鈴木卓の気の向くままに 

「ああ、いっぺん言うてみたかった」、「日常のたわいない出来事」など、皆様へのお便りを発信いたします。

「東スポ」の記事

2022年07月12日 | Weblog
参院選出馬の乙武洋匡氏が落選確実「手も足も出なかった」の見出しが目に入ってきた。
パワハラだとかセクハラ、いじめなど差別に対して厳しい昨今に、この差別的な表現には驚きである。
この記事を書いた記者も記者だが、それを許した東スポの次元の低さに驚いた。

安倍さんの死

2022年07月12日 | Weblog
安倍元首相の死は何とも納得出来ないでいる。
思想・信条などの理由でもなく、完全に犯人の自己的で稚拙な理由で殺されてしまった。
しかも、こんなにも呆気なく殺されてしまうものなのか?
安倍さんがこの世から消えてしまった事が未だ認められないでいる。

日本ではテロなどはあり得ないと思われていて無防備だったのかもしれない。
だが、どんな平和な國にも、過激だったり狂った人間は必ずいるものだ。
何年か前の秋葉原事件の様に、狂った人間が平和な場所に突如、飛び出してくるのだから溜まったものではない。
そんな奴に全く意味の無い死に方をさせられるのである。
今回も犯人の稚拙でまるで小学生レベル(小学生に失礼!)の理由で殺されてしまった。
安倍さんは無念でならないだろう。

<コロナ禍で得たもの>

2022年03月05日 | Weblog
コロナ禍で我々の生活の様子がすっかり変えられてしまった感じがする。
ピタリと活動を止められた演奏活動、そしてレッスンもままならない。
人と会う機会を減らすために、会議や授業、業務などで盛んに<オンライン>を活用するようになている。
当初はなにやら面倒にも思えたがこれも慣れてしまうと平気になり、人間の持つ柔軟性につくづく感心する。
今後、コロナが終息した後も多分残っていくのではと予測しているのですが......。

しかし音楽でオンラインを利用するにはいくつかの問題点をクリアーする必要がありました。
まづは音質と遅延の問題です。会話が中心の場合にはそれほど気にならなくとも音楽となると大問題になります。
音質的にはLINEなどでの音声の品質は通常の携帯電話と比較しても結構劣っている事に気付かれていると思います。
また会話の場合ではほとんど気にならないのですが、送信側と受信側の間に遅延の問題が生じます。
これも会話では問題にならないのですが音楽上ではこのタイミングのズレは全く使い物にならない程の大問題になります。

これらの大問題をYAMAHAさんが提供するSYNCROOMの登場で一気に解決したのです。
これによって遠く離れた同士、見ず知らずの方とのセッションも心地良く実現できるようになりました。
SYNCROOMを利用すれば音の打ち合わせ、合奏、合唱の練習でさえも自宅に居ながら練習できるのです。
遠方同士でのレッスンもストレス無くまるで隣の部屋同士位の感覚で実現できます。
最初はぎごちなく感じたのですが慣れてくると離れている事の意識はほとんどないくらい馴染んでしまいます。
これもコロナが産んだ副産物では思っています。
そしてYAMAHAさんに感謝です。

<デジタルがわからないと語る友へ>

2022年03月02日 | Weblog
中学校の同級生同士がLINEで繋がり各人の語りの場にしている。
とても楽しい。内容は<3度目のワクチン接種を受けた>、<後遺症が?>など日常的な話題が多くいわば観光地などに設置している自由帳みたいな役割をしているようだ。嬉しいのはこの年令に達しても少年少女時代の友と繋がり、こうして気楽に語り合える事はまるで夢のようでさえある。他の仲間にも誘ってみるのだが「アナログ人間なので!」とか「苦手だから!」と拒否されてしまうことも多い。

ではその人たちはアナログ方式を理解し解っているのだろうか?
AnalogとかDigitalの区別はさておき私など判らない事ばかりである。
自分には必要がないと思うならばそれはそれで仕方の無いことだけれど「ついて行けない!」などと避けてしまう事は随分と損をしてるのではと感じるのです。
私などは何だかわからないけれど「面白そう!」「それは便利!」それだけの理由で使っているつもりなのですが。

毎日触れていて不思議に思う事は沢山あります。
そもそも固定電話は電話局とは一本の線でしか繋がれていないのに同時に大勢の人が交信できるのはどうして?コレに対しては特別に不思議とも思わず利用しているではありませんか?その技術を説明されても私には到底、理解は難しい。

レコードの溝は一本しかないのにスピーカーの左右に分離されて音が聞こえるのはどうして? 専門家から丁寧な説明を受けた事があるのですが、説明の内容は理解したつもりでも何か納得できない疑問が残ります。

こんな風に不思議に感じる事は沢山あります。でもただただ便利だから、使うと楽しいだけでイイのでは?「Digitalは苦手!」などの意識は捨ててLINEで繋がり楽しく会話をしましょうよ。楽しいものです。
デジタル機器を使える老人と使えない老人では<QOL>に大きな差が出てくるとも言われている。




魅力的な歌い方の条件

2022年03月02日 | Weblog

私は人前で歌うのは苦手と思っていながらも基本的には歌うことは好きなのだ。気が付くとよく口ずさんでいる。だが子供の頃から歌うことに対しては強いコンプレックスを抱き続けているので人前で歌う勇気はない。カラオケで歌う機会も無い。でも自宅でこっそり録音するならば誰に聞かれる事なく思う存分、伸び伸びと歌えるのではないか? と考えてみた。

一般的に歌の練習と言えば、正確な音程で発声するトレーニングから始める。つまりピアノの音階にぴったり沿った音の高さで発声し歌う事が第一歩になる。プロの歌手も正確な音程で響かせることに日夜努力している。つまりは<正確な音程>こそが上手に聞こえるコツともいえる。

しかし、今や多少の不正確な音程で歌ってもPCで修正できる時代である。わたしはその修正できるソフトを持っている。私の歌でもピッチを補正すれば何とかなるだろうと期待していた。歌詞を間違えたり、メロディーを間違えたりで何度も繰り返しようやく録音を終えた。早速、歌声の修正に取りかかる。とりあえず音程は正確になった。さらに音程だけではなく歌声にいろいろな化粧を施してもみた…。だがとてもじゃないけど人に聞かせるようなには変身できていない。

  • ナットキング・コール:音程も極めて性格で英語の発音もきれい。だが何といってもあのベルベット・ボイス。その一声で虜になる
  • フランク・シナトラ:投げやりなというか、ぶっきらぼうな歌い方が不良っぽく都会的で洗練されたイメージ
  • ディーン・マーチン/ペリー・コモ:歌っているというよりも喋っているような語り掛ける軽い歌い方がイイ
  • エルビス・プレスリー:口の中でもごもごしていて歌詞もよく聞き取れない歌い方なのだがそれでも人気者

久し振りにこれらの人の歌を聞いてみたのだが、音程だけに集約して聴いてみると、必ずしも正確とは限らない。むしろその狂い方(フラット&シャープの状態が)が個性にさえなって魅力的に感じられてくるのです。<魅力な歌とは?>などの定義はできるものではなく<心に響く><感じる!>それだけある。つまり歌声のピッチを修正しただけではどうにもならないものである事を今更ながら思い知らされた感じです。

*一方でTV番組の<歌うま>を観て出場者のその正確な歌に驚いた。


復活の挨拶

2022年03月01日 | Weblog

しばらくの間投稿していませんでした。

理由は何度か入院したり体の不調があったりなのですが今は回復して体調は戻っていますので再び書き続けようと思っていますのでよろしくお願いいたします。


今日は「子供の日」

2021年05月05日 | Weblog

16歳以下の子供の人口は全体の11%と減少するばかり.。これでは未来の日本が危惧される。だが我が家の前にある小さな公園、そして隣り合わせの児童会館。さらには小学校の通学路にもなっているので常に子供達の元気な声に囲まれている。この辺りの小学校ではすれ違う人に挨拶をするように指導されているらしく「こんにちわ!」と明るい元気な声をかけてくれるので清々しい気分になります。

昨日、我が家から1キロ程の距離にある、市が運営する公園に出かけてみた。広大なその場所は一面に芝生に覆われ、自然を模した作りになっていて小川が流れていたりもする。遊具の設備だけでなく、親子でボール遊びに興じたり家族で自転車に乗ったり、さらには小川にで水遊び、林の中で昆虫採集と遊び方も豊富で、とにかく賑わっている。空気が美味しいし私など散歩するだけで十分満足してしまう。

コロナ騒動とは別世界の平和な光景である。自分の子供時代を想い出させてくれるし鋭気を吸収できるような気分になってくる。近くにこんな素晴らしい環境がある事を感謝すると共に、このコロナ禍による閉塞感から解放された気分でリフレッシュできた。

子供は可愛い。子供が可愛いのは人間だけではない。動物の子供も、そしてこれから咲こうとする花の赤ちゃん。すべての子供は可愛い!!

 

 


「フーン なるほど!」

2020年08月01日 | Weblog

今日から八月!

いつもなら八月に入るとワクワクしてくるはずなのだが、こんなに長く休みが続いているので「ちっとも変わり映えしない!」、それに出かける場所が無い。結局、自宅に籠る事になる。楽しくも何でもない。

先日テレビを見て驚いた!!
すでに姿を消したと思っていたフイルム式カメラ(私は今も持っているご丁寧に4台ほど)、カセット・テープ(ウォークマンを持っている)、アナログ・レコード(私の部屋にどっさり並んでいる)を愛用する若者が増えてきているとの事。


その魅力を聞いてみると
・フイルム式カメラ=撮影を終えて現像に出し、出来上がってくるまでがワクワクするそうだ。

*たしかにそうだった。カメラからフイルムを取り出し現像に出し受け取るときのドキドキ感は覚えている。

・カセット・テープ=自分の音楽をカセットテープで販売したいミユージシャンにとっては“曲の順番は勝手に変えられないのがイイ❞と言う。

*確かに制作者にとってストーリ性を考え曲順にはかなりの時間を割いている。制作者にとってはとても重要です。これがDIGITAL音源は自分流に聞く順番を簡単に組み替えられてしまう。「なるほど!」制作者の気持ちは理解できる。だが何といってもDIGITAL音源と比較して音質が悪いのが気になるし、一本のテープに何曲も入っているので巻き戻し、早送りが面倒に感じる。それに対してDIGITALは一気に目的の曲にたどり着けるのはかなりの快感。これらの欠点を特に音質には何とか改良しようメーカーは日々努力してDigitalに至ったのに…。

・アナログ・レコード=ターンテーブルに音盤を載せ針を落とすと“サーッ❞と聞こえるノイズ、曲が始まるまでのワクワク感は堪らないそうです。そういえばCDのジャケットに「ボリュームを下げてから…」の注意書きがありましてっけね。それは何の予告もなく曲が始まるので突然大きな音を出すとスピーカーが破損する事態になりかねないからそんな親切さだったのです。

私の部屋の本棚にも沢山のレコードが並び、すぐ手の届くところにありながら聞く機会はめっきり減っている。その私なりの理由は、私の持っているアナログ・レコードの大半は既にCD化されている。またYouTubeで聞くことが出来る。わざわざレコードを動かすよりも手っ取り早いのでその様な結果になってしまっています。横着なのですね。このレコードに関しては特にジャズファンには未だにこだわる人は多く見受けられます。それに回転するターンテーブルは視覚的にも魅力は感じますよね。

私はこられの復活の兆しに、またそれを愛用する若者の声に「なるほど」とうなづいてしまいました」。もっといい音を、リアルにと様々な工夫と改良を重ねてきた結果が今のデジタル化なのだと思うのですが、「そこがイイ!」の感じる個所が違っていることに只々面白い現象に感じています。

話が変わりますが、あの有名なハモンド・オルガンのキークリック音は、接点の接触する際に発生するノイズなのですが、当初、技術者は失敗だと思っていたのだが、演奏者はそのノイズを残して欲しいという事で現在に至っていると聞いています。もしあのキークリック音を省いてしまったらハモンド・オルガンの魅力は半減どころかそれ以下だったかもしれない。多分聞く側はあのノイズは音の中に紛れた音としてのキャラクターとして感じて取っているに過ぎないのでしょうね。この様な現象はアナログなものに関しては共通している様に思います。

わざわざゼンマイ式の手巻き腕時計で楽しむ事もあります。


初めての光景を見た!

2020年04月22日 | Weblog

新コロナ感染で世界中が大変な事態に陥っている。すでに特定の国や地域に止まらず同時に世界中に拡がってしまう正にグローバリズムなのだろうね。

九州でのライブに北海道など全国から集まってくる。或いは東京でのライブにも全国からやって来る。海外のイベントにさえ出かけたりと気軽に世界を往来する。
海外に出かける事が夢の夢と思って過ごしていた私の少年時代と比較すると実に贅沢で羨ましい限りである。

まるで戒厳令の雰囲気の状態だが私の生活はこれまでと大して変わっていない。外出もせず一日中家の中に閉じ籠っているのだが特別なストレスも感じず日常を過ごしている。それにこんな事態になっても、それなりにやることがあり結構忙しく毎日を過ごしている。それにしても音楽教室は閉鎖、演奏会場は閉鎖などと制限を受けている音楽仲間はどうやって過ごしているのだろうと気になってくる。

常用している血圧降下剤を処方して貰う為にいつもの病院にでかけた。ところが待合室には誰一人居ない。駐車場にも車が数台。看護士や事務の方々の車があるだけなのだろう。こんな光景はかつて見たことがない。当然に診察室も静まり返っている。いつもとはまるで違う光景と雰囲気に驚いた。これも病院で感染しないようにとの用心から病院に来るのを差し控えた結果なのでしょう。ならばこれまでの混雑は何だったのでしょう? それにしても大して重要でなく、病院に来なくても済む人達で溢れていたのだだろうか?

一体どうなっているのでしょう?

 


<鍵盤ハーモニカ>の演奏

2019年11月06日 | Weblog
入院しずっと、ベッドの上で過ごす私を見かねて妻は「ボケやしないか?」と心配になったらしく、自宅から鍵盤ハーモニカを持ってきてくれた。
この病院の周囲は緑が多く遠くに筑波山を望む事ができる素晴らしい環境に位置している。広いベランダに出ると温かい日差し、爽やかな風。
病院でなければリゾートホテルに居るような気分にさえなる。
 
未だ歩くことが出来なかったので車椅子でベランダに出て鍵盤ハーモニカを吹くと、その音色は周辺一帯に広がり、素晴らしいサウンドが返ってくる。何とも気分がイイ。
ある日、いつものようにベランダで鍵盤ハーモニカを吹いていると、院長が4~5人の看護士を伴って私のところにやってきた。
「うるさいから、止めろ!」言われるのかと一瞬覚悟したのだが、「聞かして欲しい…」とリクエストされ丁度その季節にマッチした「枯葉」を演奏したのだがとても喜んでくれた。
 
それまでは周囲から苦情が来ないかと何となく後ろめたい気持ちがあったのだが、それ以来「公認!」との解釈で<のびのび…>と吹くことが出来るようになった。
そして私の演奏を楽しみに待ってくれる人たちも居て、毎回ミニコンサートの様な雰囲気が出来、ささやか乍ら「誰かの役に立つことができたかな?」とある種の充実感を味わう事ができた。
 
この鍵盤ハーモニカは元々合奏用に適した楽器であってソロ演奏には向かないのだと思っている。
最初はぎごちなかった演奏だったが「何とかソロ演奏で魅力を出せないものか!」と工夫してみた。
という訳でこの入院期間中に「鍵盤ハーモニカの腕が上達できた!」と自分なりに感じている。