パワハラだとかセクハラ、いじめなど差別に対して厳しい昨今に、この差別的な表現には驚きである。
この記事を書いた記者も記者だが、それを許した東スポの次元の低さに驚いた。
私は人前で歌うのは苦手と思っていながらも基本的には歌うことは好きなのだ。気が付くとよく口ずさんでいる。だが子供の頃から歌うことに対しては強いコンプレックスを抱き続けているので人前で歌う勇気はない。カラオケで歌う機会も無い。でも自宅でこっそり録音するならば誰に聞かれる事なく思う存分、伸び伸びと歌えるのではないか? と考えてみた。
一般的に歌の練習と言えば、正確な音程で発声するトレーニングから始める。つまりピアノの音階にぴったり沿った音の高さで発声し歌う事が第一歩になる。プロの歌手も正確な音程で響かせることに日夜努力している。つまりは<正確な音程>こそが上手に聞こえるコツともいえる。
しかし、今や多少の不正確な音程で歌ってもPCで修正できる時代である。わたしはその修正できるソフトを持っている。私の歌でもピッチを補正すれば何とかなるだろうと期待していた。歌詞を間違えたり、メロディーを間違えたりで何度も繰り返しようやく録音を終えた。早速、歌声の修正に取りかかる。とりあえず音程は正確になった。さらに音程だけではなく歌声にいろいろな化粧を施してもみた…。だがとてもじゃないけど人に聞かせるようなには変身できていない。
久し振りにこれらの人の歌を聞いてみたのだが、音程だけに集約して聴いてみると、必ずしも正確とは限らない。むしろその狂い方(フラット&シャープの状態が)が個性にさえなって魅力的に感じられてくるのです。<魅力な歌とは?>などの定義はできるものではなく<心に響く><感じる!>それだけある。つまり歌声のピッチを修正しただけではどうにもならないものである事を今更ながら思い知らされた感じです。
*一方でTV番組の<歌うま>を観て出場者のその正確な歌に驚いた。
しばらくの間投稿していませんでした。
理由は何度か入院したり体の不調があったりなのですが今は回復して体調は戻っていますので再び書き続けようと思っていますのでよろしくお願いいたします。
16歳以下の子供の人口は全体の11%と減少するばかり.。これでは未来の日本が危惧される。だが我が家の前にある小さな公園、そして隣り合わせの児童会館。さらには小学校の通学路にもなっているので常に子供達の元気な声に囲まれている。この辺りの小学校ではすれ違う人に挨拶をするように指導されているらしく「こんにちわ!」と明るい元気な声をかけてくれるので清々しい気分になります。
昨日、我が家から1キロ程の距離にある、市が運営する公園に出かけてみた。広大なその場所は一面に芝生に覆われ、自然を模した作りになっていて小川が流れていたりもする。遊具の設備だけでなく、親子でボール遊びに興じたり家族で自転車に乗ったり、さらには小川にで水遊び、林の中で昆虫採集と遊び方も豊富で、とにかく賑わっている。空気が美味しいし私など散歩するだけで十分満足してしまう。
コロナ騒動とは別世界の平和な光景である。自分の子供時代を想い出させてくれるし鋭気を吸収できるような気分になってくる。近くにこんな素晴らしい環境がある事を感謝すると共に、このコロナ禍による閉塞感から解放された気分でリフレッシュできた。
子供は可愛い。子供が可愛いのは人間だけではない。動物の子供も、そしてこれから咲こうとする花の赤ちゃん。すべての子供は可愛い!!
今日から八月!
いつもなら八月に入るとワクワクしてくるはずなのだが、こんなに長く休みが続いているので「ちっとも変わり映えしない!」、それに出かける場所が無い。結局、自宅に籠る事になる。楽しくも何でもない。
先日テレビを見て驚いた!!
すでに姿を消したと思っていたフイルム式カメラ(私は今も持っているご丁寧に4台ほど)、カセット・テープ(ウォークマンを持っている)、アナログ・レコード(私の部屋にどっさり並んでいる)を愛用する若者が増えてきているとの事。
その魅力を聞いてみると
・フイルム式カメラ=撮影を終えて現像に出し、出来上がってくるまでがワクワクするそうだ。
*たしかにそうだった。カメラからフイルムを取り出し現像に出し受け取るときのドキドキ感は覚えている。
・カセット・テープ=自分の音楽をカセットテープで販売したいミユージシャンにとっては“曲の順番は勝手に変えられないのがイイ❞と言う。
*確かに制作者にとってストーリ性を考え曲順にはかなりの時間を割いている。制作者にとってはとても重要です。これがDIGITAL音源は自分流に聞く順番を簡単に組み替えられてしまう。「なるほど!」制作者の気持ちは理解できる。だが何といってもDIGITAL音源と比較して音質が悪いのが気になるし、一本のテープに何曲も入っているので巻き戻し、早送りが面倒に感じる。それに対してDIGITALは一気に目的の曲にたどり着けるのはかなりの快感。これらの欠点を特に音質には何とか改良しようメーカーは日々努力してDigitalに至ったのに…。
・アナログ・レコード=ターンテーブルに音盤を載せ針を落とすと“サーッ❞と聞こえるノイズ、曲が始まるまでのワクワク感は堪らないそうです。そういえばCDのジャケットに「ボリュームを下げてから…」の注意書きがありましてっけね。それは何の予告もなく曲が始まるので突然大きな音を出すとスピーカーが破損する事態になりかねないからそんな親切さだったのです。
私の部屋の本棚にも沢山のレコードが並び、すぐ手の届くところにありながら聞く機会はめっきり減っている。その私なりの理由は、私の持っているアナログ・レコードの大半は既にCD化されている。またYouTubeで聞くことが出来る。わざわざレコードを動かすよりも手っ取り早いのでその様な結果になってしまっています。横着なのですね。このレコードに関しては特にジャズファンには未だにこだわる人は多く見受けられます。それに回転するターンテーブルは視覚的にも魅力は感じますよね。
私はこられの復活の兆しに、またそれを愛用する若者の声に「なるほど」とうなづいてしまいました」。もっといい音を、リアルにと様々な工夫と改良を重ねてきた結果が今のデジタル化なのだと思うのですが、「そこがイイ!」の感じる個所が違っていることに只々面白い現象に感じています。
話が変わりますが、あの有名なハモンド・オルガンのキークリック音は、接点の接触する際に発生するノイズなのですが、当初、技術者は失敗だと思っていたのだが、演奏者はそのノイズを残して欲しいという事で現在に至っていると聞いています。もしあのキークリック音を省いてしまったらハモンド・オルガンの魅力は半減どころかそれ以下だったかもしれない。多分聞く側はあのノイズは音の中に紛れた音としてのキャラクターとして感じて取っているに過ぎないのでしょうね。この様な現象はアナログなものに関しては共通している様に思います。
わざわざゼンマイ式の手巻き腕時計で楽しむ事もあります。
新コロナ感染で世界中が大変な事態に陥っている。すでに特定の国や地域に止まらず同時に世界中に拡がってしまう正にグローバリズムなのだろうね。
九州でのライブに北海道など全国から集まってくる。或いは東京でのライブにも全国からやって来る。海外のイベントにさえ出かけたりと気軽に世界を往来する。
海外に出かける事が夢の夢と思って過ごしていた私の少年時代と比較すると実に贅沢で羨ましい限りである。
まるで戒厳令の雰囲気の状態だが私の生活はこれまでと大して変わっていない。外出もせず一日中家の中に閉じ籠っているのだが特別なストレスも感じず日常を過ごしている。それにこんな事態になっても、それなりにやることがあり結構忙しく毎日を過ごしている。それにしても音楽教室は閉鎖、演奏会場は閉鎖などと制限を受けている音楽仲間はどうやって過ごしているのだろうと気になってくる。
常用している血圧降下剤を処方して貰う為にいつもの病院にでかけた。ところが待合室には誰一人居ない。駐車場にも車が数台。看護士や事務の方々の車があるだけなのだろう。こんな光景はかつて見たことがない。当然に診察室も静まり返っている。いつもとはまるで違う光景と雰囲気に驚いた。これも病院で感染しないようにとの用心から病院に来るのを差し控えた結果なのでしょう。ならばこれまでの混雑は何だったのでしょう? それにしても大して重要でなく、病院に来なくても済む人達で溢れていたのだだろうか?
一体どうなっているのでしょう?