杉の子のひとりごと

私の交友録などを中心に,思いを綴っていきます。

上杉の交友録3 「金剛禅総本山少林寺代表 浦田武尚(正範士8段)」

2009年05月25日 | 日記
「上杉さん! 今度の日曜日、(少林寺拳法) 南予連合会の大会があるんだけど、帰りませんか?」
(総本山から)「浦田先生も帰られるので、(上杉さんも)帰ってこんですか?」

私の親友(弟に等しい)神野敏君からの電話であった。
彼は、現在 南予連合会の重鎮 少林寺拳法 正拳士4段(現役)の猛者である。
早速、私は日曜日に(平成19年7月第2日曜日)伊方スポ-ツセンタ-へ向かった。


指導者を囲んで、各地から、たくさんの少年少女達及び若者達が参集していた。
神野さんの案内で2階の待合室に居られる浦田さんの元へ急いだ!

待合室には、金剛禅総本山少林寺副代表(其の年の暮れに代表に昇格された)
浦田武尚先生が、津島町の小野先生、宇和島の浜田先生達と共に、にこやかに迎えてくださった。
(あまりに偉く出世されたので、昔のように浦田さんと気安く呼べないな・・・)


「上杉さん!久しぶりやな・・・元気でしたか!?」

武道家特有の凛として射抜くような眼光だが、やさしい眼差しの
懐かしい人の顔が、そこにあった!

試合前の楽しいひととき、若い頃の武道談義、実戦の思い出話に花が咲いた・・・

大会の試合が始まる前、辞退する私に、「上杉さん、どうぞ どうぞ」と、壇上へ
招きよせてくださり、
一緒に並んで演武を見ることになった。
昔と変わらぬ、見事な礼儀作法の立ち振る舞いである。

逆のぼる事、我々が20代前半の頃、明治大学少林寺拳法部主将 浦田武尚 が卒業して
郷里の三崎町へ帰ってきた。

そのまもなく、

「上杉さん、南予連合会を造ろうと思うのだが、相談に乗ってくれんですか」

と弟子、友人の桜井さん、宇和島の浜田さん、津島の小野さん、三崎町の司法書士の

先生方と私の元を尋ねてこられた。連合会発足の前夜であった!

関西のあるプロボクシングジムに所属して、日本ランカ-だった・・S(S・K)が,
ある事情で郷里八幡浜へ帰ってきて、私のアパートに居候していた頃のことである。


「先輩!今、アダム(恋人達がよく利用した当時の名喫茶店)の前で、ひとり伸ばしてきたよ
・・・しかし、耳をつけてみたら息をしていなかったかな・・・」

アパートに帰ってきたSがそう言った・・・

「Zよ(Z・F お寺の三男坊 空手の弟弟子)・・ちょっと行ってこい・・息してなかったら危ないぞ・・・」

やがて、Zが帰ってきた。「上杉さん、もういなかったよ」

私は、安堵した。 やれやれ・・呼吸が止まってなかった。
Sに伸ばされた男は、起き上がって帰ったのだろうが、彼の不運と、幸運に同情した。
それほど、Sは凶暴で手に負えなかった。

その後、見に行く役をしてくれたZは、和歌山へと向かい、日本では
有数な製鉄所へ就職して定年を少し残して退職した。
現在は悠々自適、恵まれた余生を送っている・・・。

その彼は、釣りバカ日誌の浜ちゃんを彷彿させるかのような、製鉄所 所長との
掛け合い物語があるが、別の交友録を待ちたい。

ある夜、Sが女友達としこたま飲みすぎて、トラブルに巻き込まれたことがある。
彼が、傷だらけの顔でアパ-トへ帰ってきて、話すところによると・・・・
ある居酒屋で彼女と飲んでいたら、二人連れの見知らぬ男が絡んできた。

どれ程(数)の腕自慢の男たちが、足元に這わされて来たか知れないほど、
彼は喧嘩のプロで強かったが・・・、なにせ其の夜は、酔いすぎていた・・。

2人連れの車で、フェリーボート乗り場へ連れて行かれたそうだが、ドアを明けて、下車したと同時に、
2人のうちの1人が、鳥のように舞い上がってとび蹴りをくらったそうだ・・・。

そのまま男たちは、車に乗り込み発進したが、倒れながらも右手を差しだして、「待て!!」と叫んだSは、
車のドアに手を挟まれたまま100m程引きづられたが、彼らの車は
そのまま闇の中へ消えた。

あくる日から、八幡浜中のチンピラのあんちゃん達が、2人連れを捜して
歩き回ることになった。

迷惑なことに、当時、空手だけでは飯が食えなかった芦原さんのバイト先にも
「Sをやれるのは芦原しかいない」と、入れ替わり立ち代り、執拗に押しかけてきたそうだ。
(Tあんちゃんの子分たちも、其の中に居た)

彼、Sとは、別の交友録がいる程、入り組んだ人間模様や武勇伝があり、
殺人罪で懲役10何年の刑期を終えて出てきたE・W(当時の八幡浜の人間で
彼に文句を言える者は居なかった)(有名な巨大組織に所属)を交えた
3人の触れ合いも後日、記さなければなるまい。

結局、喧嘩全戦全勝のSに、ただ一度、土をつけた闇の男たちは、判明せぬまま
闇の彼方へ消えることになった・・・。

 話が前後するが、そのSが、もう一度、ボクサーとしてカムバックして
必ず日本チャンピオンになると決心して八幡浜を出て行って1年後
・・・思わぬことで、闇の男たちが判明することになった!

浦田さんと、浦田さんの同級生の桜井さんが私の店へ来た・・・・!

たのしい話に花が咲き・・・ある場面で・・・2人が顔を見合わせた・・・?

「上杉さん、それ僕達やがな・・・・!?」

「エーッ!!」 今度は、私が驚く番であった・!


彼らの、話を聞いてみて・・・1年前のSの話しと合わせてみると、
1年前の事件の輪郭が鮮明に現れた!

 ある晩の八幡浜、港に近い居酒屋に2人の男女が入ってきた・・・男(S)は、大分酒が入っており、
女はバー勤めの売れっ子評判美女である・・・、
そこへ、三崎へ帰ろうと腹ごしらえのため浦田さんたちが入ってきた・・・。
しばらくは、なんと云うこともなかったようだが、其のうち、酔いが廻ったSに女が困った素振りをする
ようになったのを見て、正義感のつよい浦田さん達がやんわりと止めに入ったそうだ。

それにSが激怒することになったため、女をその場から逃がせて、殴ってくるSをなだめて車に乗せ、
フェリー乗り場へと連れて行き、そこへ降ろして帰るつもりだったが、意に反して、下車と同時にSが
再び殴ってきたので、浦田さんは、とび蹴りを入れて,そのまま乗車して発進した・・・まさか、
手をドアにはさんで引きずっていたとは、思っても居なかった・・・。

これが、真相であった・・・。そのSは、現在関西のある都市で、ボクシングジムを開き、
世界ランカー(現在息子が二代目。息子はフライ級の世界6位)日本ランカー(日本チャンピオン)
を育てて、日本ボクシング協会の原田会長とは肝胆合照らす仲である。

 松山市二番町に私の行きつけの喫茶店がある。
10年ほど前の正月2日だったか、年始を兼ねてコ-ヒ-を飲みに立ち寄った際に、浦田さんが
座っているのが目に入った!

私と彼との会話は楽しい・・・若い頃の武勇伝・・・ といっても彼のスケ-ルはとてつもなく大きい・・・。
あのインドネシアのスカルノ大統領の時代の某大臣は、浦田さんが大学時代の少林寺拳法の盟友で、
訪ねた折は国賓級のもてなしである・・・。

 その頃の彼は、少林寺拳法世界連盟8人の理事の中で、日本人は2人、
そのひとりが彼「浦田武尚」である。


若かりし頃、

「上杉さん、芦原さんの稽古見に行きますか?」

私のところへ来た折、彼が言ったので、ジプシー稽古の時代が終わったばかりの極真会館芦原空手を
八幡浜公会堂(市民会館が出来る前にあった建物)へ見に行った・・・!

芦原さんに「見学させてよ」と声をかけ、しばらく見学しての帰り際・・・・

「上杉さん!(芦原空手には)負けませんよ!」
目は鋭いまま、にやりと笑って浦田さんは・・・そう言った。

今振り返ると、その道のカリスマふたりの出会いに遭遇した、貴重な歴史に残る場面に私、上杉は
立ち会ったことになる!

一方は、空手に名を轟かせる空手の天才 芦原英幸!
もう一方は、少林寺拳法の世界で頂点に立った実力者 浦田武尚!
関西に勇猛轟かせるボクシングの鬼 S(何時の日か 実名で交遊録に登場してくるだろう)

私の青春に彩を添えてくれた英雄達・・・!!!
私は、彼らとの出会い交友、其の時代を共有した幸せに感謝している。

その道に、邁進する人々にとって仰ぎ見るポジションの達人達、私が困難に遭遇したとき、
勇気ずけてくれるシンボル達である。


実名で投稿することの了解を得るため,神野敏 正拳士4段に電話した。
彼は稽古をつけていた時であったが、元気な声を聞かせてくれた!

「上杉さん、元気かな・・・?」 私の身体をきずかってくれる・・・。

「また、松山へ出ておいでよ、お茶を飲もう!」


逢いたくても、ふたたび逢えぬ顔! 芦原英幸。

強さの中に融和を秘めた顔!金剛禅総本山少林寺代表 浦田武尚(正範士8段)。

勇者の顔がオーバーラップした。。。

                          合掌
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