け合いでしょう。僕は吐きそうになりました。

とってもいい映画でしたが、白目むくほどあんなに没頭してて、こちとら見てるだけなんですよ。自分だけ愉しみやがってあいつらほんとサイアクですね。

らくがきは前回エントリのキャベツ畑つながりで「オテサーネク」。
…辞書を引くとキャベツには女性性器の暗喩の意味もあるそうで。それを踏まえると、切り株から赤子になったオテサーネクがキャベツを食って腹痛を起こし、お婆さんにクワで腹を割られて中からオテサーネクに食われた人々が出てくるという原作民話の展開はまた味わい深く感じます。

Amazon検索
2minus #00/シュヴァンクマイエル
ヤン・シュヴァンクマイエルの食卓