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レディ・イン・ザ・ウォーター [監督:M. ナイト・シャマラン]

2006-10-06 01:49:14 | 映評 2006~2008
久々の映画鑑賞、久々の映評だというのに、何書いたらいいのかよくわからんものを観てしまった・・・
監督は98年に間違って傑作を作ってしまい以来、アメリカ映画界のシステムではストッパーをかけることができなくなってしまったあの男。
シャマランワールドなどと仰々しく言われたりもするが、要するに、静かなるバカである。最後のあっと驚くどんでん返しが特長かもしれないが、ようするにどんでん返し頼りの一発オチ映画であって特別優れたストーリーテラーとも思えない。どんでん返しまでの過程を面白くしすぎた「アンブレイカブル」はかえってどんでん返しにとって付けた感が漂い、本格的どんでん返し狙いの「ヴィレッジ」は始めからくると判って観てるから容易に先が読めてしまう。(どんでん返しってわけでもなかった「サイン」はラストでの伏線の展開させ方が強引すぎて大爆笑)どんでん返しなんかよりよっぽど楽しみなのは「シャマラン登場シーン」だったりするが、それについては後述する。
ともかくどんでん返し作家としての限界を感じたのか本作ではいわゆる「どんでん返し」は使わず、物語冒頭で目標を提示、目標達成の障害を提示、障害をクリアして目標達成しハッピーエンドというお約束通りの普通のストーリーテリング。結果としてもろ予定調和なストーリーとなったが、むしろシャマランの良さ(バカさ)を純粋に楽しむことができる。
映画が始まると象形文字っぽいアニメで水の精と人間の伝説が語られる。この時点でこの映画はマジメに観る必要がないと宣言しているみたいだ。もっともシャマラン作品と知ってチケット買った時点ですでにマジメに観る気など皆無だが。
シャマランの映画はいつもいつも非常に閉ざされた世界の中のチマチマした出来事が描かれる。だがその背景では大事故とか地球侵略とか異様にスケール感のある事件が同時進行したりする。今回も人類の進歩みたいなことが臭わされる。冒頭のイラクかどっかの戦争の模様を伝えるテレビは腐敗しきったダメダメな人間世界を象徴している。ラストの希望の星空と対比すればいいのだろう。そこに救世主たる水の精が現れるわけだが、物語はプール付きのちょっと豪華なアパートメントから一歩も飛び出さない。
ヒッチコックの再来などとヨイショにも程がある言われ方をするシャマラン先生。ひょっとしてヒッチコックの「裏窓」あたりを意識したのかも知れない。まあいい。
アパートの住人たちが集まり知恵をしぼって水の精の女の子を芝生獣から救いつつ大鷲にかえしてやる・・・むちゃくちゃだがストーリーのきっかけなんて何でもいいんだよというヒッチコック流マクガフィン理論をバカなりに応用発展させてみたとも言えよう。マクガフィンについては→m:i-3の映評参照
シャマラン作品の登場人物には異物がいない。異物とは物語をかき乱し予期せぬ方向に物語を進めてしまう人物だ。いないのは当然である。一発オチ映画なんだから。登場人物みんなでよってたかってシャマラン先生の考えたご自慢のオチに話が転がるよう軌道修正しお膳立てしていく。今回はどんでん返しはないものの、あらかじめ提示された物語の目標に向かって登場人物たちが動く点ではなんら変わりがない。
アパートの住人たちは何の疑問もなく主人公の言葉を信じる気持ち悪いくらいの善人たちである。常に全裸か薄いシャツ一枚の女の子を前に誰もスケベ心を抱かない。いい人すぎる。女の子にひたすら優しい宮崎アニメの男たちを思わせるが、対象の女の子が常に全裸か半裸なのでいい人度は宮崎映画キャラなど軽く越えて究極MAXとしていい
ただその割に、誰一人として、女の子に服を着せようと言い出す人はいないし、女の子がシャワー中でも平気で集まり覗き込んだりもする。恥ずかしそうに目をそらしたりうつむいたりしながら話す事もない。ものすごく日常的な光景のように男たちは全裸or半裸の女と向かい合う
そういえば最初の方で薄いシャツ一枚はおっただけの女の子を主人公は、その子の正体をまだ知らん時だというのに、シャツだけの姿で外に置いてこようとする。芝生獣に襲われ家に退散するが、獣がいなくたってあんなかっこで女の子を外に放り出すなど人としてやってはいけないことのような気がする
結局、いい人なのか悪い奴らなのか・・・ただ一つ言えるのは、みな暇なんだなあ・・・ということである。仕事が電話が集金が・・などと言わず皆でプールから現れた女の子のために尽力する。もっとも裸の女が突如アパートに現れたら仕事どころじゃなくなるだろうが・・・

何を書いて良いやらと言いつつ長くなった。

シャマランの物語構成についてあれこれ考えても不毛なので、この映画でシャマランが語る脚本家としての自信の程について書いてみる。
例によってシャマランが出演するが、今回の彼の役は「ライター」である。「ライター」とは劇中では単に「物書き」くらいの意味で使われていたが、映画人にとって「ライター」はもちろん「脚本家」のことを指す。
ストーリーという名前の女の子。彼女に出会って針で刺されたような感覚を味わう「ライター」。物語に刺激された脚本家というところか。
思わず笑ってしまうのは「貴方の書物に影響を受けた人がやがて国の指導者になり貴方の思想を語る」みたいなご神託の台詞を自分で書いて俳優の口を使って自分に聞かせてしまう。「料理本が?」と彼の妹役の女優がいう。この台詞は「一発オチ作家が?」とでも置き換えるといいだろう。
いつか俺の素晴らしい脚本が評価される日がくるのさ、そして俺の映画に感動した男が大統領になってこの国を導くんだ・・・そんな夢を語る無邪気なシャマラン。中盤の無邪気な子供を演じるポール・ジアマッティの姿に、なんちゅうことやらせてんだと思ったが、少年の心を持ったシャマランらしい演出と言えるかもしれない。
ついでにダメ脚本を罵倒する評論家を獣に食い殺させるくだり。俺の脚本貶す奴はこうなるぜ!!ってつもりではなく、定型をけなす男を定型で殺すところに定型作家としての開き直りが感じられて小気味いい。

もう一つ気になることがある。回を重ねるごとに俳優M. ナイト・シャマランの扱いが大きくなってくることだ
ブルースやサミュエルやメルらが主演していた映画では彼ら大スターのオーラでシャマランの存在など朧げなものだった。しかしメルの「サイン」では台詞も登場時間も多くなっていたが・・・。そんでホアキンとかエイドリアンとか実力はあるがスターのオーラに乏しい俳優を排した「ヴィレッジ」ではどうか。作品の性質上もろインド人な容貌のシャマランは重要な役につくことはできなかったが、ラスト付近のシャマラン登場の仕方は大スターをもったいぶった写し方で登場させる手法そのもので笑えるものだった。ストーリーのどんでん返し説明の役回りであった彼だが、彼の登場の仕方に私は(既に咲き読めしていたどんでん返しよりもよほど)度肝ぬかされた。もしかしてあの映画の最終目的はシャマランをかっこよく最後に写す事だったのかもしれない。
で、本作である。主演はポール・ジアマッティ。映画好きなら「ああサイドウェイのワインオタクね」とか「シンデレラマンでオスカーとると思ってたんだけどねえ」とかその程度の話は出てくるだろうが、多分大多数の(別に映画好きでもない)人間には「誰それ?」くらいの俳優だろう。ポールと「ヴィレッジ」に続いて登場のロン・ハワードの娘を除けばあとはほぼ無名といってよかろう。
そういうわけで相対的にシャマランの存在感が増す。しかも今回はシックスセンスからヴィレッジまでの彼の登場シーン全部足したより長いくらいの時間と台詞。シャマラン登場シーンの安心感。そんなもの錯覚でしかないとわかっていても抗えない観客心理。
誰も自分を止めることができなくなったのをいいことに、自分の映画を使って自分を徐々にスター格にしていってるのではないだろうか?
そのうちロン・ハワードの映画に出演したりするかもしれない。インドを舞台にした映画でも撮る事になったとしたら知名度のある俳優を求めるプロデューサーはM.ナイト・シャマランを使えなどと言い出すかもしれない。いやそんなことより、下手したらシャマランの次回作では自分を主役か準主役で使っちゃうかもしれない。
俳優M.ナイト・シャマランの動向に要注意。
こうなったら間違ってオスカー候補(主演男優賞とか)にでもなっちゃえ。めちゃくちゃになるぞハリウッド。いっひっひ

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6 コメント

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ご無沙汰しています。 (冨田弘嗣)
2006-10-14 19:34:54
 トラツクバック、ありがとうございます。最近の映画制作者は、アメリカ、日本に限らず、観客に目を向けているのかと、私は疑問をもっています。完全に観客を疎外し、勝手に謎解きやって喜んでいるだけ。私達はそれを観るだけ。マスターベーションをみせてくれてもいいけれど、良質のマスターペションでなければ・・・。いつまで「シックスセンス」の宣伝を引きずっているのか・・・こんな室内劇はこりごりでした。読ませてもらい、ありがとうございました。  冨田弘嗣
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コメントどうもです (しん)
2006-10-16 21:41:04
>冨田さま

たしかに好き勝手やってるオナニー映画ではあると思いますが、覗き見したオナニーが、天井から逆さでぶら下がって口で孫の手くわえてやってるような奇怪なものでつい最後まで見てしまったような感覚は味わえるかと思いますです。

全裸ばかりなのにエロくないところがシャマランのセックスセンスですねとしょうもない事言った所で、コメントありがとうございました。
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裸のシャマラン (にら)
2006-10-18 09:11:47
よくもまぁ、ここまでミもフタも無いくらいミニマルな作品をハリウッドで作れたものだ、と感心しちゃいました。

物語以外はなんでもあった『パイレーツ~2』と、物語以外なにもない『レディ~』。歌舞伎町あたりの高級風俗嬢さんをかき集めての擬似プレイみたいな前者より、ひっそり自宅でやってる妄想かき集めたオナニーみたいな後者を、断固支持します。



でも、その妄想には「不思議少女」とか「妹」とか入ってそうで、ちょっと怖いんですけど(笑)。



てなわけで、TBありがとうございました。
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コメントどうもです (しん)
2006-10-19 21:42:13
>にらさま

あんまりオナニーオナニー書いてると、変なトラックバックが増えそうですが、超妄想系オナニーしながらしかも将来ボクのホンの言葉を大統領が引用するのさ・・・と、超大国の未来まで夢想するオナニーをするとは、まさに世界最強のオナニスト・シャマランという感じですね。

夢はでっかくもてよお・・と肩をたたきたくなるあたり、ブラッカイマーに持ち上げられてすっかり大物気取りな感じのバービンスキーにゃない子供っぽいシャマランですね
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宮崎アニメ (aq99)
2006-10-30 19:56:21
そういえば、冒頭のアニメでちょっと「ナウシカ」とか宮崎アニメのOPを思い出しました。

宮崎アニメに乳首が描かれないのと同様、たぶんブライス・ダラス・ハワードには、ニプレスが貼ってあったと思います。



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コメントどうもです (しん)
2006-10-30 21:06:46
>aq99さま

オナニーとか乳首とか楽しいキーワードのついたコメントの多い作品です。

あれだけ一生懸命エロくない全裸ギャルを描いているというのに、男たちは勝手に妄想全開でございます。

どうでもいいですが、ナウシカ・ノーパン説を熱く語る人がいました。
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