岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

当時の宗教の時代的背景

2017-11-29 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 では今回からは「二、信仰の光」の章に移る。最初に次の記述を知って私は自分の無知を改めて認識した。
 江戸時代の檀家政策などで牙を抜かれ、寺は権力の走狗となっていた。明治初期に廃仏毀釈が起こったが、寺を破壊する権力に対して、守ろうとする人はいなかった。民衆にとって寺は金がかかるだけの邪魔な存在に他ならなかった。真に信仰を求める人は、天理や黒住などの新興宗教に救いを求めるしかなかったのである。それに飽き足りぬ知識人はキリスト教を選んだ。新興宗教にもキリスト教にも違和感を持つ者は、仏教で新しい運動を起こす。…(投稿者略)…田中智学の国柱会や本多日生の統一団などもそうしたものに入るであろう。
            〈39p〉
 これで、当時の宗教の時代背景を私はある程度理解できた。このような経緯があったので、新興宗教やキリスト教等に救いを求める人が多かった訳だ。特に、当時の保守的な花巻で沢山のクリスチャンがいたことが私には不思議だったのだが、これで納得できた。あるいは、佐々木喜善が大本教の信者であったということも頷けた。そしてまた、賢治がキリスト教にも関心を持ったり、田中智学の国柱会に入会したりしたことも時代の流れの中で起こったのだと解釈した。
 
 そして、この時代的背景にあって、国柱会の
 智学は日蓮教学を教育勅語と接合するなど、神道、天皇制と日蓮主義を結び付けていくのである。…(投稿者略)…折伏を表にして戦闘性を強調していく。こうした方針は、無から新しい者を建設する明治の状況にマッチして、智学の国柱会はあっという間に大組織に成長していくのである。
            〈41p〉
と理崎氏は言う。なるほど、時代にマッチしていたのか。しかも、それだけではなく智学はなかなか時代を先取りしていたということを、同氏は次のように紹介していた。
 布教に機関誌紙を使ったり、当時最新鋭の幻灯機を使うなど、智学の布教は時代の最先端を行くもので、以後の宗教団体はすべてこうした布教方式を参考にしていく。稀代の天才と言っていいだろう。
            〈41p〉
と。

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