宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

『羅須地人協会の終焉-その真実-』後編

2013年12月12日 | 『羅須地人協会の終焉』
《創られた賢治から愛すべき賢治に》









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『賢治が一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』   





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2 コメント

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Unknown (斎藤)
2014-01-20 19:18:36
私は山形で松田甚次郎のドラマチックな人生を映画する企画を立ち上げた斎藤といいます。
松田の文献を調べているときに、鈴木樣のブログを何度も目にするようになり、ものすごい貴重な情報量なのでいつも勉強させて頂いております。

またこれからも情報収集のため何度も読ませていただきます。

とても素晴らしい記事にすごく助かっております。
ありがとうございます。
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ご訪問いただきありがとうございます (鈴木 守 )
2014-01-21 07:27:04
斉藤 様
 お早うございます。
 この度はご訪問いただきましてありがとうございます。
 さて、賢治が全国的にはまだ受容されていない時代に、その名を全国に知らしめるために尽力した最大の功労者が松田甚次郎だと私は思っております。
 ところがある時期(大戦直後)から、その甚次郎から受けた恩を忘れてしまって、あるい知らんふりをして甚次郎を賢治から遠ざけようとしたとしか私には思えません。私はそんな恩知らずの花巻人にはなりたくない、と思って甚次郎のことを多少調べてみた次第です。
 その際に非常にありがたかったのが、新庄の「ふるさと歴史センター」でした。そこでは、甚次郎の当時の日記の現物を拝見できたからです。是非斉藤様もその日記をご覧になって下さい。
 たしかに、賢治は『農民芸術概論綱要』などで「農民芸術」の理論や理念を高らかに歌い上げているとは思いますが、実はそれに基づいた実践は殆どしておりません。
 それを実践したのが、「賢治精神」を実践したのが松田甚次郎ですから、ベストセラー『土に叫ぶ』の著者松田甚次郎が再評価されることを心待ちにしております。
 斉藤様のご活躍を御祈念しております。
                                             鈴木 守
 
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