来たれ!!渡辺謙連隊は死に場所を求めている君を待ち望んでいる。部下の戦死率99.9%以上を誇る渡辺謙隊長が戦国タイプと軍国タイプ、二つの地獄を用意しているぞ。君はどっちが好みかな?おっと、でも一つだけ気をつけて欲しいんだ。もし君がトムやニノみたいなイケメンだと生き残っちゃうかもしれないぞ。
そんなわけで、ラストサムライの勝元がそのまま大日本帝国軍人になったみたいなキャラで、ミスター・敗軍の将 ケン・ワタナベの負けっぷりを堪能できる作品であった・・・。
********
絶望的な状況に投げ込まれた男たちの生き様。
お国のためなどという美名のもと、いかに多くの者たちが恐怖にあえぎ、精神を狂わされ、惨たらしく死んでいったか
イーストウッドはそんな異常状況の中で、己を貫くものを讃える。
そして国のためでなく、大事な君のために生きようと願い、お国の要求する死を拒否したものが生き残る。
ただ悲しいのは、それだけお国によってひどい目にあわされても、やっぱり自分の国は愛しいのだ。
「ここはまだ日本か」
2006年度のベスト台詞賞を与えたい名台詞。かなりぐっとくる
国を愛する気持ちが美しいから泣けるのではなくて、男が自分が信じることを貫き通したから。
貫いた結果、行き着いたところが死でしかなかったから。
*********
「父親たちの星条旗」はイーストウッド流・反権力の集大成だった
「硫黄島の手紙」にも反権力は描かれる。特定の国を避難してると取られないようちゃんとアメリカ側の非道さも公平に描いている。国家というより戦争そのものへの反発だ。しかしそんなところを重視して反戦映画色を強く出すのではなく、それよりも個人個人の生き様を見つめた、イーストウッド流個人主義とでも言えばいいのか、そういうものの集大成だったように感じる。
とすれば、硫黄島二部作は単にアメリカと日本の双方の視点から一つの戦闘を描いただけでなく、「反権力」と「個人主義」というそれぞれのテーマを同じ戦場を舞台にした別々の映画で追い求めた二部作だったのかもしれない。
***********
捕虜になったアメリカ兵の持っていた手紙の内容がイーストウッド映画の理念そのものだったように感じる。
「あなたが正義と思うことを貫けばそれが正義になる」というような内容。
私正義の男イーストウッドの信念。
群像劇であるこの映画では各人が己の正義に基づいて行動する。
そして、人の生死を決めるのは、信念を貫くか貫かないかではなく、正しいか悪いかでもない。運命の気まぐれとしか言いようがない。
なんとか生き延びようとして命を落とす者
死のうとして生き延びる者
あるいは死んではならんと命令したのに、逆の命令が伝わり多くの部下が死ぬ
信念も正義も戦場においては全く役に立たない。
それでもなお己が信じることを貫く者たちを慈しむ。
重要なのは皆が皆、美しいイデオロギーとか愛国心に従って行動しているのではなく、絶望的な状況の中でそれぞれが己を全うするしかなくなり、自分に従って行動しているということだ。
それぞれの正義、それぞれの信念。国のためではなく、自分の信じる道のため(栗林によればそれは同義だそうだが)
信念への執着。
それが今までの戦争映画にはない、強い人物像を与え、深い感動をもたらす
その姿は美しい。しかし、ほとんどの人間が死ぬ。惨たらしく死ぬ。美しい戦争などない。
******
ところで・・・
死が当然のものとなると感覚が麻痺してくるのか、青年兵・西郷(二宮和也)がアメリカの大艦隊の艦砲射撃の中、落とした便器を拾おうと必死になっている姿がやけに印象深い。
砲撃と糞まみれの便器。この強烈なコントラストはなんなのだろうか。便器なんか投げ捨てて陣地に逃げ戻りそうなものだが、便器をあきらめない。
何としても生きてやる→生きていると糞が出る→だから便器は必要・・・という彼の生への執着を表していたのかもしれない。
*******
追記・・・イーストウッドの好きな「反復」について
イーストウッド映画にはよく反復がでてくる。悪党が中盤で吐いた台詞を、ヒーローが終盤で言い返す・・・というパターンが多いが、それだけでなく様々な「反復」がイーストウッド映画を彩る
「ルーキー」でチャーリー・シーンがイーストウッドに初めて会った時の台詞が、エンディングでチャーリーの所に配属された新米刑事と間で反復される
「トゥルー・クライム」の魔の急カーブに対する台詞の反復
「ミリオンダラー・ベイビー」だって「行きは飛行機、帰りは車」という台詞をヒラリー・スワンクが反復するところが印象深い。
「父親たちの星条旗」における擂鉢山からの俯瞰映像だってイーストウッド反復術の応用ではないだろうか(1回目は大艦隊を写すスペクタクル、2回目は数人の男たちが戯れる寂しげな映像)
本作では「二度あることは三度ある」という台詞の反復が見られるが、これは二回とも栗林(渡辺謙)が西郷(二宮和也)吐いたもので、一回目と二回目に大きな意味の違いは無い。
反復が効果的だったのは、戦闘が始まる前に栗林が海岸を視察中、突然部下に「アメリカ兵のつもりで走れ」と言い、走り回る部下をライフルに見立てた杖で狙い撃ちするフリをするシーン。
終盤にその時と同じ浜辺をひん死の栗林が歩いている。
当然、無邪気にはしゃいでいた栗林の姿が記憶に蘇ってきて、涙がこみあげてくる。
いつもは映画にユーモアを持ち込むために使っていた「反復」がこの映画では、泣かせのために使われる。
****************
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
そんなわけで、ラストサムライの勝元がそのまま大日本帝国軍人になったみたいなキャラで、ミスター・敗軍の将 ケン・ワタナベの負けっぷりを堪能できる作品であった・・・。
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絶望的な状況に投げ込まれた男たちの生き様。
お国のためなどという美名のもと、いかに多くの者たちが恐怖にあえぎ、精神を狂わされ、惨たらしく死んでいったか
イーストウッドはそんな異常状況の中で、己を貫くものを讃える。
そして国のためでなく、大事な君のために生きようと願い、お国の要求する死を拒否したものが生き残る。
ただ悲しいのは、それだけお国によってひどい目にあわされても、やっぱり自分の国は愛しいのだ。
「ここはまだ日本か」
2006年度のベスト台詞賞を与えたい名台詞。かなりぐっとくる
国を愛する気持ちが美しいから泣けるのではなくて、男が自分が信じることを貫き通したから。
貫いた結果、行き着いたところが死でしかなかったから。
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「父親たちの星条旗」はイーストウッド流・反権力の集大成だった
「硫黄島の手紙」にも反権力は描かれる。特定の国を避難してると取られないようちゃんとアメリカ側の非道さも公平に描いている。国家というより戦争そのものへの反発だ。しかしそんなところを重視して反戦映画色を強く出すのではなく、それよりも個人個人の生き様を見つめた、イーストウッド流個人主義とでも言えばいいのか、そういうものの集大成だったように感じる。
とすれば、硫黄島二部作は単にアメリカと日本の双方の視点から一つの戦闘を描いただけでなく、「反権力」と「個人主義」というそれぞれのテーマを同じ戦場を舞台にした別々の映画で追い求めた二部作だったのかもしれない。
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捕虜になったアメリカ兵の持っていた手紙の内容がイーストウッド映画の理念そのものだったように感じる。
「あなたが正義と思うことを貫けばそれが正義になる」というような内容。
私正義の男イーストウッドの信念。
群像劇であるこの映画では各人が己の正義に基づいて行動する。
そして、人の生死を決めるのは、信念を貫くか貫かないかではなく、正しいか悪いかでもない。運命の気まぐれとしか言いようがない。
なんとか生き延びようとして命を落とす者
死のうとして生き延びる者
あるいは死んではならんと命令したのに、逆の命令が伝わり多くの部下が死ぬ
信念も正義も戦場においては全く役に立たない。
それでもなお己が信じることを貫く者たちを慈しむ。
重要なのは皆が皆、美しいイデオロギーとか愛国心に従って行動しているのではなく、絶望的な状況の中でそれぞれが己を全うするしかなくなり、自分に従って行動しているということだ。
それぞれの正義、それぞれの信念。国のためではなく、自分の信じる道のため(栗林によればそれは同義だそうだが)
信念への執着。
それが今までの戦争映画にはない、強い人物像を与え、深い感動をもたらす
その姿は美しい。しかし、ほとんどの人間が死ぬ。惨たらしく死ぬ。美しい戦争などない。
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ところで・・・
死が当然のものとなると感覚が麻痺してくるのか、青年兵・西郷(二宮和也)がアメリカの大艦隊の艦砲射撃の中、落とした便器を拾おうと必死になっている姿がやけに印象深い。
砲撃と糞まみれの便器。この強烈なコントラストはなんなのだろうか。便器なんか投げ捨てて陣地に逃げ戻りそうなものだが、便器をあきらめない。
何としても生きてやる→生きていると糞が出る→だから便器は必要・・・という彼の生への執着を表していたのかもしれない。
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追記・・・イーストウッドの好きな「反復」について
イーストウッド映画にはよく反復がでてくる。悪党が中盤で吐いた台詞を、ヒーローが終盤で言い返す・・・というパターンが多いが、それだけでなく様々な「反復」がイーストウッド映画を彩る
「ルーキー」でチャーリー・シーンがイーストウッドに初めて会った時の台詞が、エンディングでチャーリーの所に配属された新米刑事と間で反復される
「トゥルー・クライム」の魔の急カーブに対する台詞の反復
「ミリオンダラー・ベイビー」だって「行きは飛行機、帰りは車」という台詞をヒラリー・スワンクが反復するところが印象深い。
「父親たちの星条旗」における擂鉢山からの俯瞰映像だってイーストウッド反復術の応用ではないだろうか(1回目は大艦隊を写すスペクタクル、2回目は数人の男たちが戯れる寂しげな映像)
本作では「二度あることは三度ある」という台詞の反復が見られるが、これは二回とも栗林(渡辺謙)が西郷(二宮和也)吐いたもので、一回目と二回目に大きな意味の違いは無い。
反復が効果的だったのは、戦闘が始まる前に栗林が海岸を視察中、突然部下に「アメリカ兵のつもりで走れ」と言い、走り回る部下をライフルに見立てた杖で狙い撃ちするフリをするシーン。
終盤にその時と同じ浜辺をひん死の栗林が歩いている。
当然、無邪気にはしゃいでいた栗林の姿が記憶に蘇ってきて、涙がこみあげてくる。
いつもは映画にユーモアを持ち込むために使っていた「反復」がこの映画では、泣かせのために使われる。
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イーストウッドの特徴が「反復」だということがよくわかりました。なにか見直すときには頭に入れておきます~
二部作によって双方の「反権力」を描いてありましたけど、絶対権力と民衆との中間にあたる人物(栗林だったり、アメリカの英雄だったり)の苦悩も見事に描いてありますよね。
なんだか、ほんとに感想を書きづらい・・・「戦争反対」と堂々と言えないことと似ているような・・・そんな世の中のもどかしさをも表現しているような気がしました。
私的には、80年代にとっくに完済。
配当金を毎年くれてる感じですが、イーストウッドが巨匠化してて、「ブラッドワーク」とか「トウルー・クライム」、「目撃」といった、仕事も下半身も現役にこだわった主演映画を、今後も撮ってくれるか、そればっかりが心配です。
イーストウッドが中間管理職の悲哀を描いたらけっこういい映画になるかもしれないですね
でもラストは悪玉をぶち殺して女とイチャイチャかもしれないけど
>aq99さま
最後の下半身映画が「ブラッドワーク」になりそうですね
なんとか踏ん張って、スペースカウボーイ2生きていたトミー・リーとか撮ってほしいです。若い女の子と宇宙に行くようなやつ