常識について思うこと

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オカルトを作る仕組み

2006年10月03日 | 社会

オカルトと聞くと、顔をしかめる人が多いでしょう。オカルトというのは言うまでもなく、既存の科学や伝統的な宗教では認められていない異端的な考え方や知識のことで、例を挙げると超能力、心霊現象、UFO、占い、予言、オーパーツ、怪奇現象、古代文明、神秘主義といった類のものです。おおよそ、これらに関する情報は、非科学的なものが多く、いわゆる常識人からしてみれば、「怪しい話」であり、こういうことを口にする人々は、ちょっとイカレていると思うかもしれません。そういう人が、例えば友人だったら注意するし、単なる知り合いだったら距離を置く。そんなものではないでしょうか。

しかし、オカルトについて、まともな検証をせず単に「怪しい話」としてのみ扱うのは、思考停止を起こしていることと同じです。オカルトと聞いて、顔をしかめる人たちにはそれなりの理由があるでしょう。大体そういうことを言う人たちは、テレビなどにもときどき登場するが、論拠が甘く、なかには稚拙な証拠をもって、それが正しいと言うことがあり、だからこそ信じられないし、幼稚な人たちだ、といったところでしょうか。あるいは、科学を無視し、非科学的で身勝手な論拠を並び立てて、都合のいい空想論を展開する浮ついた人たちといった印象かもしれません。しかし、そのようにオカルトについて批判する人たち、否定する人たち自身、自らオカルトについて深く検証しているわけではないと思います。メディアを中心とした他人の検証結果に頼って、「オカルトは怪しい」と決めつけてしまうのが、いわゆる常識人の陥りやすいミスであり、大部分の人たちが犯してしまう思考停止の原因ではないでしょうか。それでは、世の中の本質を見抜くことはできません。

世の中、本当に分からないものについては、仮説を立てて、それをひとつひとつ検証していくしかないのです。オカルトと言われるものに、一部ウソが含まれているとしても、全てがおかしいという十分な論拠にはなり得ません。たとえば、オカルトは、既に科学が証明していることを否定しており、単なる幻想であるというのは、いわゆる常識人の答えとしては無難なのかもしれませんが、それは本質を突いているとは言えないでしょう。そもそも科学万能主義こそ改められるべきであり、科学が世の中の事象のほとんどを証明していると信じることこそ、科学の本質を間違えて認識しているということに気付かなければならないと思います(「万能でない科学」参照)。世の中、それほど体系立って、きれいに分かっているわけではないということです。

したがって、ここにひとつの仮説を置きます。「もしオカルトに一部の真実が含まれているとしたら・・・」。そしてもうひとつ「そうした真実を隠そうとする強大な権力をもった人々がいるとしたら・・・」。このふたつの仮説については、別途検証するとして、世の中の事象を、一部正しく表現しているオカルトを、そうした強大な権力をもった人々がどのように「怪しい話」に仕立てていくのか、考えてみたいと思います。ちなみに、強大な権力をもっている人々というのは、資本主義の中枢にいる人たちであり、当然マスコミなどから流れる情報を統制することができる人たちであると仮定します。このことは、何故タブーがあるかということとも深く関わりのあるところでもあります(「タブーの検証でみえること」参照)。

人を騙すときに、最初から全てウソを言うというのは得策ではありません。まずは警戒する相手に対して、まず自分が言っていることが正しいことを認識させ、信用させる必要があります。そのために、まずは本当のことを出していきます。相手はそれらを自分なりに考え、検証していきます。必要に応じて、裏取りをしたりすることもあるでしょう、本当のことを言っているのだから問題はありません。そうしていくうちに、相手が自分を信じてくれるようになります。相手が完全に、自分を信じ込んだところで、最後にウソを出して目的を達成します。これが人を騙すときの手法です。

オカルトを「怪しい話」に仕立て上げるにも、似たような手法を使うことができるのです。まず真実を伝えていきます。ウソはありません。だからこそ、人々はそれを信じるのです。次に、人々がなるほどそうなのだと信じきったところで、ウソを混ぜます。このウソは明らかにウソと分かるものにします。99%まで本当のことを伝えておきながら、最後の1%であからさまなウソを入れるのです。そうすると、人々は騙されたと思います。たしかに騙されているのですが、最後の1%だけがウソであることを見抜けない人々は、最初の99%までも否定し、全てがウソであると思い込んでしまうわけです。

自分で検証をせずして、「あの類の話は眉つばで信用できない」というのは、思考停止以外の何ものでもありません。今は、マスコミからの報道以外に、インターネットを通じて、非常に幅広く、多様な情報にアクセスすることができる時代です。調べようと思えば、いくらでも調べられます。それらの情報を総合して、オカルト全体を「あの類の話」、「怪しい話」などと一括りにして、決め付けることなく、具体的にどの部分がウソなのか、あるいはどの部分については真実なのかといったことを自らの頭で考えなければなりません。そのように自分の力で情報を集め、考え、その結果としてオカルトはおかしいと判断した人たちのみが、「オカルトは怪しい話」と言うことができるのだと思います。

いわゆる「常識人」たちは、そのように自ら考え、検証をするという作業をすることなく、ただオカルトが「怪しい話」であると思い込んでいないでしょうか。どこまでが真実で、どこからがウソなのか。真面目に考えていないまま、「怪しい話」として片付けてしまってはいないでしょうか。

世の中には、まだまだ多くの隠された真実が隠されていると考えるべきです。まず常識を疑い、固定観念を捨て、自らの頭で素直に考えて出す結果をもとに、世の中全体をきちんと理解していかなければなりません。そうすることで、現代社会のなかで、何が問題なのかを発見することができるようになり、そのなかで自分が何をすべきかが自ずと見えるようになるのではないかと思うのです。

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