あいあいネットワークofHRSのブログ

人間関係づくり・人間力育成の授業

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア(7)

2011-12-14 11:23:29 | コラム
RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語 (小学館文庫)
小林弘利,錦織良成
小学館

 

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Railways

映画「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」公式HP

「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」から見える主体性とキャリア

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【「依存的なあり様」から「主体的なあり様】へ(5)】

なぜ私が、この「railways 49歳~」にはまってしまったかというと、原案を作成され映画の監督をされた錦織さん、小説として文章化をされた小林さんがあらわしている人間のあり様というものに共感したからです。私自身も55歳にして、学校の教員を退職し、人間関係づくりのための授業をひろめていくという「あいあいネットワークofHRS」を始めたときの気持ちに通じるものがありました。私の場合は、今だに時間講師として松原第七中学校に関わっています。あいあいネットワークofHRSの仕事は同じ教育に関することなので、主人公の肇ほど、追いつめられていませんでしたし、苦しむこともありませんでした。私はこれまでの自分自身の仕事を通じて、必然的にそうしたいと感じたのと同時に肇が経験したような瞑想状態におけるひらめきのようなものがありました。

私がamazonにて購入した、この文庫本はもうすでに、ペンによるマーキングだらけです。金属製のピンチで挟んだり、角を折り曲げたり、もうぼろぼろといってもいいくらい、読み込んでしまいました。ものごとをどう捉え、感じるのかということは、自分自身の生き方の課題にとっても、教育の現場の課題にとっても大きなことなのです。たまたま、主人公の肇は、知らず知らずのうちに会社人間となり、依存的な生き方をしてきました。しかし、肇はそんなことには気づきもできず、自分の関わりから起こってきた事象(自分が引き起こしてきた事象)により、気づくこととなったのです。ほんとうに、これで良かったのか? 人生に悔いはないのか? 心を無にして、ほんとうの自分のこころに気づくための瞑想を通じて、自分がしたかったこと、自分がありのままにできることにたどりついたのです。それがバタデンの運転手だったのです。

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肇がバタデンの運転士になるための、必死の努力が始まります。そんな姿を見た妻・由紀子は、いるだけでうっとうしいと思っていた肇への気持ちに変化が起こってきたのです。

【それからの半年間、筒井肇は鉄道マンとなるための研修に追われた。了が倖を相手にシジミマンを気取ったとき、何というガキだ、こいつは! と思ったものだったが、いま自分が鉄道マンになるため、脂汗と冷や汗を交互に流す日々を送っていると、ガキだってことなら自分のほうが上だと妙な自慢をしたくなる。

ぼくは電車の運転士になるんだ。】

【手放すことで手に入る。風呂の湯を両手でかき集めようとすれば、湯は逆に自分から遠ざかっていく。反対に湯を向こうに押しやれば、今度は逆に自分の方へと引き寄せられてくる。それは日常的に、もっとも避けたかったことばかりが自分に引き寄せられてくるように感じるのと同じだ。苦手な人だと思う相手に限って自分の担当相手になったりする。

同じように、肇と由紀子も、互いを自分の思い通りに支配しようとしていたときは反発しあうだけだったが、、相手の自由と独立を認めた途端に、互いへの思いが強くなり、心が寄り添いはじめた。由紀子との遠距離別居という形が、肇の人生に潤いを取り戻させ、それがさらに夢への活力に変わる。】

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晴れてバタデンの運転士となった肇は、初めて自分が運転をした電車の中で、こう感じたのでした。

【一畑電車が走っていく。肇の運転する電車が快調に線路の上を滑っていく。カタタン、カタタン。リズムが刻まれる。それは肇が生きるリズム。肇が自分の意志でマスコンを握り、走り始めた人生のリズム。

線路の上を肇が電車を走らせる。誰か他の者の意志で走る電車に乗って運ばれているだけ、という思いがもうよぎることはない。誰かに責任転嫁ができる人生は過去になった。彼は自分の責任で、自分の電車を走らせる。】

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宮田大悟は、同期入社の若者です。肇が実は大悟が、プロ野球選手を夢見て、プロ入りまで決まっていたにも関わらず肘の故障で、あきらめざるを得なかった事を知ります。肇は大悟を追いかけます。

【「宮田くーん。おーい。宮田投手!」

何度か呼ぶと、ついに大悟が怒鳴り返してくる。

「うるせえよ!」】

【「肘、壊したんだって?」単刀直入に尋ねると、その遠慮なさが意外だと言うように、大悟は眉を上げてみせた。そして投げやりなため息をつく。

「その話はしたくないってこと、わかんないですか」】

【「すねてるだろ、普通に。でも、当然だと思うよ。その歳で挫折は辛い」

「同情するなんて言ったらぶん殴りますよ」

「言わない。同情なんかしないよ」】

【「なんすか、それ」

「・・・・・二十歳まで生きられるかどうかわからない少年がベッドの上で彫ったらしい。よくできてるだろう?」

そう聞くと、荒削りの未完成状態とも見えるその木彫りに、別の力が宿るような気がした。大悟の目にもその鷲が飛ぼうとしている空の遠さがわかる。この翼で飛んでいきたい。けれどそれが叶わない。飛ぶことを自分は禁じられているから。けれど、禁じられても、お前には無理だ、望んでも叶わないと言われても、それでも空を舞う夢を諦められない。すべての見えない鎖を断ち切って、チャンスがくれば必ず飛んでみせる。もの言わぬ木彫りの鷲がそう言っている。その声が大悟にも聞こえるような気がする」】

【「その子の父親は前の会社で俺の同期だった。学生時代からの親友でな、本当に勇気のあるいいやつだったよ。やつは工場長で、俺は会社の利益を守るためにその工場を閉鎖させた」

肇は言う。何を話してるんだ、俺は、と思いながら。こんなことを宮田大悟に話すつもりはなかった。

けれど大悟は他のどんな話よりもこの話に関心を示した。初めて肇の語る言葉の続きを待つように、彼は肇に目を向けていた。

「閉鎖を命じたすぐ後で、そいつ、交通事故で死んじまったよ」

大悟が「えっ」と小さな声を上げた。

「奥さんとベッドの上の子供が残された」と肇は言う。この話を出してしまった以上、すべてを言い切ってしまおう。「あいつ、俺に最後に言ったんだよ。自分の人生は自分の好きに使わせてもらうって。それを聞いて俺は思ったよ。何してんだ、俺って。やつが死んで、俺はもう居ても立ってもいられなくなった」

「それがエリート人生、自分で捨てた理由ですか」

「俺はエリートなんかじゃない。自分のことしか考えてこなかったやつがエリートなわけはない。・・・・・・これから先の人生をどう生きるのかって考えたとき、ようやくわかったんだ。いまが自分の夢に向き合う、最初で最後のチャンスなんじゃないかってな・・・・・・。まあ、君にとっては電車の運転士がその夢だなんて、笑っちまうだろうけど」

「・・・・・・・」

大悟は答えない。彼もまた川平が残したあの言葉を胸の中で反芻していた。自分の人生は自分の好きに使う。】

【肇は板の上に置いた木彫りの鷲をつまみ上げると、たいせつそうにポケットに戻して、ポンと上から叩くと控え室の方へ戻って行った。

大悟は肇を見送る。いや肇のポケットの中の、。翼を広げた鷲を見送っているのかもしれない。

翼を広げ、空を見上げ、さあ飛ぶぞ、と身構えている小さな鷲。次の風が吹いたら、俺はきっと大空に舞い上がってみせる。だってそこが俺の夢見た場所だから。鷲がそう言っている。そして宮田大悟、お前はどうするんだと、木彫りの人形が問いかけてくる。

大悟は考える。俺はどうする? 俺が待っている風はいつになったら吹いてくる?いやその前に俺はいったいどんな風を待っている? 大悟は問い掛ける。彼の心の中で、「もうひとりの自分」が静かに見つめていた。】

***************

大悟は、肇の言葉により、肇が体験したのと同じような、問いかけを自分自身に行いました。そこに見つけた「もうひとりの自分」というものが、本来の自分の姿であることに気づいたに違いありません。まさに、肇のあり様が大悟へのモデルとなり、大悟も依存的なあり様から主体的なあり様への道を開こうとしていたのです。

実は、このことに教育が本来持つべき姿があるのではないでしょうか。知識を教えて、処理能力を高めるということではなく、様々な課題をどう受けとめ、どうつなぎ合わせて発展させていくのか。つまり、自分の核をどうつくっていくのか、というプロセスが秘められていると、私は思うのです。

これ以降、肇と大悟はバタデンの新人運転手として共に働きはじめます。好きで好きでたまらない仕事に取り組んでいる肇の姿に、肇は心を育てられます。川平の死、母の病気という運命の果てにたどり着いたバタデンの運転手だからこそ、電車を動かす様々な人たちへの感謝と心遣い。バタデンを生活の糧として活用し、バタデンに乗ることでバタデンを支えてくれている人たちへの心からのサービス。仕事ということが、実は肇の人間としてのあり様を表出させている手段であるということ。大悟は、肇の姿を見つめていたのでした。

 

(8)へつづく(2011.12.22)

Bataden

一畑電車HP

 

 

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