鈴木卓の気の向くままに 

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「東京大裁判」の感想

2017年01月05日 | Weblog
昨年の暮れにNHKが「東京裁判」に於ける、連合国(戦勝国)から派遣された11人の判事達が判決に至るまでの葛藤が4回に渡って放映された。
私は録画をしておいたのでお正月に4回分を一気に観ることにした。
雑用の無いお正月だったので腰を据えてじっくりと鑑賞することができた。

11人の判事達がそれぞれの立場で(一法律家として)日本人のいわゆる戦争犯罪者を裁くことの法的根拠について議論された。しかし通常の裁判とは異なり戦争犯罪の定義がしっかりと定まったものが無い状態で各自の罪状を適用するかは困難を極める。当初は6か月位で終了するだろうとされていた裁判は2年数か月に及んだ程である。
 
戦争そのものは国家が国益をかけて行うものでありそれを個人的責任が追及できるのか?
また戦争のどの部分を裁くのか?
 
・平和に対する罪
・侵略に対する罪
・残虐行為に対しての罪
 
一体どの部分にどのように適用するのかが見えてこない。
ましてやこの裁判は勝者が敗者を裁くのであるからもともと公正である筈はない。
この裁判の目的は日本の軍国主義を叩くのが最大の目的であり、何をどのように裁くかの明快な規定が定まっていない状態で裁判は進められていたのだ。この戦争が始まった時期にはなかった法を適用することになり❝事後法の禁止❞でインドのパル判事と他の判事とは最後まで対立し続ける。そして強引ながらも判決を出して裁判は終了した。
 
 日本軍の残虐な行為として南京大虐殺(事実なのか?人数も不明....)が取りざたされるが、アメリカが日本に対して行った次の行為は何なの?
 
・広島・長崎の爆撃は?
・東京大空襲は?
・沖縄の地上戦?
 
全くの無防備な民間人を巻き込んで大量の人命を奪った事がなぜ追及されないのだろう。
これ程に大きな出来事を納得できるように説明をしてほしい。すべてが国益という名のもとに自国に都合良く解釈し、相手に要求を貫き。それに対して強い相手には何も言えない弱い国。
 
私はかつての日本の軍国主義には未だに腹立たしく思っている。
特に「戦死者の大半が餓死だった」と知らされ、無駄死にを平気で続けた軍部の野蛮さには憤りを感じている。それをなぜ阻止できなかったのか?阻止できる人間がなぜいなかったのだろう? 大いなる疑問が湧き上がってくる。第2次大戦は東京裁判の様に他国から裁かれるのではなく日本人によって指導者、関係者が裁かれるべきだったのではと真剣に思っている。ところが未だに日本としては曖昧模糊のまま72年も経ている。
 
 インドのパル判事が語った「戦争を犯罪と立証することはできない。我々はまだそこに到達していない....」と主張する言葉が強く残った。 真の平和の訪れはまだまだ先の事に思えてならない。
 

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