岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

念仏に熱心だった妹尾義郎の母

2017-11-29 08:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 さて妹尾義郎は、
 帰郷後は、母と寮生活をする。母は生来読書好きで…(投稿者略)…念仏に熱心で、極楽往生のために、絶え間なく念仏を唱えたいた。日蓮宗の僧になった妹尾は、それを看過できななっか。
            〈35p〉
と理崎氏は述べており、続けて日蓮宗と浄土教の違いを次のように説明している。
 日蓮宗は、念仏は無間地獄と主張してる。…(投稿者略)…釈迦は菩提樹の下で悟りを開くが、悟りを得た人を仏という。万人に悟りを得させようというのが仏教で、そのために釈迦は集団を組織して修業を様々に設定した。しかし、釈迦滅後になると、修行を続けても悟りはなかなか得られなかった。…(投稿者略)…そうした現状に、それでは民衆は永遠に救われない、修行などは一切捨ててひたすら阿弥陀仏に縋るという易しい教えが必要、と考えたのが法然であった。念仏、というと本来は仏を念じる…(投稿者略)…ものであったが、それを称名、阿弥陀仏の名を唱えるという修行に変えたのである。つまり、悟りを求めるのはあきらめて、死後の世界での救いを目指そうと考えたのである。
            〈35p〉
 そうか、そういうことだったのかと、これで私も浄土教の大体のイメージをつかめた。簡潔に言えば、あの「南無阿弥陀仏」を繰り返して称えることをいうのか。しかも、日蓮も最初は念仏を学んだと、理崎氏は次のように述べていた。
 日蓮は十代の頃に念仏を学んだが、納得できなかった。現世を諦めたら、全て終わりだ。…(投稿者略)…諦めた者には却って地獄が待っている、それも最も深い無間地獄だ、と日蓮は思った。どんな悲惨な状況でも易々と乗り越えていける偉大な生命を人間は持っている。それを表したのが法華経であって、現世で闘っていくのが法華経の精神だ、あきらめてはいけないのだ、と日蓮は考えたのである。
            〈36p~〉
 なるほど、法華経と日蓮宗ではたしかにかなり考え方が違う。死後の世界に救いを求めるのと現世にそれを求めるかの決定的違いがありそうだからだ。そこでだろう、
 妹尾は母に、仏教の大略や阿弥陀経と法華経との違い、日蓮の伝記などを語って聞かせた。時には不徹底な生死観を厳しく批判して、日夜母が信仰を改めることを祈った。
            〈36p~〉
と理崎氏は述べていた。

 このことを知って、私は胸にストンと落ちた。それは、賢治が浄土真宗の強信者であった父政次郎を法華経に改宗させようとしてしばしば諍いを起こしていたのは、賢治の性向によるものだと今までの私は思い込んでいたが、どうやらそういうことではなく、法華経の信者であれば起こるべくした起こることだったのだ、と。

 なお、このような妹尾の努力によって遂に念仏を去って病床で題目を唱えるようになった母だったが、大正5年の7月に亡くなったということを理崎氏は教えてくれている。  

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