岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

農村「廃亡」の危機

2017-12-02 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 ではここからは新しい章「三、農村の廃亡」に入る。 
 理崎氏は、
 日露戦争後、農産物の輸入増加、輸出減少で農村経済は停滞する。面積あたりの収穫量も減退、農産物の価格も物価の上昇に及ばなくなった。自給自足であった農村経済は解体し、資金は商工業に流出、商工資本家に農地を売却する者が増えていった。
          〈64p〉
と解説している。さらに、
 第一次世界大戦が勃発すると、戦争景気で農産物が暴騰、商工業も異常な成長を示した。戦後の恐慌が始まると、一転して米や繭などの農産物が暴落、小作争議が頻発した。…(投稿者略)…
 昭和6年には世界恐慌は大きく影響し始め、失業者は街にあふれ、農民も困窮した。労働運動、小作争議が頻発、妹尾も山梨や岡山で争議の調停に駆り出されることとなる。
          〈64p~〉
と続けている。なぜ妹尾が駆り出されたのかというと、理崎氏が教えてくれる。
 妹尾が訪ねる地方は、多くが小作争議のさ中にあった。日蓮主義の同志は中産階級が多く、小作人の説得を依頼されることが多かった。
と。
          〈64p~〉

 そういえば、以前〝昭和5~6年不況と凶作〟でも取り上げたように、当時、岩手の農民は困窮していた。かてて加えて、昭和6年の岩手県は、大正2年の大冷害以降の暫く振りの凄まじい大冷害だったから、同年は飢餓的様相を呈していたのだった。まさに、この岩手でも農村が「廃亡」の危機に瀕していたと言えよう。

 そこで気になったことがある。昭和6年の賢治が何をやっていて、何をやっていなかったのかをだ。ある程度のことは知っていたつもりだが、どうやら私は大事なことを見落としていたのではなかろかという不安に襲われ始めた。

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