常識について思うこと

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技術の役立て方

2008年02月28日 | 社会

一人の消費者として、技術とは何かについて思うことがあります。

今では、だいぶ当たり前のように普及している携帯電話のサービスとして、「着うた」というものがあります。携帯電話でダウンロードしたお気に入りの音楽を、着信音やアラーム音に設定できるサービスなので、このサービスで自分の好きな音楽が着信音になったりすると、何だか自分だけのオリジナル携帯電話になったような気分になれます。昔のように電子音しか出なかった携帯電話では、絶対に実現しませんでした。これは、間違いなく発達した技術の産物であり、私たち消費者はその恩恵に与っているということができると言えるでしょう。

ところで、問題もあります。まず「着うた」のファイルは、楽曲の限られた部分でしか「着うた」として設定できません。具体的には、「サビ」の部分がほとんどで、それ以外を着信音やアラーム音に設定することができないようになっていることが多いのです。これは困ります。

私は、個人的に曲頭の部分を着信音に設定したいと思うのですが、これはほとんどできないのです。携帯電話は、突然鳴り出します。何もない静寂から、突然「サビ」の部分が鳴り響くわけです。これは、ちょっとビックリしますし、周囲の人々をビックリさせてしまうこともあります。もちろん好みの問題ではありますが、楽曲の「曲頭」というのは、何もないところから始まる部分でもあり、自然に聞いていられるので、突然鳴り出す携帯電話の着信音としては、「曲頭」の部分を設定しておきたいというニーズがあって当たり前だと思います。

こうした状況の中で、「着うた」として提供されているファイルに、どうしても「曲頭」がないということであれば、「サビ」から始まるファイルをダウンロードすることになります。ところで「サビ」といっても、そもそも「サビ」がはっきりしないような楽曲の場合もあります。そうなると、具体的にどの部分から始まるように作られたファイルなのかを試聴したくなりますが、これも満足にできないケースが多々あります。これにも少々困ってしまいます。

繰り返しですが、携帯電話の着信音というものは、最初の部分が極めて肝心です。10秒を大きく超えて鳴り続けるというのは稀で、ほとんどがそれ以内に何らかの対応を取るものではないかと思います。そうなると、「サビ」といっても、実際に聞いてみるとどうなるのかをよく検討したいと思うはずなのです。しかし、大体の場合、ダウンロードする楽曲ファイルの出だしがどうなっているのかは分からないことが多く、ファイルを購入して、ダウンロードしてから分かるようになっています。サービスを提供している側からすれば、これらの消費者の行動がすべて売上げにつながるわけなので、これらがすべてプラス効果として働くのでしょうが、消費者の立場からすると、少々不便さを感じます。

ちなみに、携帯電話の着信音は「出だしが肝心」ということで、あくまでも曲頭にこだわったときには、「着うたフル」をダウンロードするという手もあります。これは、通常の「着うた」が、楽曲の一部(数十秒)だけをひとつのファイルとして提供しているのに対し、楽曲丸ごとダウンロードできるというものです。楽曲丸ごとダウンロードするわけですから、それにかかる通信費やコンテンツ料金は高くなりますが、間違いなくお目当ての「曲頭」も含まれているわけです。これならば・・・とダウンロードする手は、一応あるにはあります。しかし、これをダウンロードしてみても、「着信音」として設定できるのは、「サビ」の部分と設定されているものがあります。こうなると「曲頭」にこだわって、高い費用を払ってもなお、突然「サビ」で始まってしまうような着信音設定しかできないということになります。(ちなみに「着うたフル」のファイルは、再生モードで再生させれば、オープニングから聴くことができます・・・が、専用のミュージックプレイヤーが溢れている時代に、いちいち携帯電話で音楽を聴くことを強要されることの苦痛に耐えられない方も多いように思います)。

携帯電話会社の方々は、「自分専用ケータイ」といった類のフレーズを使って、いかに消費者の多様なニーズにあったサービスを提供できているかということをアピールされていますが、おそらく私の着信音やアラーム音のニーズについては、対応できていないと思います。

さて、こうした多様化へ対応できていない理由は、技術的な制約条件によるものなのでしょうか。

少々、携帯電話から目を離すと、まったく違うことが起こっています。PCを立ち上げれば、自分のお気に入りの楽曲が溢れんばかりに揃っています。それらを編集して、好きな部分だけ切り取ることもできます。必要に応じて、それらを組み合わせて、オリジナルの音源を作り出すことも可能です。さらにそれらのファイルを、メモリーカードを介して、携帯電話に移すことも極めて簡単です。技術的には、まったく障壁が見当たりません。おそらく、私のPCに入っている楽曲ファイルを携帯電話の着信音やアラーム音にすることは、技術的にはまったく問題がないどころか、極めて簡単にできることなのだろうと思います。

そうしたなか、私のニーズはシンプルです。

『私の好きな出だしで始まる楽曲ファイルを、携帯電話の着信音に設定させてください』

それにお金がかかるというのであれば、適切な費用をお支払いしてもいいと思います。私自身、実際にそのために「着うたフル」をダウンロードしたこともあるくらいですから、これはきちんとビジネスになるはずです。

しかし、この『私の好きな出だしで・・・』というシンプルなニーズも、100人いれば100通りのニーズになります。携帯電話人口1億人時代にあっては、1億通りのニーズがあると考えなければなりません。携帯電話業界の方々は、つくづく大変だと思います。「自分専用ケータイ」といった類のフレーズを使う以上は、1億通りのニーズに合うような、「着うた」のファイルを用意しなければならないからです。私は、私のニーズをほとんど満たすことができていない現状を鑑みて、これはほとんど不可能ではないかと思います。実際、ニーズの多様化にあわせて、それらにひとつひとつ対応してしまっていては、多様化して、膨大な種類に膨れ上がった各サービスの収益は、ものすごい勢いで希薄化し、事実上ビジネスを破綻させる結果を招きます。

はて?ところで、技術は何のためにあるのでしょうか。

消費者のニーズを満たすために、技術を活用するのであれば、あらゆる楽曲ファイルを携帯電話の着信音やアラーム音に設定できるようにすればいいように思います。消費者のPCやメモリーカードに眠っているような膨大な楽曲ファイルを着信音やアラーム音に設定できるようにすれば済むことです。本当に「自分専用ケータイ」というのであれば、これこそが為すべきことであり、技術の正しい活用法と言えるでしょう。

しかし、これを実行してしまうと業界の利益構造が崩壊してしまいます。これも問題です。業界の方々にとっては、ビジネスとしての収益性も大切ですから、業界の利益構造を守るために技術を活用する方策も考えなければなりません。現在、業界の方々も、懸命にその答えを探されているのだと思います。

ただひとつ言えることは、「技術は何のためにあるのか」という問いに対して、絶対に消費者を忘れてはならないということです。業界の方々は、そこに身を置いている関係上、業界の利益構造を守ることは、当たり前のこととして思考を働かせることができるのではないかと思います。だからこそ、忘れていただきたくない大切なことがあることを、是非とも覚えておいてほしいと思うのです。

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