おっちーの鉛筆カミカミ

演劇モノづくり大好きおっちーのブログです
いろいろ活動してます
そのうち、みなさんにお目にかかれたらうれしいです

「クリエイター失格」

2020年06月16日 19時02分04秒 | 気づき
モノづくりにおいて、人を感動させるのは技術ではない。

そう思い続けてきた。


じゃあ何が人を感動させるのか。


それは、個人の生き方であり、その人そのものである。


若い頃からそう考えて、自分を磨いてきた。
そのつもりであった。


いくらうまい絵を描いても、

素敵な文章を書いても、

舞台を創っても、


本当の部分で人を感動させる、

いや、幸せにさせるには、

作り手自身の人間と触れ合ってもらうこと。

そしてそこに、幸せを感じられるような作り手であり続けること。


それがすべてと思い、
自分自身を形作ってきた。




いや、そんなモノづくりは不可能である。

そう考えたこともあった。


結局、自分自身の人生で表現するしかない。

そう思ったこともあった。


いくらモノを作っても、

それはやはりモノでしかなく。


血の通った人間の人生を、

表現し切れない。



だから、自分自身が幸せになることが、

周りの人を幸せにする唯一の方法。

幸せが波及していくのが、
それを形作るのが、

私に出来るたった一つのこと。


そう一度は結論づけた。


じゃあいま私は幸せなのか。


そう言うと、
そうではない。


私はいま、幸せではない。


世間一般で言う、

幸せの形では、少なくともない。


不幸せであるかというとそうではないので、

プチ幸せ、なのか。


でも、幸せをかみしめるような瞬間は、

毎日の中にはない。




私の作戦は、失敗している。




私の人生を掛けた壮大な計画は、

まだ成功していない。




そう、まだだ。

いま、私は土を食べているような状態。


土に這いつくばって、
土を食らっている。

そんな、状況。


ここから。
なんだろうな。


いまは何をするにも、

意識せずとも

何かをするためには

自分を頑張らなければ、
奮い立たせなければ、

何も出来ない。

そんな心身ともの状態である。


44歳。


ちょうど折り返し地点か。


俺はまだ負けない。


泥臭いことをするつもりはないけど、

大したことを成すつもりもないけど、

ただ、自分自身の人生をなるようになるように、
生きていく。


それだけでいい。


肩の力を抜いて、

何も成そうとはせず、

形作ろうともせず、

成功しようと力まず、

特別なこともせずに

ただ毎日を、

自分の人生として生きていければよい。


ナンバーワンとか、
オンリーワンとか、
ユニークとか、
特別とか、
私だけとか、
私らしくとか、


言葉を名付けない。


ただ自分の人生を

自分の歩き方で

力まずに

歩いていければ
いいな。



本当にそう思うよ。

CDとコンサート、特にクラシック?テレビを観ていて思ったこと

2020年06月14日 22時56分57秒 | 気づき
テレビやインターネットの充実で

生の価値が薄れている
忘れられがちになっている?

わかった気になってしまうんだ
なんでも知ったつもりになってしまうんだ


体感すること
体験すること

それは

ただ知ること
聞くこと
見ること

とは

別次元である


自戒を込めて

新しい社会って?

2019年08月15日 01時59分45秒 | 気づき
例えばだけどさ、就職活動をするとき。

「就職活動用の自分」で、「成功するための行動」をする。

就活相手の会社は、その就活生を見て、それを本当の彼だと「判断」して、就職に結びつける。

こんなおかしいことあるか!!??

それってだって「作った自分」なんでしょ??

「本当の、素の自分」でないものを表に出して、それを本来の自分とする。

その自分のまま、社会に出て、感じてしまう自身との食い違いに悩む、、、ってそりゃあ悩むに決まってるじゃん!!!

私は今の、「タテマエ社会」に警鐘を鳴らしたいです。

ぶっちゃけでいいじゃん、って思っちゃう。
常に本音で生きればいいじゃん、って思う。

全員がそれを始めたとき、新しい社会構造が生まれると思うよ。

どっちがいい、悪いじゃなく、僕はそうなって欲しいと思っちゃうな。

天災人災に向かうとき

2018年08月06日 23時42分22秒 | 気づき
生きる上で
その前に立ちふさがる障害は
僕たちに
本当に大切なものは何か
見いだせと
僕らを問いただしている

僕なりだが
恐らくその答えは

いまこの瞬間に集中すること
なのではないかと思う

その上で
行動を続けることなのだろう

何が起きても
崩れない価値というのは
自分の中にしかない

それを表出し続けること

それしかない

自分の考えをまとめるために

2018年07月31日 22時55分40秒 | 気づき
この記事を書く。

 ただ呼吸をするように、毎日を生きれば良いのではないか。

 仕事をすること、料理すること、人と付き合うこと、家族と話すことモノを作ること、それらを力まず意識せず、感じるままにやりたいように、考えずに行う。

 それが世にいう「楽しんで生きる」ことなのではないかな。

 我武者羅なほど力まないけど、無我夢中で自意識を失くすくらいには集中して生きる。

 簡単に言うと、やりたくない時に、やりたくないことはやらないことである。
 それを実行するだけでもずんぶん違ってくるだろう。

 人間は、自分で意識しているよりも、桁違いに多くの情報を処理しながら生活している。

 それらの情報を踏まえた上で、やりたくない気持ちが生まれているのだから、それは個人にとって絶対的にやらない方がいいことなのである。

 逆に、何かをやりたい、今やりたい、と思う瞬間がある。

 そういう時は、その瞬間に行動に移すのがベストであろう。

 何かの理由でタイミングを逃した時は、次のタイミングが来るときを待つ。
 決して、既に気分が乗らない状態なのに、「さっきやろうと思ったから」という理由だけで無理やり行動に移してはいけない。それは死に体の行動である。せっかくの活動が、実のない活動になってしまう。

 だいぶ考えていたことがまとまってきた。

 けれども、やりたくないことを、やらなくてはいけない時もある。

 仕事上の指示。とか。人間関係のしがらみ。とか。とかとか。

 そういう時は、いったん深呼吸をしよう。

 そして、視野を広げる時間を取ることを、許してもらおう。

 自分の中にある情報を増やして、自分の理解する事柄を増やせば、自然に「その時」が来る。

 やりたくないこと、をやらないこと。

 あくまで、やりたくなったら、やること。

 自分というマシンの、操作方法を覚えること。

 その操作マニュアルでは、気持ちに無理をかけることを禁忌としている。

 無理ない余裕のある操縦を、極めて強く勧めている。

 今の世の中で、そんな悠長なこと言ってらんない、と思う方もおるだろう。

 しかし、本当の意味で自分を守れるのは自分だけであることを、知っておかねばならない。

 なぜなら、他人はあなたのことを全て理解することができないからである。

 別に他人は、あなたのことを意地悪して攻撃したいわけではない。

 他人はその人の知っていることをもとに行動するから、あなたのことを一番に考えることはできないのである。

 例え恋人だったとして、あなたのことを守りたいと切に思っていても、あなたのことを完全に理解することは不可能だから、あなたのことを完全に守ることはできないのである。

 あなたの大切にしていることが、他人の大切にすることと一致するとは限らないのだ。

 だから、あなたはあなたを守ることを第一に考えなければならない。

 あなたの心の健康を守るには、やりたいことを、やる。やりたくないことを、やらない。そのルールを守ることが、大切になってくる。

 その一番大切なルールを守りながら、この世間を生きていくにはどうすればいいか。
 それを、これからケーススタディーを含め、考えていきたい。

境界線

2018年05月15日 22時37分24秒 | 気づき
人は人のまま
人を超えられない
自分を超えてはいけない

自分は自分
ひとはひと
越境してはいけない

私は生き物
地球のいちぶ
宇宙のいちぶ
私は世界のぜんぶにならない

それで満足なのだ
生きてるだけで
満足なのだ

求めることは
境界線を
越えること

ひとのテリトリに
踏み込むこと

きちんと向き合えるのなら
それも許せる
覚悟がないなら
しないこと

私は生きる
ただ生きる
それだけで
満足なのだ

役割

2017年06月26日 22時51分13秒 | 気づき
私しかできないこと
私として生まれたから
私としていきてきたこの道があるから
それだからこそ、私にしかできないことがある

本当に生きるのは
まずそれを思い出す、見付け出すことから始めるんじゃないか

それに気付いた時、本当の人生が始まる
人生が輝き出す

本当の自分として、生きられる
それは幸せなこと

ウケ狙い

2017年06月26日 22時25分23秒 | 気づき
その時が盛り上がればいい
そういう考え方にお別れを告げたい
人はそんな狭い了見ではない
わかってくれる
正直に生きたい
寧ろ、正直に振舞うことが
どんな時でも最高のアクションになる
そういう自分になるように、
自分を磨いていきたい。
表層で生きるのをやめるのだ。
もっと深い位置で考えを巡らし
身体の深いところで理解と決断をする
腑に落としていく
言葉も
行動も
腹の底から、生み出す
その為に
その生き方で負けない為には
自分の把握する世界を拡げること
勉強すること
学び続けること

2017年06月26日 21時28分14秒 | 気づき
静かな状態の上に、乱がくるということ。

今日、棋士である藤井四段が、歴代連勝記録を更新した。

重々な準備の上に、結果がのるということ。
準備している時は、凪の状態であるということ。

決して誰にもほめられることもなく、ただ続けたいから、それが好きだから?徹底して良いと思うことをする。
つまり準備と勉強をする。

その間は、歯を研ぎ澄ます時間は、あくまで静かな時間である。
周りの人の目からは、楽しそうには見えない。
でも当人は、物を食べるのと同じような、地味な楽しさを感じ続けていると思う。
それはふつふつと湧き起こるような楽しさ。

楽しく生きたいから、ぶれないで生きたい。
したいことをし続けたいがために、いまもそれを念頭に置いて、選択していく。
焦点をぶらさない、ということ。

軸を持って一瞬一瞬を生きるということ。

成長するために、日々を過ごすということ。
その心持ちが、自分の身を、助ける。

いま思ったこと

2017年05月16日 22時05分37秒 | 気づき
何も言葉なんか浮かばない
そう思っても
体は動いてる
気持ちは動いている

スタンドバイミードラえもん
を観た

懐かしかった
心が温まった
昔を思い出した

そんなに甘い思い出ではないけれど
ただ、
懐かしい
思い出


私には夢がある。

私の心の中を
世の中に広めること

それで
人の気持ちを救えるなら
それをしたいなと
思っている

それを
物語にする

そんなことで
誰かの気持ちが
少しでも
助かるんじゃないか

そう思っているんだ

私は
少しは
成長した。

昔に比べれば

技術がなかった頃
気持ちの弱かった頃
意志のなかった頃
仲間のいなかった頃

今は
少しだけ
成長している

でも
もちろん
まだまだで

誰かを幸せになんか
できるんかな
これで

歩き出せば
何とかなると思うけど


物語の力を
信じている。

物語の中で生きて
その中で身につけたものは
現実にも
生きる

そう思っている

人は
人に出会って
成長する

物語は

そのものだ。

人の
その人の
気持ちの結晶だ

だから私は
物語を紡ぎたい

才能があるかはわからない
でも
あると信じている

自分自身に力があるか
わからないけど
人とつながることで
何でもないことが
「力」になるんじゃないか

そう思っている

人の中にある
当たり前の能力が
ふとした行為が

人を勇気付ける

それが
力になる


力って
そういうものじゃないか


力は
破壊するものじゃない
優劣をつけるためのものじゃない

人とつながるために
助け合うために
紡ぐものだ

力は
紡ぐものだ

丁寧に
はりめぐらすもの


それを人は
愛と呼ぶのかもしれないが

そんなことは言葉にしなくても
よかった

わかっていることだから

でも忘れることだから
何かに夢中になると
我を忘れると

それを思い出させるのが
私の使命

私は未熟である。

2016年09月08日 21時23分56秒 | 気づき
 ここ数日、様々な「気付き」がありました。
 ひとつ、人間は感情の生き物である、ということ。
 最終的な意思決定をするのは、実は理論ではなく、気持ちの強さであるということ。
 だから、感情を動かせば、人は動くし、社会も動く。

 しかしその一方で、人間は感情とは別の、理論的思考、という働きを持っている。
 感情のみで動いていたら、人は社会の中で多くの失敗をするし、その社会の中には混乱が絶えない。
 だから、社会の中には、規範というものが用意されている。
 それに基づき、意思決定をすれば、大きな失敗や、社会の混乱は起こらない、ということになっている。

 もう一度言うと、人間は感情の動物である。
 そして、社会の中には様々な個性を持った人たちが生きている。
 いくら社会規範が用意されていても、日常の様々な場面においては、人は感情で意思決定をする。
 その感情を表出させる、振れ幅の大きい人と、小さい人がいる。
 わかりやすく言うと、その小さい人は、「常識人」とか呼ばれることが多い。
 そういった人は、その場所で用意された規範に基づいて、「穏やかに」波風立てずに活動を行う。
 逆にそれが大きい人は、その場面場面において自身の感情から直接、言葉を放ったり行動したりする。
 それはその人が、社会規範を守る、守らない、とはまた別の話である。
 そういった感情的な人がいる場所では、日常の場面で混乱や不愉快なコトが起こる。

 「感情的な人」が悪いとか、「穏やかな人」が良いとか、そういった話ではない。
 最も大切なことは、どちらの人も心地よく過ごせる社会や集団を作ることである。
 それには、規範や、法律、といったものの整備が重要になってくる。

 その社会や会社、集団の構成員が心地よく生きていくには、そのトップの意思決定、行動が最重要である。
 そこの「法律」を作るのは、上層部、と呼ばれる、責任ある立場の人たちだからである。
 逆に言うと、自分が幸せに生活や活動をしたいなら、まず自分の所属する社会を選ぶ前に、そこのトップの意思決定や行動、それから規範、を勉強することが正しい行動選択である。

 直感、を信じることは間違っていない。
 けれども、正しい学習のない直感、はその人にとって危険である。
 取り返しのつかない間違い、は、人生において実際にはそれほど起こらないが、それを回避するためには、やはり「正しい学習」が大切になってくる。