岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

辛い農民の生活を、芸術によって楽しいものに

2017-11-16 14:00:00 | 理崎 啓氏より学ぶ
《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
 そして理崎氏は、
 羅須地人協会の理念は、退職直前に農学校で開設された岩手国民高等学校で講じた『農民藝術概論綱要』に示されている。
 「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい」――辛い農民の生活を、芸術によって楽しいものに、というのである。…(投稿者略)…ここでも「まことの幸福」と言っている。それぞれの真価を発揮して人間らしく生きる道、それが妙法である。つまり、農民芸術の根底に妙法を据えるというのである。妙法の思想は生きる歓喜、他者の尊重、慈悲、奉仕などがあることは述べてきた通りである。
             〈137p~〉
と解説してくれる。私の理解が不十分とは思うのだが、簡潔に言えば、羅須地人協会において賢治は、
 辛い農民の生活を、芸術によって楽しいものに
しようと思っていたのだと理解した。そして私は納得した、賢治は貧しい農民を何とかして自分の持っている農芸化学等の知見や稗貫の土性調査での経験を活かして助けてやろうということを真っ先に考えていた訳ではなく、まずは芸術によって辛い農民の生活を楽しいものしようと思ったのだと。
 そして私のこの解釈が真相であったのだと仮にすれば、賢治が「羅須地人協会時代」に「小作人たれ」と強く「訓へ」た松田甚次郎と同じように、賢治自身も小作地を父から借りて、貧しい農民たちと同じような苦労をしながら主食となる米を自分自身で作ろうとしたかというというと、そうしなかったのも当然の帰結だったとなる。

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 なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
   ・「聖女の如き高瀬露」
   ・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
   ・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。



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