月曜日に、NHKでサイボーグ特集をやってました。先週の再放送だそうなので見た方も多いかもしれません。番組では、考えただけで機械の腕を動かしたり、直接脳に疑似信号を送って聴覚視覚を機械で代替する技術、脳深くにある患部まで電極を刺して刺激し鬱病やパーキンソン病などの治療(症状の抑制)する実例、リモコンで実験マウスを”操作”したり、思考だけでコンピュータを操作する技術、マウスの海馬を解析したチップをつかって人間の記憶障害の治療や記憶の外部保存に応用する構想などが紹介されてました。
脳に機械と接続する端子を埋め込むブレイン・マシンインターフェイスはSFの小道具としては既にありふれた物ですが実際に映像で見るとなかなかショッキングです。脳の表面に電気刺激を与えて調べていったペンフィールドの体性機能地図からついにここまできたか、という感があります。晩年ペンフィールドは心身二元論に転向しましたが、かつて心の病いと言われていた物もまるで機械のように直ってしまう現代の脳治療技術を見たらなんと洩らすか。神の領域の侵犯だと批判する人は多くいるでしょうが、実際にこれらの技術で救われた人たちが数万の単位でいること、巨大なマーケットを産む分野であることから恐らくこの流れは止まらないでしょう。
番組を見てて思い出したのはグレッグイーガンの短編集「祈りの海」に収録されている「ぼくになることを」でした。この短編では生まれたときからの記憶や個人の人格といったパーソナリティを記録・学習させた<宝石>とよばれる一種のコンピュータが出てきます。作中で人々は脳組織の老化が始まる前に<宝石>にそっくり機能代替させて元の脳をほじり出される<スイッチ>が一般に広く行われている社会が描かれていますが、通常は家族も恋人も当人すら、生身からの<スイッチ>前後の変化に気づくことはないということになっています。物(機械)とヒトが置き換え可能かもしれないという、この短編の読後に受ける不気味さや恐怖について真剣に考えなければいけない時代になったということを番組は告げているのかもしれません。
番組中印象的なもののひとつで、脳に繋がれた機器の目で当初は数百の解像度で知覚できたものの、開発者の死去と機器の老朽化で今は5,6個の光点でしか世界を視れなくなったが、それでもその機械の目が心の支えになっているという全盲の方のインタビューには切ない思いを感じました。その方は自分の子供の顔が見たいという理由で手術を申し込んだそうです。遺伝子工学と神経工学の進歩は人間の根幹に関わるだけに、かつて社会を揺るがした地動説や進化論以上の衝撃になってきそうですね。
脳に機械と接続する端子を埋め込むブレイン・マシンインターフェイスはSFの小道具としては既にありふれた物ですが実際に映像で見るとなかなかショッキングです。脳の表面に電気刺激を与えて調べていったペンフィールドの体性機能地図からついにここまできたか、という感があります。晩年ペンフィールドは心身二元論に転向しましたが、かつて心の病いと言われていた物もまるで機械のように直ってしまう現代の脳治療技術を見たらなんと洩らすか。神の領域の侵犯だと批判する人は多くいるでしょうが、実際にこれらの技術で救われた人たちが数万の単位でいること、巨大なマーケットを産む分野であることから恐らくこの流れは止まらないでしょう。
番組を見てて思い出したのはグレッグイーガンの短編集「祈りの海」に収録されている「ぼくになることを」でした。この短編では生まれたときからの記憶や個人の人格といったパーソナリティを記録・学習させた<宝石>とよばれる一種のコンピュータが出てきます。作中で人々は脳組織の老化が始まる前に<宝石>にそっくり機能代替させて元の脳をほじり出される<スイッチ>が一般に広く行われている社会が描かれていますが、通常は家族も恋人も当人すら、生身からの<スイッチ>前後の変化に気づくことはないということになっています。物(機械)とヒトが置き換え可能かもしれないという、この短編の読後に受ける不気味さや恐怖について真剣に考えなければいけない時代になったということを番組は告げているのかもしれません。
番組中印象的なもののひとつで、脳に繋がれた機器の目で当初は数百の解像度で知覚できたものの、開発者の死去と機器の老朽化で今は5,6個の光点でしか世界を視れなくなったが、それでもその機械の目が心の支えになっているという全盲の方のインタビューには切ない思いを感じました。その方は自分の子供の顔が見たいという理由で手術を申し込んだそうです。遺伝子工学と神経工学の進歩は人間の根幹に関わるだけに、かつて社会を揺るがした地動説や進化論以上の衝撃になってきそうですね。