夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

私のパソコン奮闘記

2016年12月02日 | まじめなブログ

私のパソコン奮闘記 

 (2011年記)

  

 私がパソコンを始めたのは70歳近くになってからである。この齢になって挑戦したのは、足腰が動かなくなっても、ネットでの買い物や通信手段を確保しておきたい事や、時代の波に乗り遅れるのではないかという不安な気持ちがあったからである。手引書を読みながらの独学では容易に理解できない。特にカタカナコトバが理解できないので苦労した。パソコンは調子が狂いだすことがある。予期をしない動きが起こる。パソコンは機械というよりは生き物のように感じた。

 理解しないままにパソコンをいじっていたら、フリーズしてしまった。マウスを操作してもどうにも動かないのである。そこでメーカーへ電話し、アドバイスを受けることにした。受話器を持ったが、カタカナコトバがのどにつかえて出てこない。「もしもし、鼠を走らせても矢印が固まったまま動かないのですが、どうしたらよいでしょうか。」と。電話の相手は鼠とはマウスのことと理解してくれたので助かった。いまさらカタカナコトバを覚えるのは容易なことではない。指導者は私のような者に教えるのに苦労しているようである。アイコンと説明されてもわからない自分へ、それでも丁寧に、丸の中に旗のあるマークとか、土星のようなマークというように説明してくださる。ありがたいことである。

 幸いなことに、当地区にはシニアのパソコンクラブがある。互いにパソコンの技術を教えあっているクラブある。私はそこへ誘われて入会してみた。会のモットーは、わからないことは何度でも聞きましょう。何度同じことを聞かれても、教えてあげましょう、というものである。今教わったことを3分も経たぬ間に忘れてしまう自分にとっては、好都合のクラブである。

 あるとき、リーダーから会員へ一斉にメールが流れてきた。「次の集まりには、マイカップを用意するように。」とのことである。私にはカタカナコトバのマイカップとは、どんなものかわからない。自分のパソコンには、マイドキュメントとマイピクチャーがあるが、マイカップの設定がない。電器店に行けばパーツが売っているだろうと思っていたところに、また、カタカナメールがきた。「皆さん。ハンカチにマイカップを包んで集まり、ティタイムを楽しみましょう。」と。ここで、初めてマイカップの正体がわかった。なーんだ、湯飲み茶わんのことではないかと。この会もやたらにカタカナコトバを使う。

 絶版になった函館空襲の記録を、ネットで手に入れたときは救われた感じがした。演劇のチケットや本の注文などが自宅でできるのは便利である。しかし、細かな文字をよく読まずに、同意する、同意する、とチェックを入れたため、次々に送信されてくる大量の広告メールには悩まされた。

 故郷である岩谷のポポロッコの屋上に設置されたライブカメラを、自分のパソコンで360度回転させ、周りの景色を見る技を得た。田に植えた緑の苗が、黄金色に変わり、刈り取られ、そして雪景色に変化していく様子が、はるか離れた栃木県から眺めるのは実に気分が良い。インターネットを勉強してよかったと思う時である。

 昨年のことである。ネットサーフィンを楽しんでいるうちに、ニューヨークのホームページへ迷い込んだ。そして、茶道で使うお茶の釜の絵があるページに出合った。そこには、「English」と「日本語」というボタンがついていたので、もちろん日本語を選んだ。すると、茶室で正座をしている和服姿の婦人の写真が現れ、その方の氏名と茶道教室の紹介文が載せてあった。なんと大学時代の同級生、しかも、同じサークルだった仲間ではないか。地球上の数知れぬホームページの中から、彼女のページにたどり着いたことは、まさに奇跡である。私は激しく驚き、ガタガタと震えが起こった。

 4・5日たってから、本人かどうか確かめたく、恐る恐るアドレスにメールしてみた。そして返信があった。「私はまさしく○○大学卒業生の○○○子でございます。今はニューヨークで茶道教室を開いております。すけつねさんという名前は、聞いたことがあります。」と。

 私の名前は聞いたことがあるだけ、という彼女の帰郷にあわせて、学生時代のサークルの人たちに呼びかけ、懇親会を催した。卒業後、49年ぶりの再会であった。