民宿を出ましてしばらくの間、
港を出ていく漁船をしばらく眺めていました・・・・。
さて、
荒島を眺めながらさっきと同じ道を通って志津川の中心部へ
てくてく歩いて行きます。
この辺に、
小さな仮設の商店がポツンとあったはずなんだけどな・・・・
あ、あった!
大森屋商店。
去年もここで缶コーヒー買いましたっけ
あ、自販機じゃなくお店の中で買いましたよ
元々ここにお店があって、
震災後、
まだまだ瓦礫全然片付いてない2011年7月にこの仮設のお店を再開したそうです。
もうすぐこの辺はかさ上げ工事が始まります。
この商店はどうなっちゃうのかな・・・
さて少し歩きましょう。
水が引けませんねえ・・・。
はじめて来たときここの前は潰れた車が山積みでした・・・・
ちょっと高いところに上ってみましょう。
上の山公園。
おじさまたちがグランドゴルフに興じておられました。
いかにも旅人のわたしに興味津々で話しかけてくださいました。
ほんとに宮城沿岸の人は人懐っこいですよね
たくさんお話して楽しかったです
公園から志津川の町をしばし眺める・・・・・。
震災後、志津川にはじめて来たのは2011年11月。
そのときはほんとに全然水が引かないって感じで、町中ぐじょぐじょしてました・・・。
だいぶ水が引いて、建物の解体も進み、
もうすぐかさ上げ工事が始まるのです。
どんな町になるんでしょうね。
志津川の人たちはセンスがあるから素敵な町になるんだろうなあ・・・。
こんな風に何にも無くなった街に
伝統の「きりこ」で看板やメッセージを立てるという
ステキなアイディアを持っている町民ですもの
さて、防災庁舎が見えてきました。
相変わらずたくさんの観光バスです
まあ私も観光客ですが
この防災庁舎の非常放送で最後まで町民に避難を訴えて逃げ遅れた女性は
昨夜泊まった民宿のご親戚だったそうで、
今朝、いろいろお話を聞きました。
彼女と、他にもここで犠牲になられた方にお線香をあげさせていただきました。
旧志津川駅へ。
階段上ってホームに出てみます。
荒れ放題ですね・・・・
ここにあったはすの線路は・・・・
ここに繋がっていたんです・・・。
さて少し休憩しようかなと、さんさカフェに行ってみたらお休みでした
近くには情報交流複合施設「みなみ3りく太陽村」
中にカフェがあったんですけどお休みな雰囲気でした・・・
南三陸ポータルセンター(アムウェイ・ハウス)。
日本Amwayが出資したコミュニティスペース。
イベントなんかに使えるようになってます。
なーんか石巻といい南三陸といい、
こういうのがくるんですよねー・・・。
(こういうのってどういうの?
わかるやつだけわかればいい・・・by花巻さん in あまちゃん
)
そして、南三陸さんさん商店街。
まずはひと休み。
モアイソフト。
普通のソフトクリーム(4種のチョイス)に
モアイの絵が付いたせんべいが刺さってるだけです
そしてショッピング。
お菓子とかまぼこ買いました
そして至るところにモアイ・・・・なぜモアイ?
南三陸町とモアイによるチリとの友好関係は
1960(昭和35)年のチリ地震津波にさかのぼるそうです。
津波で大きな被害を受けた南三陸町に同年、
防災と友好の証しとしてチリからモアイ像が贈られ、
志津川地区の松原公園に設置されました。
「モアイ」という名には「未来、生きる」との意味があるという説もあり、
同町のシンボルとして町民に愛されていました。
しかし、東日本大震災で像の頭部が流出し、
今回再び、今年の5月にチリ政府から像が贈られたのだそうです。
商店街の先には新しい商業施設がどんどんできて、
今度はスーパーマーケットも・・・という話を聞きました。
すごいなー志津川。
さて最後に高台の志津川中学校にいって志津川の全体像を・・・。
同じ場所から見た震災前の町の写真が貼ってありました・・・・
次にここに立つときには
かさ上げ工事が始まって、町の雰囲気は変わっちゃうんでしょうね・・・。
さて、BRTの駅に戻ります。
次は南三陸・歌津に行きます。
さんさん商店街の一角にひっそりと建つ慰霊碑。
そう、ここはもともと消防署があった場所でした・・・・。
かさ上げや新しい建物で町は様変わりするんでしょうけれど、
こういう小さな思いを忘れず見逃さずにいたいなと思います。
ありがとう志津川。
また来年、必ず来ます。
つづく。