鈴木卓の気の向くままに 

「ああ、いっぺん言うてみたかった」、「日常のたわいない出来事」など、皆様へのお便りを発信いたします。

❝勘違いじゃーありませんか?❞

2017年01月29日 | Weblog
AIの進歩が目覚ましくあらゆるジャンルにコンピュータが入り込んできている。
チェスや囲碁、将棋の世界ではコンピュータが人間と対戦し勝利したことが話題になった。
そしてAIが人間を超えて人間がAIに従わなければならない時代がくるなどと脅かす人さえいる。
少なくとも音楽の世界ではその心配は無い。
 
今や多くの方が楽譜を書いたり、録音などにコンピュータを使用しているがあくまでツールとしての利用でありコンピュータが創造的しているわけではない。
「鼻歌を歌えばコンピュータが採譜してくれる」ソフトは、ヒトが歌った単音のメロディを楽譜に置き換えてくれるだけでありコンピュータが自動的に作ってくれるのではない。
楽譜が書けない人にとっては便利なツールなのかもしれない。
また、❝ロボットが楽譜を読み、演奏する❞試みは随分以前から試みられており、私はその昔、「つくば博覧会」ですでに見ているが以後基本的には進歩してはいない。
 
決して魅力的な、あるいはヒットするような曲を創ったり人間が演奏すような表情豊かな演奏ができるものはない。未だにいわゆるロボット的演奏(無表情)から脱していない。
今後、百年後は判りませんが数十年は無理だと思っています。
ロボットの演奏に涙を流す時代は訪れないと願っている。
 
「楽器が演奏できなくても、楽譜が読めなくともコンピュータは出来るのですってね!」
などと夢のようなことを質問されることが多い。
でも感動するようなものは作ってくれないしやはり苦しい楽器の練習に耐えなくては聴く人がかんどうするような演奏にはならない。
 

ユニークな「年賀状」

2017年01月06日 | Weblog
あけましておめでとうございます。酉年の私は6周しました。
この間、長いような気もするし、短いような気もする。もう終わっても良いような気もする。
天に召された人を指折り数えてみると10本の指では足りなくなる。
昨年の年賀状を眺め、今年はすでに居ない事を思うとよけいに寂しさが増してくる。
 
毎年たくさんの年賀状をいただきます。
私も「受け取って嬉しい!」と思われる様に、アレヤコレヤと考えてはみるのだが佳いアイデアが浮かばない。時代を読み取った風刺が効いている年賀状の傑作を紹介させていただきます。
 
れー! まさか? トランプが大統領
んも ほろろの クリントン
けてはいない百合子さん(都知事)
ゅしょう(首相)は世界に金をばら撒き ルン ルン ルン 
んのう(天皇)は皇后に腕を預けお疲れ
年寄り 事故起こす前に免許返上
んこい子供の命を大切に
っかい穴が突然現る 博多駅前
ばく(賭博)公認  勝ったら閻魔に袖の下
たを歌って明るい未来 日本バンザイ  万々歳!
 
 横浜のI.S.さん。ありがとうございました。そのうちにお会いできるのを楽しみにしています。
 
 

「東京大裁判」の感想

2017年01月05日 | Weblog
昨年の暮れにNHKが「東京裁判」に於ける、連合国(戦勝国)から派遣された11人の判事達が判決に至るまでの葛藤が4回に渡って放映された。
私は録画をしておいたのでお正月に4回分を一気に観ることにした。
雑用の無いお正月だったので腰を据えてじっくりと鑑賞することができた。

11人の判事達がそれぞれの立場で(一法律家として)日本人のいわゆる戦争犯罪者を裁くことの法的根拠について議論された。しかし通常の裁判とは異なり戦争犯罪の定義がしっかりと定まったものが無い状態で各自の罪状を適用するかは困難を極める。当初は6か月位で終了するだろうとされていた裁判は2年数か月に及んだ程である。
 
戦争そのものは国家が国益をかけて行うものでありそれを個人的責任が追及できるのか?
また戦争のどの部分を裁くのか?
 
・平和に対する罪
・侵略に対する罪
・残虐行為に対しての罪
 
一体どの部分にどのように適用するのかが見えてこない。
ましてやこの裁判は勝者が敗者を裁くのであるからもともと公正である筈はない。
この裁判の目的は日本の軍国主義を叩くのが最大の目的であり、何をどのように裁くかの明快な規定が定まっていない状態で裁判は進められていたのだ。この戦争が始まった時期にはなかった法を適用することになり❝事後法の禁止❞でインドのパル判事と他の判事とは最後まで対立し続ける。そして強引ながらも判決を出して裁判は終了した。
 
 日本軍の残虐な行為として南京大虐殺(事実なのか?人数も不明....)が取りざたされるが、アメリカが日本に対して行った次の行為は何なの?
 
・広島・長崎の爆撃は?
・東京大空襲は?
・沖縄の地上戦?
 
全くの無防備な民間人を巻き込んで大量の人命を奪った事がなぜ追及されないのだろう。
これ程に大きな出来事を納得できるように説明をしてほしい。すべてが国益という名のもとに自国に都合良く解釈し、相手に要求を貫き。それに対して強い相手には何も言えない弱い国。
 
私はかつての日本の軍国主義には未だに腹立たしく思っている。
特に「戦死者の大半が餓死だった」と知らされ、無駄死にを平気で続けた軍部の野蛮さには憤りを感じている。それをなぜ阻止できなかったのか?阻止できる人間がなぜいなかったのだろう? 大いなる疑問が湧き上がってくる。第2次大戦は東京裁判の様に他国から裁かれるのではなく日本人によって指導者、関係者が裁かれるべきだったのではと真剣に思っている。ところが未だに日本としては曖昧模糊のまま72年も経ている。
 
 インドのパル判事が語った「戦争を犯罪と立証することはできない。我々はまだそこに到達していない....」と主張する言葉が強く残った。 真の平和の訪れはまだまだ先の事に思えてならない。