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メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬 [監督:トミー・リー・ジョーンズ]

2006-07-10 15:03:01 | 映評 2006~2008
今年度の(My)ベスト1候補最有力。素晴らしい映画をありがとう。トミー・リー・J

傲慢なヒーローが法律も道義的社会的倫理的問題すべて無視して悪党(時々へっぽこ善人も)をぼこぼこに私的制裁加える描写が好きである。
セガールやメルギブやスタ郎やイーストウッドやあれやこれや枚挙に暇がない。
敵をぼこぼこに打ち負かしそれでも観客にスカッと爽快気分を味あわすため「善悪」という概念わけをするのだ。
そういう映画はおもしろい。しかし、一般的には「法律も道義的社会的倫理的問題すべて無視」しているが故に、「ぼこぼこに私的制裁加える」映画はバカチンが作りアホチンが楽しむ程度の低い映画とみなされるものである。
イーストウッドが93年までアカデミーの候補にすらならなかった理由がそれだ。語弊を恐れずに言えば彼はバカチンだと思われていたのだ。
メルギブは大好きなバイオレント描写をふんだんに取り入れつつもさらに評価もよくするために歴史とか偉人とかいった仮面をかぶせた。
スタ郎はアメリカの光と闇の描出のためバイオレントを使っているうちは良かったが、結局ネタ切れから善と悪という単純な構図に戻り、しかも思いっきりステロタイプで、ある意味もっと面白くなったのだが、バカチンぶりをさらけ出しすぎ賞は賞でもラジーの常連となった。

でも、みんな、ほんとはバカチン勧善懲悪アクション映画が好きなんだろう。まじめくさった顔で「ロッキー1は素晴らしいな」とか「ランボー1は深いね」とか言ってても、ほんとはボクシングシーンがクライマックスにしかない「ロッキー1」より、なんだかんだで2~3人しか殺さない「ランボー1」より、見せ場ばっかりの「4」や「3」が好きなんじゃないか?(超まじめに「はい」と答えられてもそれはそれで困るんだが)

・・・・さて、かつて「沈黙の戦艦」において、セガールに一方的にボコボコにされなぶり殺しの憂き目にあったトミー・リー・ジョーンズは、みんなが大好きなスター俳優であるが、その栄光への道のりはハリウッドバカチンB級アクション/サスペンスとともに歩んできた。
そんなわけで彼の長編初監督デビューが、「傲慢なヒーローが小悪党にぼこぼこ私的制裁かます」映画(と解釈可能なあたり)が、彼らしくていい。
バカチン野郎だって?バカチンと一流の違いなんてどこにあるんだい?バカチン扱いしてきたイーストウッドさんだっていまや巨匠扱いじゃないか?インテリどもの観念なんてきわめてあやふやで、つまるところ一流と三流の違いなんてそんなにないのさ・・・とイーストウッドの「スペースカウボーイ」で月まで宇宙遊泳したトミー・リーは語る(語ってないけど)

「ハリウッドB」の系譜でこの映画を観れば、実に実に正統後継者としての遺伝子をもっているようにも感じられる。越境するカウボーイはサム・ペキンパーを彷彿させ(られりるほど沢山見てないけど)、私正義ふりかざし己を貫くとこや浮世離れした不思議キャラでありながらメタメタ強いとことかイーストウッドだ。
人種差別傾向ありな若造小悪党を、トミー・リーは友情という大義名分のもと、ぶん殴り、砂漠を引きずり回し、首に縄かけて馬で川の中を引きずり、不凍液を吸わせ、最後殺そうとして、恐怖と屈辱をいやというほど味あわせる。
若者は逃亡を試みるが毒蛇に咬まれて死にかけ、咬傷治療が専門の女(かつて不法越境しようとしたところを国境警備隊である若造はグーで殴った)からは沸騰した珈琲をぶっかけられさらにぶん殴られる。妻は知らぬ間に売春三昧、あげくに夫の帰りをまたず去っていく。若造受難の映画と言えるが、友を殺した憎い奴がさんざんな目にあう様が痛快といえば痛快。

友を殺した悪党を法に代わって成敗するヒーロー=トミー・リーの物語は私的制裁の物語ともとれる。実際カンヌの質疑応答では(バカな)記者から私刑を助長する映画ではないかと質問され、トミー・リーだか脚本のギジェルモ・アリアガ(21g、アモーレス・ペロス)だかは「これは友情の大切さを描いた映画だ」と答えて(質問をかわして)いる。

私見だがこれは「友情の大切さを描いた映画」ではない。「ヒーローが悪に私的制裁加える痛快娯楽作」でもない。でもそれぞれの要素は勿論ある。
国境線を舞台に綴られる、物事の境目があやふやな世界で展開する喜劇である。
漠然とした言い方だが、既成のジャンルで分けられない映画で、斬新さという点で今年見た映画の中では抜きん出ている。

国境を越えアメリカに入るメキシコ人の不法越境者たち。すでに「国境」という概念があやふやである。映画の後半でアメリカ側からメキシコ側への国境越えが描かれるが、その国境にはラインが引かれてるでもなく「ここからメキシコ」みたいな看板があるでもなく、有刺鉄線が地平線の先まで伸びてるでもなく、地図上にはたしかにある国境なのに、実際にはどこにあるのかよくわからない。(多分、あの川なんだろうが)
ラジオ放送も言語も通貨もどっちだっていい曖昧さが支配する国境地帯。
その勢いで脚本は様々な「あいまいな概念」を描いていく。

***********以降かなりネタバレ****

【友情の曖昧さ】
メルキアデスとの友情のため、友との誓いのため・・・と考えむちゃくちゃな旅を続けるピートは、ラストで友の嘘を知る

***********
【愛もまた曖昧1 マイク編】
メルキアデスと寝るマイクの妻ルー・アン、マイクは結局その事実を知らずに過ごし無理やり引っ張りまわされた旅先で見かけたテレビを見て妻とのセックスを思い出し、無様にぼろぼろ泣く。だがそのころ妻は夫に愛想を尽かし街から去っていく。

【愛もまた曖昧2 ピート編】
ピートはウェイトレスのレイチェルといい仲だ。レイチェルには夫がおり、また保安官も愛人の一人。ピートは二番目の愛人であることを百も承知でレイチェルとの情事を重ねる。
友を殺した若造マイクを連れ回す旅の途中、オープンテラスのパブでピートはおそらくテキーラかなんかをパカパカあけていい気分。村では祭りかなんかがあるらしく照明がキラキラ光ってとてもファンタスティックいかにもメキシコな感じのああいう楽しげな音楽(わかるっしょ)もかかっていて、よっしゃ一つ俺も男になってみるかと、酒と雰囲気に後押しされレイチェルに「いっしょにこっちで暮らそうぜ」とプロポーズに等しい申し出。
心象風景的お膳立てはバッチリだ。こいつはいい思い出になるぜ・・・とでも思っていたら、レイチェルは即答で申し出を拒絶

理由:夫を愛しているから

愛なんて所詮・・・と店を出て行くピート。
悲しいけど笑える、そういう意味でも曖昧なシーン

***********
【約束なんて】
「あまりの美しさに我を忘れるだろう」とメルキアデスが語っていた彼の故郷ヒメネス。
しかし家族とか妻とかそんな話が全部デタラメだったばかりか、ヒメネスなんて村も存在しないことが判る。
途方にくれるピート。もっと途方にくれるつれ回されてるマイク。
そしてピートは「ついにヒメネスを見つけた」と語る。そこは「美しくもなんともなく従って我を忘れたりは決してしない」場所。
とりあえず相槌うつしかないマイク「ついに見つけたな!!」
爆笑
約束なんてもう知るか、とりあえずこの辺でこの旅終わらすしかないだろう・・・とその点に関しては意見の一致を見る誘拐犯と人質。
曖昧な友情のもとにかわされた約束は、もはや約束としての意味をなさず、約束は自己都合で適当に解釈されてしまう。

***********
【倫理というか善悪】
観客は最初マイクに激しい嫌悪感を抱く。
不法越境した若い女を拳でぶん殴り、妻と無理やりセックスし、拒絶されればエロ本片手にマスかこうとして、挙句メルキアデス・エストラーダを射殺してしまう。悪党の見本みたいな奴だ。
ピートが私的制裁を加え始めた当初、ざまあみろ!!と痛快な気持ちにすらなるかもしれない。
しかしその後のピートの復讐とはいえあまりに常軌を逸した行動と、マイクに繰り返し加えられる、肉体的制裁と精神的制裁をみるにつけ、みじめったらしくわんわん泣き出し、知らぬ間に妻にも逃げられている彼に同情すら感じ始める。
では嫌悪の矛先がピートに向かうかと言えばそうではない。アクション/サスペンスでよく見る行動だからってのもあるかもしれないが、なんともいえず愛嬌のあるピートというキャラが憎めない。
ただカンヌのバカな記者が言うように、たしかに彼は私刑を揮い法と秩序を乱している悪人ではある。
多分、監督トミー・リー・Jは、人間というものを善悪いずれかでカテゴライズするという、機械的なあるいはデジタル的なキャラの分け方を嫌ったのだろう。人間の中に善と悪の二面性、ひいては「善」と「悪」という概念の曖昧さを提示したかったのでは。

それは、「善悪の曖昧」はラストでさらに飛躍した形で語られる。
ピートが小悪党マイクを憎むことで物語は始まり、観客もピートに感情移入してマイクを憎むことから物語を追いかけていく。
しかし、腐乱した死体とともに旅を続け、傲慢で暴力的な後半のピートの行動は観客の理解を超え、それはマイクの気持ちにシンクロする。
いつのまにか観客はマイクに感情移入し彼を可哀相と思う気持ちも出てくる。
そしてラストにおいて、「憎しみ」は「許し」に置き換えられている。長い旅の果てに「憎しみ」で始まった観客の心を自然と「許し」の方向にもっていったのだ。
「憎しみ」と「許し」あるいは「拒絶」と「許容」。この垣根もまたまことにもって不明確なのである。

***********
【死・・・唯一明確なもの】
もちろん、常に死体を巡って話が展開していくみの映画では、いやおうなしに「生」と「死」の対比が考えられる。だからといって生と死まで曖昧にしていると言う気はない。
この映画は死体はあくまで死体である。死体は汚らしく腐乱し、重く、防腐処理などの手間がかかる。ダイイングメッセージのようなものを残したわけでもない元メルキアデス・エストラーダだった腐乱物体は、文字通り死人に口なし。曖昧な記憶といい加減な地図を頼りに進むが、メルキアデスが語った故郷も家族も何も見つからない。ピートの中ではメルキアデスの存在したこと自体か曖昧な出来事となったことだろう。
だが死体は死体としてそこに紛れもなく存在する。処理しなくてはならない。処理=埋葬の様子が割りと丁寧に描かれる。
「曖昧」さがいたるところに描かれた本作で、「死」だけが明確な事実or現実として描かれているところが面白い。
あまりに明確な「死」を巡って、現代社会の不明確さや曖昧さが浮き彫りになっていく。

***********
脚本はギジェルモ・アリアガ。前半の時制入れ替えは同じアリアガ脚本の「21g」を彷彿とさせる。がしかし、この映画の前半部はメキシコ系住人殺害事件を巡る真犯人と事件隠蔽をはかる保安官と真実を求める被害者の親友・・・という別にどうというほどのこともないありがちサスペンスである。
得意の時制ずらしで目新しくもないサスペンスを少しでも面白く見せようとしただけだろう・・・と解釈。
なんといっても後半の「時制ずらし」のない国境地帯のロードムービーパートが秀逸である。
脚本をほめるべきか、監督をほめるべきか・・・
前半部で印象的に見せた些細なエピソードの数々が後半への伏線となっているところは脚本の素晴らしさとほめてよいと思う。
しかし、後半部の過酷そうな砂漠ロケの映像や、トミー・リーの不気味さと愛嬌の同居したキャラなどは監督をほめるべきだろう。なんといっても国境も友情も約束も愛も善悪もすべてがボーダレスと化していく作品世界と国境地帯に住む人々への愛情たっぷりの眼差しの心地よさなど監督の人柄と深い洞察力が活きているように感じ、7:3で監督の映画であるということにしたい。

(久々にめっちゃながくしちゃった)

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4 コメント

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めちゃ長! (kossy)
2006-07-10 16:01:46
笑える映評ありがとうございます!

これだけ長文になる理由もわかりますよ。

勧善懲悪モノであっても償いを強要させる目的だったし、ギリギリのところで殺さないのはなかなか興味深いテーマでした。

世界の警察であるアメリカを荒くれ者のヒーローの視点から描いたところも面白いし、思わぬところで因果応報が存在したという伏線もいいですね~



もいっかい観たい。
返信する
TBありがとうございました (ミチ)
2006-07-10 16:28:51
こんにちは♪

長いけれども最後まで読んだ甲斐がありました!

いろいろ思い出す部分、曖昧な部分もありますので、この記事を参考にもう一度見たいです!
返信する
ご無沙汰しております。 (冨田弘嗣)
2006-07-12 06:27:17
トラッバック、ありがとうございます。私は、本ホームページを徹夜で読みふけって、そのまま仕事に行ったことがあり(そんなことしたことなかったのだけど)、そんなこんなで頭に刻まれています。確かな文章力、分析力は頭の固い「キネマ旬報」「映画芸術」を遥かに抜きん出ていると思っています。理屈、屁理屈を相手に押し付けていない評論も素晴らしい。映画を観、映画を書き、映画を作る為にこの世に誕生したのではないか・・・大げさではなく、そう思っています。私の友達にも橋口亮輔、斉藤久志という映画監督がおります。彼らは映画監督だけでは食えてなく、専門学校で講師などをしています。日本での監督は苦しいですが、ぜひ、大監督になってもらいたいと真面目に思っています。読ませてもらい、ありがとうございました。  

冨田弘嗣
返信する
作品も映画評も最高! (マダムクニコ)
2006-07-13 21:44:58
>既成のジャンルで分けられない映画で、斬新さという点で今年見た映画の中では抜きん出ている。



同感です。

こういう誰にもマネが出来ない、解釈いろいろ、という作品が好きです。



映画評、最高に面白かったです。

コメント有難うございました。

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