犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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真に受けない

2020年01月06日 | 介護ウチのバヤイ
[あらまし] 同居母86歳要介護2パーキンソン病認知症状少々。

脳の状態が原因なのか、
何か新たに思い付くと、それをせずにはいられなくなる。
たとえば、食事をしていても、服のことが気になったら、
ハンガーラックの所まで行って服の整理を始めずにはいられない。

この衝動は本人も戸惑うほどのものらしい。



ゴミの分別であるとか、レンジの使い方であるとか、
ガスコンロの使い方であるとか、暖房のスイッチの入れ方であるとか、
夜間は薬が効いていないからベッドから離れて歩かないことであるとか、
とにかく何でも、きまりごとをすることが難しい。

ケアマネさんも
「須山さんに、〇〇してくださいとか〇〇しないでくださいねとか
そういったことはもう無理ですねー。」
と、今までと対応を変える必要が有ると言う。



そうは言っても、本人はその場では納得できない。
ただ「ベッドに戻りましょうねー」と言ったところで、
自分が思い込む目の前の目的を果たさないうちはベッドに戻りたくなんかないのであって、
抵抗する。
身体的な抵抗つまり暴れたりはしないが、
頑として動かない、自分の行こうとしていた方向へ進み続ける、
などはする。

こうなると、転倒の危険が有るから、と説明しても
それは更なる不服のもとにしかならない。

性格的に、こういった時に母は「お願い」といった態度を取る。
「これを最後にするから。」「もうしないから。」
「よく分かったから。」などといった言葉がずらずらと出てくる。

「これを最後にする。」とか「もう懲りた、よく分かった。」とか
「今回で身にしみた。」といった言葉を
私はもう何度も聞いている。


私も私で、身にしみて懲りているはずなのだが、繰り返す。

母は説明を求める。
少し気分が晴明だと、きちんと理由を説明してもらってそれを聞いて理解して納得する、
という手順を踏みたがり、実際、その場ではそれができる。
「分かった。理由が分かったので、これからそうする。」と、
しっかりと言う。

説明を求められたら、こちらも一所懸命に説明し、
分かったと言われれば、説明した甲斐が有ったと感じる。

ところが、無いのである。甲斐なんか。

「分かった」と言うのは嘘ではない。
それは分かる。
しかし、その時に分かったのと、また別の時に他の理由が発生するのとは別問題なのだ。

そして、あの会話はなんだったんだ、という徒労感に茫然とする。

その徒労感を憶えているので、また別の機械に説明を求められても、
もう私は説明をしたくない。
順序だててきちんと説明するのだって、楽じゃない。
しかも説明しても残らないと分かっていて諦めながら逐一説明するのは、
無駄な労力だ。



説明を求められても、うまくかわすか簡単な理由をひとことで言えるようにするか、
何かそういった方便を身に付けないと、もたない。

知恵が必要だ。
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