岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

塔建つるもの

2017-11-20 12:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 では今回は最終章「八、みのり」についてだ。
 ここで、この本『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』のタイトルにある「塔建つるもの」が次のようにして出てきた。
 『疾中』には次の詩がある。

 手は熱く足はなゆれど
 われはこれ塔建つるもの

 滑り来し時間の軸の
 をちこちに美ゆくも成りて
 燦々と暗をてらせる
 その塔のすがたかしこし

病気になって体は衰えたが、自分は塔を建ている人間だ。塔が強い光を放って闇を照らす姿は尊いというのである。…(投稿者略)…病臥中の詩は暗い気分が支配的なのに、これは例外中の例外の自己肯定の詩、と谷川徹三は指摘している。…(投稿者略)…
 「塔」とは何か。釈迦入滅後、釈迦を慕って仏舎利(遺骨)信仰が現れ、それを納める仏塔が寄進されるようになる。日本の塔婆や五重塔もその一種である。法華経にも仏塔供養の話がある。神力品は、法華経を受持する所は塔を建てて供養すべし、と説いている。
             〈198p〉
と理崎氏は述べていた。この本『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』のタイトルに『塔建つるもの』とあるのだから、理崎氏はこの詩〔手は熱く足はなゆれど〕に強く惹かれているということになるのだろう。確かに、「病臥中の詩」とは思えず「暗い気分」は露ほども感じられず、理崎氏がこの詩の前に引例している『疾中』所収の「眼にて云ふ」や〔丁丁丁丁〕とは全く逆だから、まさにそのとおりだと私も思った。

 そしてこの〔手は熱く足はなゆれど〕が賢治自身の事を詠んでいるのだとすれば、私がそれこそ『疾中』時代の賢治に抱いているイメージとは懸け離れているし、どうも信じられない。それは理崎氏の解説によれば、「病気になって体は衰えたが、自分は塔を建ている人間だ。塔が強い光を放って闇を照らす姿は尊いというのである」ということを詠んでいるということだからなおさらにだ。

 となれば、理崎氏のこの論は次にどう展開されてゆくのか楽しみだ。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。



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