鈴木卓の気の向くままに 

「ああ、いっぺん言うてみたかった」、「日常のたわいない出来事」など、皆様へのお便りを発信いたします。

《数々の思い違い/不思議な事!》

2009年02月10日 | Weblog
◆日本史の年表を見ていると“縄文式時代と弥生時代”にクッキリと線が引かれている。あたかも「縄文人間の人達が様々な智恵を身につけ、技術を進化させて弥生式文化を創り出した・・・」と錯覚してしまいがちですが、実は「鉄をつかう弥生式の人達が、縄文式の中に入り込んて来た!」というのが真相でしょう。
つまりは弥生式文化は“渡来人”とでもいうのでしょうか? 大陸から渡ってきた“鉄を使う”文化の便利さが縄文文化の間に広まったのではないでしょうか?

◆日本の統治が将軍から天皇に変わった時、その翌日から武士が完全に居なくなったのではと思っていたら、そうは簡単にいかなかったことが“映画「ラスト・サムライ」”で描かれていました。そうなると明治政府が落ち着くまでには実は何年もかかったとなると“明治維新”とはいつの頃を指すのでしょう?

◆クラシック音楽の世界で“古典派・ロマン派・近代/現代の作品から一曲づつを選曲して演奏しなさい”などの課題を与えられる事があります。
この場合も深く考えると分からなくなる事があります。
作曲家の生まれた年代だけできっぱりと線引きする訳にはいかず、その音楽的特徴は時代よりも個人的な“音楽スタイル”あるいは“個性”の違いによる部分が大きいのです。

例えば“バッハ”と“ドビューッシー”では音楽のスタイルに明確な線引きができるかもしれないが“ベートーベンとモーツァルト”とでは時代も近いせいか内容の違いよりも“個性の違い”の方が大きく感じられのです。
“ラフマニノフ”には20世紀の音楽家にもかかわらず“ロマン派”の香りがぷんぷんと匂ってきます。

◆“ポピュラー音楽”になると更に細分化され、覚えきれないほどのおびただしい分類表が出来上がります。

すっごく気にいっているの!
クラブ風で・・・
どちらかというと癒し系・・・
それでいて一寸ばかりロックぽいの!
そうそう民族っぽい感じもする!

この会話でどんな音楽なのか想像できますか?

◆先日ホステスのいるクラブへ飲みにいきました。
こういう店に行く習慣のない私は少々戸惑うのですが、まづは“血液型による性格分析”。

「血液は何型ですか?」とさっそく聞かれた。
「AB型です」と応えると「うーん やっぱり!」

何が“やっぱりなのか?”判りませんが、4種類しかない血液型で性格が分類できるほど人間は単純ではないと思っていたのですが、「いや! もしかしたら一種類しか無いのでは?」と急に思い始めたのです。その瞬間に僅かな判断の違いはあるものの、大部分は共通部分が認められるほど本質的に人間同士には大して違いはないのではと思いはじめたのです。

分類したり分析することで恰も何かが分かったような気にさせられるけれど、実際は何一つ言い当てていないし、明確になったわけではない。
特にこれだけ世界中に多くの経済学者が存在するのに、この流れをコントロール出来ず、ただただ“不景気だ!”“不安な未来が予測される”などと語っているだけで何もできないでいる事はとても不思議な現象として映る。

《kasajiさんからの便り》

2009年02月10日 | Weblog
<卓さんお久しぶりです。うちのバンドのタモリさんからレギュラーの座を奪ったこと誇りの(?)TPさんもステージで駄洒落(?)。。。小話(本人はこう言ってます)やるんすが。。。卓さんのこれは...品があって面白い(笑) TPさんのが下品と言ってるわけゃありませんが(笑)>

kasajiさんコメントありがとう。
こう言うのって始めると弾みがついて次から次へと連鎖し、あのブログを書き終え、散歩しながらも駄洒落で頭が一杯になってしまいました。

これはどうか?
あれはどうか?
なかなか巧くいきそうでイマイチ!

随分以前の事ですが台湾で発売されているレコードを聞かされた事があります。
台湾人の作詞/作曲となっているのですが、全て日本の歌謡曲なのです。
歌詞は中国語ですから当然としてメロディーまでもが台湾人とは恐れ入りました。

その中に“四個願望”のタイトル。
これは“ちあきなおみ”の「四つのお願い聞いてよね!」のあの歌なのですが、「なるほど、そうだよね!」と感心してしまいました。
その他には「長崎は今日も雨だーった!」など・・・・

漢字は表意文字なので“読み方は判らなくとも意味は判る”便利なものと思っていたのですが中国にはカタカナに相当するものが無いので外来語は漢字の意味とは関係なく“音だけで決めている”との事なのでちょっと調べてみました。

マルクス=馬克思
アインシュタイン=愛因思坦
ニュートン=牛頓
エジソン=愛迪生
ゲーテ=歌徳

それでは楽器は?
ピアノ=鋼琴
ドラム=大鼓(d a g u)・・・・
ギター=吉多(読み方は判りません)
ならばトランペットは“喇叭”か?
トロンボーンは“長管型伸縮自在中型喇叭”とでも言うのか?
サックスは?
ベースは?

ジャズ・メンはどう書くのでしょうか?
中国語の判らない私は“表意文字+音訳”で考えてみました。

・雄車 ピーターの息子=オスカー・ピーターソン
・歯美 半料理人=ハービー・ハンコック
・チック(整髪料)朝鮮=チック・コーリア
・建物 絵盤酢=ビル・エバンス
・芸術 制御器=アート・ブレーキー

どんどん出てくるよね。だれか助けてください!

それでは最後に“ASO=(KY)3”と書いてどのように訳するでしょう?

・漢字読めない
・解散遣れない
・空気読めない

*これは文藝春秋からのパクリです。

《似た者同士》

2009年02月10日 | Weblog
◆相良直美の“二人の世界”をご存じだろうか?

愛 あなたと二人
夢 あなたと二人

結婚式での音楽の定番にまでもなっていたこの曲は、歌詞のリズムが、なんと映画“クワイ河マーチ”にピッタリ一致するのです。偶然かもしれないが、もし意識的だとしたらある意味ではすごい才能を感じます。

続いて“私の好きなもの”があります。
ミュージカル映画“サウンド・オブ・ミュージック”の中にも同じタイトルの曲が登場します。洒落たタイトルに感心したのですがメロディをー聞いてびっくり!

レモンの味がする
洗いざらしのブルージン

これは紛れもなく“A.カルロス・ジョビン”の名曲として知られている“コルコバード”にクリソツ(そっくり)。
明らかに“パクリ”です。

もっと凄いのは“夜明けのスキャット”

ルー ルー ルル ルー
ルー ルー ルル ルー

この曲を初めて聞いた時には“サイモンとガーファンクル”の“サウンド・オブ・サイレンス”の日本語訳版だと思っていたのですが、後に日本人の作曲と聞いて驚きました。
これ!どこが作曲なのか?

こんな際どいものが売れているのですから原曲側の関係者として黙って指を銜えて見ているわけにはいきません。
“盗作”で訴えられました。(やっぱりね)

*因みにメロディーの部分と別に“曲名”は著作権侵害に該当しないらしいです。

◆“ワン・レイニー・ナイト・イン・トウキョウ”
アメリカ人歌手“ブレンダ・リー”の歌声が舌足らずの日本語で(それがまたいい感じ!)軽快なボサノバのリズムにノって歌います(英語版もあったようです)。

何とお洒落な曲なだろう!と感心していたら“日本人作曲家”によるものと聞いて驚きました。
しかし「どこかで聞いたことある?」
何とドイツの“コンチネンタルタンゴ”のメロディーにクリソツ(そっくり)!
原曲の“タンゴのリズム”を“ボサノバのリズム”に変えただけの完全なるぱくり!
冒頭の部分は勿論、さびの部分まで、全体を比較しても“数ヶ所の音の違い”しか認められない、まるで一卵性双生児の様に似ている。

この場合も訴訟された作曲者(日本人):「そんな曲聞いたことない。このような曲の類型はいくらでもある!」と開き直ったそうですが果たして判決はどうだったのか?


◆井上陽水の“少年時代”

冒頭の部分を聞くと“いまは鉄橋 渡るぞと”と文部省唱歌に聞こえてしまいます。でも前述の場合とは全然比較にならない。
たまたま私がそう感じるだけですから気にしないでください。

◆“チャーリー・パーカー”は既成の名曲のコード進行を拝借して別なタイトルをつけた名演奏をたくさん残しています。この場合には、「テーマ部をインプロビゼーションの素
材」として考え、“本質は自分の演奏にある”と考える“ジャズ”の特性から全く問題にされない。

実際にコード進行が似ている曲は沢山の例が見受けられる。

“Fly Me To The Moon”と“All The Things You are”は冒頭の部分が“Ⅵ→Ⅱ→Ⅴ→Ⅰ→Ⅳ”と同じ。しかも“その和音の3rdを繋いでいる”という発想は全く同じなのですが、“メロディのリズムが違う”からなのでしょうか? あまり似ている事には気が付き難い。
勿論その後の展開はそれぞれに工夫され特徴を出しているのですが。

オシャレで多くの人に愛され演奏されるジョビンの名作“How Insencetive”
この場合には“ショパンのプレリュード 第四番”の和声を真似たもののようですが、“チャーリー・パーカー”と同様に盗作とは次元が異なる高度な引用だと思います。

◆“慕情”
この曲の冒頭の部分は、オペラ「蝶々夫人」の“ある晴れた日に”と似ていると言われています。作曲家であるならば「お題を頂戴」ではないがヒントさえ与えられれば、それから発展させることはそれほど困難なことではなく重要なのは“よいネタ”なのです。


◆数年前にも“盗作の訴訟”が話題になりマスコミを賑わしましたのですが、こういうのは中々むづかしいらしく多くは“和解”でいつの間にか“シャン・シャン・シャン”と我々が知らない間に“事”は終えてしまっているようです。

これらのネタは掘り起こすと止まらないくらいたくさん出てきますが、最後に、
“ショパンのコンチェルト 第一番”の中間部に差しかかると“あなた変わりはないですか?(津軽海峡冬景色)”に聞こえてくるのです。


《雑感》

2009年02月10日 | Weblog
◆作詞者の星野哲郎さんは凄い!
ずいぶん旧い話になりますが水前寺清子の歌った“365歩のマーチ”は、これまでの“暗い・恨み節・後ろ向き・ネガティブ”ではなく、人生に対して“前向き”な歌詞はこれまでの演歌とは明確に異なる画期的だったと思います。

◆“7小節は凄い!
ビートルスの“イエスター・デー”は冒頭の“Aの部分が7小節”という半端な数でできている。もし一般的な“8小節”だったとしたらなんとも平凡で間が抜けてしまう。
もし音大などで先生に見せたら「もう1小節増やして8小節の方がイイのでは?」とアドバイスを頂けるかもしれない。
ポールもレノンも習わなくてヨカッタネ!

◆“ハバネラのリズム”
子供の頃に「別れの一本杉」を何度も繰り返して聞き、バックの音楽はスコアーに書ける程に各パートの部分までしっかりと記憶している。
この曲はこれまでの演歌にはみられない“ハバネラ”のリズムに編曲されています。
あの有名な“カルメン”と同じなのです。
ヨーロッパにおける“コンチネンタル・タンゴ”にも応用されているリズムですが、演歌としっくりとマッチングしていることに今さらながら感心してしまいます。

音楽に限りませんが、“後世に残るもの”、“人々が飛びつくもの”には必ずや何らかの“新鮮さ”を含んでいる場合が多い。それらを嗅ぎ分け飛ぶつく勘のするどさに驚いてしまう。


.《駄洒落文化花盛り》

2009年02月03日 | Weblog
・〔洒落(しゃれ)〕とは、垢抜けていること、気の利いていること。
洒落の利いていることを“洒落る(しゃれる)”という。
・〔駄(だ)〕つまらない。粗悪などの意をあらわす接頭語。
駄洒落とは“つまらない洒落”という事になる。

◆豆撒き
今日2月3日は節分の日。あちらこちらで“豆撒き”のイベントが行われている。これには、“鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願う”という意味合いがあるという。では何故“まめ”なのでしょう?
鬼にモノを投げつけ、退散させる方法ならば豆以外にいくらでもありそうです。
調べてみました。

“魔を滅ぼす”の意味で“魔滅(まめ)”になっただそうです。

これだけの大行事もこんな“駄洒落”にも近いことで世の中が動いているのかと思うと気が楽になります。反面、それほどまでに見えない事への不安、あるいは誰かに自分の運命を握られている、とでも思っている証拠なのでしょうか?

◆病室では“4号”“9号”など“4と9”の数字は“死ぬ・苦しむ”のイメージに繋がるとの理由で避けられ、1~3号室の次は5号室、6~8号室の次は10号室になっている場合が多い。

◆「死亡事故が多い!」と言われている悪名高き“国道4(死)号線”で私は2度も大事故を起こしています。

・随分以前になりますが、四号線(宇都宮付近)で“私の車はスピン、センターラインと対抗車線を越え、道路右側の家の塀に激突し、さらにバウンドして道路の左側の車線に戻って来くる”という大きな衝撃を受けた事故でした。
にも拘らず、首に軽い鞭打ち程度(今は完治)で病院へも行きませんでした。
車はもちろん大破し廃車。

・一昨年前には四号線(古河付近)で、道路の脇のポールに激突。警察も“死亡の確立が高い”といわれるほどの事故の内容にも拘らず、車は大破したものの、腰椎骨折と打撲だけで済みました。しかし入院中はずっと痛かった!)

それ以来、“自分は永久に死なないのではと?”との確信を深めました。

◆結納
結婚の契約となる“結納の目録の中身”にはどんな意味があるのか調べてみました。

・鰹節=勝男節(かつおぶし):男性の力強さをイメージ
・スルメ=寿留女(するめ):末永く幸せを願うため この例は豊富にいつかる
・昆布=子生婦(こんぶ):子孫繁栄を表す。
・白い麻繊維=友白髪(ともしらが):白髪になるまで夫婦仲良く。
・白い扇子=末広(すえひろ):末広がりの繁栄を願うため。

これら私たちを取り巻く伝統的な儀式の中に、洒落とも思える文化が深く浸透している事がおおく確認できます。

◆年齢の影響からなのか、曲のタイトル、音楽家など、会話の途中で単語が中々思い出せない、いわゆる度忘れが増え、もどかしい思いに駆られることが多くなりました。同じ洒落でも駄洒落の典型“オヤジ・ギャグ”は軽蔑されていますが、頭のトレーニングにはすごく効果的ではと思うのですが「聞いてください」


“ポール・ニューマン”は漢字で“柱 新男”と書きます。
“青 三個”と書いて“ブルー・スリー”と読みます。

いくら混雑した駐車場でも空いている“9番”には駐車してはなりません。
“車は急(9)に止められない”。

「お後がよろしいようで!」

.《キッチン・ドリンカー》

2009年02月01日 | Weblog
私は子供の頃から“酒まんじゅう”“甘酒”“奈良漬”などあの香りがとても好きでした。
かと言って酒豪ではありません。以前には晩酌の習慣もなかったのですが、最近になり夕飯時の食前酒としてコップ半分位の日本酒を口にする事が多くなりました。

その日は朝から雨が降る寒い日で、片づけなくてはならない仕事が山積み状態。
何かに追いかけられているような気分で“強いストレス”を感じていました。
朝食の準備にと台所に入ると、6分目ほど残っている酒ビンが目に入ってきました。
私のペースでは一升ビンを開封してから空になるまでには2週間ぐらいかかります。
ラベルには“早めにお召し上がりください”と書いてある。
“せっかくの美味しい味が落ちては勿体ない!”とばかりに少々口に含んでみる。
“冷たくておいしい!”
さらにコップに注ぎ、口に含めると、美味しさだけでなく“フワーッ”とした酔いが加わる。

“うきうき”した気分で心も軽い。
先程の“やや憂鬱な気分”は吹き飛び鼻歌さえ出てくる。仕事も快適に進む。
しかし少し時間が経過すると酔いも醒め、再び重い気分に逆戻り。
“醒めそうになると~口に含む!”
これで“気持ちよく、ハイな気分”を持続できる。
この状態を学習した私はこんな事を夕方まで繰り返していました。

どんなに眠れなくとも睡眠薬や、ストレス発散の為にアルコールに頼る事はありませんでした。
いわゆる“アルコール中毒症”の数は、昼間からアルコールを飲む習慣の少ない日本では、欧米に比べて少ないと言われてきました。
ところが女性の依存症、いわゆる“キッチン・ドリンカー”の数は増える傾向にあるとの事ですが、台所仕事の多い女性の場合には、“ちょっと憂鬱な気分”の時にはつい手を出してしまう気持ちはよくわかります。
今回“キッチン・ドリンカー”を他人事に思っていた私ですが、その素質が十分に備わっている自分を再発見した次第です。

その晩は早々と風呂に入り、心地よい眠りに入ったのですが、さすが翌日にはアルコールが抜けきらなかったのでしょうか、頭が重くすっきりしない状態でした。
そこで再び“飲めばすっきり”するのかもしれませんが、その気には到底なれませんでした。

*フランス料理には“ワイン”が定番となっていますがフランス料理に限らず日本料理は勿論、中華料理など、どんな料理にも私の口には日本酒がもっともピッタリきます。