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映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

フライ、ダディ、フライ [真っ直ぐにしか進めない男たち]

2005-07-12 02:00:20 | 映評 2003~2005
「基礎って知ってるか? 無駄なものを削って、必要なものを残す事だ」
成島出と金城一紀にとって、この映画の制作は基礎トレーニングのようなものだったと考える。

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今年の日本映画(これ入れて13本しか観てないけど)の中では、かなりの傑作。
話が判りやすくて、無駄なくテンポよくて、シナリオと演出は一つに溶け込み、主役二人は好演し、笑えて泣けて燃えて手に汗握れて最後ハッピーエンド。断言するよ。これは傑作さ。歴史的な傑作ではないけど、2005年という小さなスパンで考えればかなり上位に来るさ。

以上の大前提を踏まえた上で、少々批判めいた言い方もしながら、色々思うところを書いてみる。

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とにかくスポコンものという奴は、誤解を恐れずに言うと、作る方も見る方もバカでいられるという利点がある。バカ、つまりまっすぐな思想。野球なら、カーブもフォークも牽制球もなく、ひたすら150km/hの直球を投げるピッチャー、あるいはひたすら自分の得意なコースでフルスイングしてホームランか三振しかないバッター。
シナリオも実にストレート。娘の敵討ちのため喧嘩のトレーニングを繰り広げ、クライマックスの対決まで駆け抜ける。娘の仇討ち、父のあるべき姿、そこに一点集中して突き進む。一点集中させるには限界まで体力使わせて、頭使う予知を与えないことだ。

パンフにこんなことが書いてあった。
ホン読みか、企画会議かなんかで、「40日も会社休んで、喧嘩のトレーニングするなんてリアリティがない」という意見が出て、監督・成島出が言葉に窮した時、金城一紀がささやく「大丈夫、そんなこと言うやつは絶対に鈴木さんみたいに飛べない奴だから」
いい発言である。金城一紀語録に残るだろう。
映画の方向性は「大人のファンタジー」と決まり、実際映画では、「それあり得ねーだろ」って部分も多々あるが、言い訳じみた説明は一切しない。
スタートからゴールまで一直線に最短距離を突っ走る。
娘を殴った男は、衆議院議員の息子で、金と権力で悪事をもみ消す・・というイカニモな設定
娘はやはり何も悪くなく、精神の歪んだ悪党に理不尽にぶちのめされた・・というイカニモ
妻は夫のすることを全面的に肯定し、100%理解し、帰りを信じて待つ・・というイカニモ
勝負で賭けをしていたことも、戦いの場を作るためであり、決して金儲けのためだけではなかった・・というイカニモ

ぷっと笑うくらいのイカニモ・オンパレードだが、この状況なら余計な考え持つことはない。
正義と信じて行った行為だが実は矛盾が潜んでいたり、その結果失ったものがあったり・・みたいな変化球はいっさい無し。

ファンタジーと割り切れば怖いものは一切ない。
・主人公は決してくじける事なく、次第にたくましくなっていく
・最初追いつけなかったものをしまいには追い越すようになるランニング(ロッキー3だ・・)
・説明的な台詞も、人物の性格設定の一環として違和感なし
・あっさりと制圧される名門校の始業式
・殴られてびびって、でもスンシンの顔を見て、「灰とダイヤモンド」暗唱して立ち上がるまでの間、立ち尽くしている石原(まるで変身中は攻撃しない東映ヒーロー番組の怪人)

いいんです。リアリティなんて全部投げ捨てて、「理想の父」「勝利の爽快感」を抽出できたし、これら普通なら批判される要素が、目的達成の舞台装置としてちゃんと機能していたんだから。

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・・・・ただ・・・何かひっかかるのは、あまりにストレートすぎたのではないか?と感じるところ。

もう少し主人公に試練を与えても良かった。
ゾンビーズたちの計画的なバックアップはシナリオ運びとして上手いのだが・・・。この映画の登場人物たちは、スンシンやゾンビーズはもちろん、憎き石原や名門校の教頭にいたるまで、全ての人間が、鈴木さんの勝利へのお膳立てをしていたような、安直さがある。
そこにしか向かわざるを得ないように、善人も悪人も誰も彼もがレールを引き、鈴木さんはその上をただ転がった。
だが、どんなに綿密な計画にも、予想だにしない事態が起こり得るものだ。本人の努力とか信念とか計画性の甘さとかを超えた、災難としか言えない事態が。

何がしかの不確定要素があっても良かったのでは?

バスとの競争シーン。この映画の名シーンとも言えるあのシーンだが。トレーニングで順調な仕上がりを見せ、気持ちも高ぶり自信も出てきた鈴木さん。矢口史靖(初期の)ならこのシーンで、信号無視した鈴木さんが車に跳ねられたりして、ゴール直前でフリダシに戻すようなことしたのではないだろうか?
予想外のハプニングを受け、それでもへこたれずに前進する姿があれば、ラストの爽快感はもっと増したのではないだろうか?

ファンタジーなんだからご都合主義でいいじゃんいいじゃん、とするのは悪くない
スポコン映画はバカになりきって作るべきだ、とも思う
けれど、物語構築において、いくらかでも先を読めなくしたり、予想外のサプライズ加えたりする頭脳労働を怠っていいことにはならない。1つ2つ、シナリオを練り回す要素を入れても、基本ラインはぶれないと思う。僕が言ってるのは、リアリティを出せとか、メッセージを加えろとか、そういうことではなく、単純・勧善懲悪・予定調和・ご都合主義・エンターテインメント・ファンタジー、全部OKだから、もっと構成に緩急付けてってことなのだ(その点だけは「ローレライ」は頑張っていた。ていうか頑張り過ぎちゃった)。
あるエピソードが次の事件を呼び、その事件が話の方向を変え・・・っていう、原因と結果の連鎖があればなあ・・・

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最後の対決は・・・あれで良い。
戦いがあっさりしすぎだ、もっとぼろぼろになるまで取っ組み合っても・・という声が聞こえてくる気がする。でも、僕はあれでいいと思う。
この映画は対決の日を迎えたところがクライマックスであり、対決シーンからはエピローグみたいなものだ。なぜならこの映画は鈴木さんが自信と誇りを取り戻す話であって、喧嘩に勝つ話ではない。(だからって、さあ戦いだ!!ってところでエンドロールになったら残念だったけど)
スンシンも言っていた。
「今、本当の勇気を感じているなら、もう戦わなくてもいいんだぞ」
ロッキーの試合シーンみたいに長々やる必要はないし、また現実問題として持久戦になれば即席トレーニングで鍛えた鈴木さんはスタミナ面に不安がある。
余計なこと考える余地を与えず、さっさと勝負にケリをつけ、後は大勢の人たちの歓喜の叫びで鈴木の勝利を盛り上げる。
上手かった。

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ところで、金城一紀はこんなこともパンフの中で言っていた。
「今の日本映画は、大作とミニシアターの間が弱いから、そこを埋めようとした」
これについては異論がある。
大作とミニシアターの間とは?それってプログラムピクチャーのことだろうか?金のかけないロードショー作品。だよね?

たしかにこの映画は、立派な、完成度の高いプログラムピクチャーだった。
何も考えずに楽しく観れて、しかも予算は少なくて済み、評価とそこそこの興行収入が望める・・・
成島出、金城一紀、両名とも日本のプログラムピクチャーにこれからも貢献していくだろう。
しかし、プログラムピクチャーの作家は
監督なら矢口史靖、犬童一心、岩井俊二(←大作でこけた)、滝田洋二郎(←大作は凡作)
脚本なら、クドカン、三谷幸喜(←壮大な歴史を背景にしてもほのぼのお気楽コメディにしちゃう)
・・・と、すでに結構コマはそろっている。
それでなくたって、出来不出来はともかくプログラムピクチャーはわんさか作られている。
ミニシアターが飽和状態なのは認めるけど、大作(多分、予算10億円かそれ以上の規模の映画だろう)については、ロクなものがないという実態の方がよほど深刻で、また二人プログラムピクチャー作家を増やしたところで、日本映画の隆盛につながるとは思えないのだけど。

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最後に映画と関係ないけど、ちょっとフカヨミ。
岡田准一くん演じた、パク・スンシン。パンフを読んで知ったのだけど漢字では「朴舜臣」と書く。
この人、朝鮮の英雄「李舜臣」と同じ名前なんだな・・と思った。そこからフカヨミが始まる。
李舜臣とは豊臣秀吉の朝鮮侵攻の際、朝鮮側の総大将みたいな地位だった人で(この辺の知識は適当だけど)、韓国では祖国防衛の英雄である。去年、釜山に旅行した時、釜山タワーのある丘に李舜臣の巨大な像があってそこで記念写真撮った。李舜臣は日本海に睨みをきかせていた。
舜臣という名前に「日本人をやっつける」という意味を見いだすこともできるだろうが、多分、多分ですけど、そんな民族主義的な思想とは関係なく「英雄」としての宿命を負わされた男、くらいの意味で考えるべきだろう。
スンシンは親に付けられたその名前をいかに感じていたか・・・原作には何か書いてあるかもしれないけど、映画では名前の意味や、名前が彼の人格に与えた影響は一切語られない。
ただ、「GO」という作品を思い出すと・・・あれは小説でも映画でも「名前なんかどうだっていい。俺は俺だ」というようなことが語られていた。名前、民族、国籍・・・個人を型にはめることに抵抗する物語であった。
舜臣。朝鮮の英雄。日本の敵。
本人がどう思おうが、周りには名前の持つイメージが先入観として付いてしまう。きっとスンシンも、そんな名前であるだけに、余計に、「俺は俺だよ」・・と思って生きてきたのではないか?
歴史的人物の名前へ反発しているうち、気がつくと自分もヒーローっぽい男になっていた。
結局、人間は型にはめられることを嫌いながらも、型通りの人間となっていくものなのかもしれない。

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言い忘れた。最後の最後に
岡田准一くんと、堤真一さん。素晴らしかった。
それからBR2で、「キョウコさん!!僕はあなたが好きでした!!」「・・・行ってこい!!」のシーンで感動させまくった彼も。

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13 コメント

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ありがとうございます (まつさん)
2005-07-12 12:01:57
早々のコメントありがとうございました!

こういう映画を揚げ足を取るのではなく、「作り物」=「フィクション」以上に「大人のファンタジー」として捉えてくれる観客が多いことを願うばかりです。

単純な物語展開をここまで熱く、ユーモアもこめつつ、陰険にならなかったのは日本映画として珍しいことだと思います。リアリティにこだわるのではなく、説得力を持たせた辺りは好感が持てました。

しかし「灰とダイヤモンド」の引用はちょっとわかりにくいかも・・・。
TBさせていただきました (ミチ)
2005-07-13 19:24:35
こんにちは~。

この映画は「お父さん」世代の人に見ていただきたいなぁと思いました。

多分岡田クン人気を当て込んでいると思うのですが、ジャニーズファンだけに見せておくにはもったいないくらいにステキな映画でした。
コメントありがとうっす (しん)
2005-07-13 23:27:00
>まつさん

もっとファンタジーにできたかも・・・と思わなくもないです。

灰とダイヤモンドは、判りにくいところが(実際スンシンも全く判ってなかったし)、大人と子供の違いが感じられていいのかと思います。



>ミチさま

でもジャニーズにきゃあきゃあ行ってる人が、夫(父)を理解するいい妻になってくれるかな?

お父さん世代に是非観てもらいたいけど、自分はまだお父さん世代になりたくない!!
もしも (にら)
2005-07-14 23:18:40
鈴木さんと出会わなかったら、朴クンがコスプレ男になってたかも(笑)。

「レボリューションNo.3」がそんな物語なのかしら?

こっそり立ち読みしときます。



てなわけで、TB&コメント、ありがとうございました。
>にら様 (しん)
2005-07-17 07:57:05
コスプレ朴くんが悪を斬るか

コスプレ鈴木さんが悪を斬るか



どちらも回避された本作は二人にとって有意義なトレーニングだったんでしょう
足りないもの (KIM)
2005-07-17 10:51:24
TBありがとうございました。

 この映画に足りないものを平たく考えてみました。

 つまりは、観客論に行き当たるのですが。

 もし観客が、この原作者のことも、主演者のことも、<知らないとしたら>どう受け止めてもらえるのかということろの脚本と演出のもう一歩の「ふんばり」だと思います。

 知らなくて幸せなのは、須藤元気の存在だけかもしれない。

コメントどうもです (しん)
2005-07-20 23:48:01
>KIMさま

俳優が補完していた部分はあるかと思います。

それでもこの映画は、仮に作者が直木賞受賞前に作られたとして、しかも無名の俳優を使ったとしても、観た人を満足させるだけの力はあったと思います。

スターを使って作品をより高めたという点で、監督は頑張っていたのではないでしょうか?
TBありがとうございます。 (あかん隊)
2005-07-26 13:10:24
好感度の高い映画でした。さっぱりしてて。

こういうタッチのものは、日本には少ないように思います。単純におもしろく、楽しめたので満足です。
TBありがとうございます (鼻緒)
2005-07-28 01:29:15
“ちょっとフカヨミ”は、特に参考になりました。

TBを頂けて良かったです。
スンシンの名前 (マダム・クニコ)
2005-07-30 22:06:50
フカヨミ、参考になりました。

スンシンは、殴った相手の鈴木が、同じ傷を持っていることを知り、鈴木と一体化することで、権力者に対する怨念を乗り越えるんですね。

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