岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』ご恵与

2017-11-04 16:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》

 過日、上掲のような著書『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』を著者の理崎 啓氏よりご恵与頂いた。私如き者の拙著を引用して頂いていたり、参考文献として拙著を挙げて下さったりしていたので感謝すると共に恐縮している。そしてご高著の中身は、理崎氏の博覧強記振りに圧倒されるものであって、私はただただ感心するばかりであった。
 ただし、そのサブタイトルに「宮沢賢治の信仰」とあり、「信仰」というような私にとっては形而上のことは今まで避けてきたゆえに、難しいご高著だろうな正直思っていた。そして実際手強い部分が多かった。しかし、その帯に
 父の真宗、島地大等、法華経、国柱会と、難解な賢治の宗教を、伝記と共に分かりやすく解説する。
とあるから、めげずに拝読しようと取り敢えず決意した。いつまでも賢治と宗教について敬して遠ざけていてのではダメですよ、ということを理崎氏は私に諭して下さっているのだと思って、である。そこで先ずは一通り通読しながら、同著から学ぶことを幾つか取り上げてみたい。
 
 まず同著の序では、
賢治にも多くの聞き書きがある。賢治と親交のあった意志の佐藤隆房、後輩の関徳弥、森佐一などである。有名になってからは同級生や教え子、同僚、近隣の人々の話が続々と出てきた。しかし、矛盾も多い。記憶違いや尾鰭がついた噂話など、信頼できないものが混じっているのも確かだ。
 したがって賢治像も曖昧で多くの像が提示されている。事実の間を多量の推量で補うため異論がおびただしく出てくる。それを否定する論もやはり推量でしかなく、どちらが正しいとはなかなか断定できない。どちらが説得力のある仮説か、ということにすぎない。
             〈同著7p〉
と理崎氏は鋭く指摘している。
 この理崎氏の指摘を知って私も、まさにそのとおりだと肯うことしきりである。それ故に私も、基本的には「仮説検証型研究」という手法に拠って今までの10年間ほどを実証的な研究を心掛けてきたつもりである。言い換えれば、一般には「仮説」の中でそれに対する反例が1個でもあればその「仮説」は即刻棄却されねばならない訳だが、どういうわけか「賢治研究」の世界においては、それが為されずにそのまま放置されているという実態が少なからずある。それは例えば、〝㈡「大正15年12月2日の上京」の牽強付会〟をご覧になっていただけは直ぐおわかりになってもらえるはずだ。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。



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