伊丹十三や新藤兼人や、変態・エロ巨匠たちと日本映画史を駆け抜けた津川雅彦らしい、楽しい楽しいエロオヤジング映画。
人生あれこれ色々経験してきたけどやっぱ一番楽しいのはエロいことだよな、とばかり師匠や兄弟子の通夜で延々エロ話を繰り広げる映画だが、次第に生きることの楽しさが浸透してきてラストの方では不思議なほど感銘を受ける。下ネタ喋り続けているだけなのにね。
脚本に問題を感じるところもある。
オープニングの小咄。「外」と「そそ」(←女のアソコ)を聞き間違えて、誰か師匠(長門裕之)におそそを見せてくれる女はおらんのか?・・・って、てんやわんやの末、橋太(中井貴一)の妻・茂子(木村佳乃)に頼むことになり大騒ぎ・・・ってくだり。テンポよく会話を繋ぎ物語の方向性を提示し主要人物の紹介もして・・・模範的なオープニングである。だが、奥さんに頼むより前にプロでも雇えばいいのに・・・と素朴な疑問がわく。木村佳乃(大好きな女優ですが)が病床の師匠に恥ずかしさを堪えながらおそそを見せて、橋太と兄弟子・橋次(笹野高史)が茂子に、もうええで、もう充分や・・・と言うところも、なんで誰も師匠に「もうええでっか?」と訊かないのだろう?そりゃ訊いたらその時点で訊き間違えのネタが露呈するからだが、脚本家の都合でしかない展開には疑問を感じる。
(脚本・大森寿美男…「39」の脚本家。国内トップクラスの名脚本家ではないかと勝手に思っている)
淡路島のシーンにも苦言を呈しておく。
落語の合間に垂れ幕めくったりする係の女の子のことを「おちゃこ」と言うらしいが、淡路島では女のアソコも行為も「おちゃこ」という。淡路島に師匠一行が来て、地元の女の子に師匠が「オチャコしてもらおうか」と言うと、女の子が「いやあぁぁ!!できません!!!」と絶叫し顔を真っ赤にして出て行く。そこまではいい。
その後、映像は逆回しになって師匠の台詞までもどる。そして判りやすくするために標準語バージョンでそのシーンが反復される。
「オメコしてもらおうか」
「いやあぁぁ!!できません!!」
・・・ここで思うのは、今時の女の子は「オメコ」と言われてもピンと来ないのではってこと。「エッチしてもらおうか」くらい言わないと意味が分からんのでは・・・
もちろん「エッチ」じゃ落語の粋な感じが出ないから「おめこ」でいいのかもしれないが、であるにしても、その後の行動は「恥ずかしくなって逃げる」ではなく「侮蔑するような顔で『きもい・・・』とか言う」方が今時の女の子っぽいってものだろう。
この辺、若い女の子も俺と同じ感性を持っているだろう、あるいは持っているべきだ、と考える老人っぽい思想が垣間見える。
そうはいっても、物語が進むに従い加速していくようなエロトークのヒートアップに圧倒される。しゃれっけも小粋な感じもだんだん剥げ落ちて、幼稚でバカ丸出しな、なりふり構わぬエロ話に変わっていく様は、大人たちが純朴な人間へと回帰していくかの様。それがお通夜という死の儀式の中で行われることが表現上の強いコントラストとなっている。
照れずに全開のエロトークも、生と死の対比も、純朴さへの憧憬も、ベテラン監督たちの得意技。初監督のマキノ雅彦(津川雅彦)ではあるが、さすがにあんだけ色んな映画に出ていたベテラン俳優。監督たちの技は全て吸収していたようだ。
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人生あれこれ色々経験してきたけどやっぱ一番楽しいのはエロいことだよな、とばかり師匠や兄弟子の通夜で延々エロ話を繰り広げる映画だが、次第に生きることの楽しさが浸透してきてラストの方では不思議なほど感銘を受ける。下ネタ喋り続けているだけなのにね。
脚本に問題を感じるところもある。
オープニングの小咄。「外」と「そそ」(←女のアソコ)を聞き間違えて、誰か師匠(長門裕之)におそそを見せてくれる女はおらんのか?・・・って、てんやわんやの末、橋太(中井貴一)の妻・茂子(木村佳乃)に頼むことになり大騒ぎ・・・ってくだり。テンポよく会話を繋ぎ物語の方向性を提示し主要人物の紹介もして・・・模範的なオープニングである。だが、奥さんに頼むより前にプロでも雇えばいいのに・・・と素朴な疑問がわく。木村佳乃(大好きな女優ですが)が病床の師匠に恥ずかしさを堪えながらおそそを見せて、橋太と兄弟子・橋次(笹野高史)が茂子に、もうええで、もう充分や・・・と言うところも、なんで誰も師匠に「もうええでっか?」と訊かないのだろう?そりゃ訊いたらその時点で訊き間違えのネタが露呈するからだが、脚本家の都合でしかない展開には疑問を感じる。
(脚本・大森寿美男…「39」の脚本家。国内トップクラスの名脚本家ではないかと勝手に思っている)
淡路島のシーンにも苦言を呈しておく。
落語の合間に垂れ幕めくったりする係の女の子のことを「おちゃこ」と言うらしいが、淡路島では女のアソコも行為も「おちゃこ」という。淡路島に師匠一行が来て、地元の女の子に師匠が「オチャコしてもらおうか」と言うと、女の子が「いやあぁぁ!!できません!!!」と絶叫し顔を真っ赤にして出て行く。そこまではいい。
その後、映像は逆回しになって師匠の台詞までもどる。そして判りやすくするために標準語バージョンでそのシーンが反復される。
「オメコしてもらおうか」
「いやあぁぁ!!できません!!」
・・・ここで思うのは、今時の女の子は「オメコ」と言われてもピンと来ないのではってこと。「エッチしてもらおうか」くらい言わないと意味が分からんのでは・・・
もちろん「エッチ」じゃ落語の粋な感じが出ないから「おめこ」でいいのかもしれないが、であるにしても、その後の行動は「恥ずかしくなって逃げる」ではなく「侮蔑するような顔で『きもい・・・』とか言う」方が今時の女の子っぽいってものだろう。
この辺、若い女の子も俺と同じ感性を持っているだろう、あるいは持っているべきだ、と考える老人っぽい思想が垣間見える。
そうはいっても、物語が進むに従い加速していくようなエロトークのヒートアップに圧倒される。しゃれっけも小粋な感じもだんだん剥げ落ちて、幼稚でバカ丸出しな、なりふり構わぬエロ話に変わっていく様は、大人たちが純朴な人間へと回帰していくかの様。それがお通夜という死の儀式の中で行われることが表現上の強いコントラストとなっている。
照れずに全開のエロトークも、生と死の対比も、純朴さへの憧憬も、ベテラン監督たちの得意技。初監督のマキノ雅彦(津川雅彦)ではあるが、さすがにあんだけ色んな映画に出ていたベテラン俳優。監督たちの技は全て吸収していたようだ。
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