岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

「国体」とは

2017-11-12 10:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 ではここからは、「四、国体、修羅」という章に入る。理崎氏はまず「国体」について、
 西欧文明の背後にはキリスト教が存在するが、日本では仏教は腐敗し神道は単純すぎて芯になるものがない、と伊藤博文は慨嘆している。そうした芯として国体思想が出てくる。…(投稿者略)…国体とは国家の体制をいい、初出は『漢書』にある。日本では天皇制の独特の体制を指す、と井上(哲次郎)は解説している。
              〈89p~〉
と紹介している。そしてこれに関して、
 賢治は国体にいかがわしさを感じていた。…(投稿者略)…国体思想のいかがわしさは誰もが感じていた。しかし、誰も言い出すことはできなかったのである。
 日清や日露戦争、満州事変は国体の正義を広める戦争、と智学は主張している。智学は、
〈満州国は日本国体の出店で、世界に日本の正義を知らしめるものだ。戦争は日本の正義のために行うが他国は自分の利益のために行う。満州国の誕生は日本的精神を蘇らせて屈辱の軟弱外交を清算して大日本帝国の使命に活気を与える、国体史上空前の台頭期である〉
と述べている。
 智学のこうした思想が石原完爾の世界戦争論への示唆となり、軍国日本のアジア侵略の思想として使われたのである。すべての思想宗教を法華経の元に統一し、位置づける。日蓮と国体との接合もその一環としての作業で、世界統一を主張したのである。
             〈91p~〉
と理崎氏は述べていた。
 この「国体」がもともといかがわしいものだったということは何となく私にもわかったから、賢治であればなおさらにそのことは敏感に察知したのだろう。だから、結果論的には「しかし、誰も言い出すことはできなかった」というところに問題があったのだろうが、何故に智学はここまで急激に変容してしまったのだろうか。一方で、賢治はこの「思想宗教を法華経の元に統一し、位置づける」ことに対しても、いかがわしいと思っていたであろうと私は思うのだが、あの
    世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福 はあり得ない
とかなり通底しているということも同時に私には感じられる……(いずれこの辺りのことについては、時間軸上に載せながらいつか私なりに考えてみる必要がありそうだ)。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。



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