杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

瞼の母 軒下三寸

2013年11月09日 | 日記
♪ 軒下三寸 借りうけまして・・・

ご存知、長谷川伸原作、瞼の母の 台詞である、

舞台に映画にと、幾度となく上映された不朽の名作、
数多くのファンが涙腺を緩めさせられた。

私は幼少の頃より映画や舞台に接する機会が多かった、
我が村では毎年お年寄りの敬老会に村の青年団員が
演劇を披露して、年長者を讃えて労をねぎらった。

私の家の前にその公民館が在ったので、常に身近に見て
育った。

長兄は、後年 二科展審査員となる山田茂人画伯他数名と
共に白バラ楽団を結成して近隣に名を馳せた。
尚兄は、ドラムを叩いてそのリズム感を披露した。

姉は、人情噺の娘役で村人の涙を誘った、

少し後年になるが青年団の活動の一環で、近在の映画館
とタイアップして映画を招致して上映した。

暑い夏の日は夜 薄暗くなってから公民館前の広場で野外
での映写だったが、
娯楽のない時代の村人にとって待ち焦がれた楽しみだった。

子供達は隠れて覗き見していた、だから田舎とはいえ結構
映画の世界に通じていたのである。

あの、前進座さえも東京から我が村に来て芝居を敢行した、
その記憶は、さすがに小さい頃だから薄いものではあるが、
村の先達は、進取の気質に富んだ大人たちだったと云える。

今振り返ると、芋と麦の半農半漁の村なのに、すごい
人たちがいたものだと感心する。

♪ 世間のうわさが 気になるならば・・・

近日来 歌尽くしで恐縮だが ?
今夜は動画で 腰を据えていろんな歌手の ♪ 瞼の母 を
聴き比べて見た。

まず、杉良太郎 新二郎 そして 中村美津子  島津亜矢 
本多のぶ子 に 富士直美  最後に控えしは 岡田しのぶ

それぞれ、独特の味を出して唸らせる、

私には、舞台で鍛えた杉良太郎の瞼の母が合う、
同じ杉良の ♪ 瞼の母 でも 彼の年齢に連れて感情移入が
違ってくる、その違いを感じながら聞き惚れる・・・

♪ 逢わなきゃよかった 泣かずにすんだ・・・

私は、浪花節に弱い 
親を思うと なお 切ない、

(孝行したい時に、親はなし・・・)

「生きていれば なァ・・・」私は他人よりも広い交友関係を
持っていると自負するが、ほとんどの男は母親に弱いものだ、
そう・・・マザ-コンプレックスの塊である。

社会的にも腕力の面でも人に秀でた男どもが、特に母親の話を
すると涙ぐむ、
現在の子殺しの風潮は理解できないし許されない鬼畜の仕業。

親のいる人はその有り難味が判らないと思うが、既に亡くなった
者にとって亡き親は、かけがえのない宝物なのである。

忠太郎の慟哭が身につまされる、

♪ ・・・ 上と下の瞼を合わせりゃ  
       逢わねぇ昔のやさしいおっ母さんの面影が
         浮んでくらぁ
       逢いたくなったら  逢いたくなったら
         俺ぁ  瞼をつむるんでぇ  ♪


歌は、そんな親に逢わせてくれる、
夢でもいい ?  幻でもいい ?  ひと目逢いたい。・・・。。。

                                   合掌


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