パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

真田丸第12回「人質」放送日3/27

2016-03-31 15:11:10 | 真田丸
まだまだ素直になれないきり

しかし、ぼそっと言った「・・・源次郎さんか行くところ・・・」の一言が今後の展開を予感できます。

冒頭の上田城の様子、どこの櫓から城下を見渡しているのかな?
方向的には東北東。

画面左側が砥石城・その先の真田の郷の方向、
画面右格子の向こうに烏帽子岳(2,066m)が見える方向。

画面中央下には門らしき建物、その先に城下町が延びています。

どういう城郭を描いたのでしょう?
第10回で大まかな城図面は出てきましたが。


室賀正武謀殺後(1584年7月)、再び上杉に対して属する旨の書状を送っています。(ドラマ・史実共)しかし、上杉景勝はすぐには認めませんでした。

上杉に文を送ったと明かす昌幸信幸の冷静な返しが面白く
昌幸の「世の中上手く行かないかぁ(?うまく聞き取れなかったけど)」に
高梨内記のちょっとした表情が良かったです。きりの事で思うところがあったのかな?

ここで人質として源次郎景勝のもとへ参じますが
史実ではさらに先の第一次上田合戦(1585年閏8月)の直前の7月のことです。

の策士ぶりにドン引きのきり。こんなところも面白かったです。

沼田を巡っては、北条と争い、徳川と敵対し始め、上杉には未だに認めてもらえないという状況下というのは本当に真田家にとっては生きた心地のしない状況だったでしょう。

ドラマではその辺りはサラッと描かれていました。

真田丸景勝は実に優しくていい人です。そして、直江兼続も。

昌幸との対比、そして徳川との対比。
表裏ある二者の対局にあるを重んじる上杉。こんな明確な対比も解りやすい。

中世の風俗、鉄火起請を再現し、それを使って源次郎の策士ぶりを描き、その姿を見て景勝の心を掴む。帰城の際に景勝の一言「お主のような子が欲しかった・・・」良いシーンでした。

実際には、源次郎の言動があそこまで景勝に影響したとは思えませんが、景勝・兼続からの教えは、源次郎にとってとても共感するところであり、学ぶ事が多かったと思います。上杉での厚遇があのようなかたちで表現されたのかなぁ、とみました。

昌幸家康手切れを宣告、これに対し家康鳥居元忠真田討伐の命を出し小県へ進軍しました。

いよいよ、第一次上田合戦、開戦です。楽しみです。

感想でした。


しっかり確認しましたか、その案内の仕方

2016-03-31 10:07:30 | 
来城者が日増しに増えている上田城跡公園

本丸跡に上田城築城の所以が記載された案内板が設置されています。

これです。

タタミ1枚分ほどのところに文章と絵図、写真が記載されています。

これはいかがなものかと思うところがありました。

そして、それが影響している場面に出くわしました。

絵図・写真部分の拡大


1つ目、細かい事ですが、上部に記載されている

         真田氏時代の
上田城・仙石氏以降の上田城


この表記の仕方なんですが、
「真田氏」を強調したかったのかなぁ?
なんて思いましたが
それにしてもちょっと違和感があります。

真田氏時代の上田城
      と
仙石氏以降の上田城


のような表記の仕方の方が良いのではないでしょうか。

更に拡大して


2つ目、この案内板をパッと見たとき目につくのはこの部分です。

この白抜き文字は、

上田城が誇る広大な堀
百間堀はあちらです

と表示されています。

これが問題なんです。
赤矢印の上の信州上田城絵図には現在地が記載されています。

赤矢印の方向は絵図中で白矢印(画像加工して付け加えました)の方向(西側を向く)です。

実際、この方向には本丸を囲う土塁があり、その先には西側の水堀があります。

この表記をそのまま受け取る人も多いと思いますし
そちらの方向へ行く人達が多いと思います


実際にそう思って土塁から西側の水堀眺めて
「これが百間堀かぁ」と言っている人がいました。

実際の百間堀(正確には百間堀跡、現在は陸上競技場)は、絵図中の赤丸(画像加工して付け加えました)で囲ったところです。
赤矢印の方向からは見えません。

正確に情報を伝える事をしっかり考えたのか?
って思うような案内の仕方で、
正直、仕事が雑、しっかりしてくれ

だんだん春めいてきた上田3/27

2016-03-31 09:40:09 | 愛犬
春休みという事もあって
上田城はたくさんの観光客で賑わっています。

大河ドラマ館の来館者数が26日付けで100,000人に達成したということです。
開館から70日目での達成でした。


そんな中、ローソンで販売している
真田丸おにぎり&そばを買いに
上田駅近くのローソンへ散歩がてら買いに行ってきました。

それがこれです。



駅前の広場で少々遊びました。

元々照明で六文銭を表現していましたが
よりわかりやすく、昼間もわかるように
JR東日本六文銭を装飾してくれました。嬉しい事です。






真田幸村公像をバックに





街の花壇にも六文銭
と一緒に真田丸ポスター


水車広場の手摺にも六文銭


真田幸村公像


夕方4時頃、上田城跡公園へ

尼ヶ淵広場の桜のつぼみが、だいぶ膨らんでいました。
そろそろ開花かな(^O^)


西櫓をバックに


本丸跡にはボンボリが飾られ
お花見気分が増してきました


たまには後ろ姿を

真田丸第11回「祝言」放送日3/20

2016-03-23 15:08:13 | 真田丸
沼田領問題家康強要に拒否し続けている真田昌幸に対して
「謀(はかりごと)を以って真田を討つべし」と室賀正武に命じるところから始まりました、と史実に倣った言い方をしました。

ドラマでは、室賀正武は躊躇し、
家康・正信によってはめられ、そそのかされ、心を売ったように描かれました。

史実では、真田室賀は、甲斐武田氏滅亡後から対立抗争関係にありました。

それをドラマでは、「おぬしの家来ではない!」や
織田北条に従属した頃の正武の態度をあのように描くことによって
対立関係を表現したのではないかと思います。

しかし、家康と関わろうとした頃から、昌幸に対する正武態度が変化しました。

史実では、先に室賀は徳川方に属していました。
昌幸が徳川方に属した後、小県平定する為に動き、室賀を抑えようとし、
それに対して室賀応戦しましたが、
真田に対して和睦を申し入れ真田の麾下(家来となる)に入りました。

そんな変化をあのように表現したのかなと。

源次郎と夫婦になる事を近親者に報告したくだりは面白かったです。
きりさんと一緒になるのかと思った」とか
源三郎との会話も仲の良い兄弟をうまく描いたと思います。

きりの耳にも入り、その複雑な心情が今回の後半にかけて描かれました。

このきり源次郎に対する思いや言動が、
今後の真田丸でとても重要な役割を果たす事になるとはっきり示したように思います。
それは、源三郎に吐露した源次郎の心情に現れていたと思います。

未熟さ、心配り、何が大切なのか、源次郎がこれから直面する問題に対して
精神的に支えてくれる重要な存在になって行くのだと思います。

ドラマでは人間的なところを描く事は大事だなと。
武勇伝、戦、歴史的事象、重厚さ云々などの
ただの羅列なら好きな戦記物や史書史記を
読んでいればいい事である。

正武の謀殺に至る囲碁からのシーンは
かなり、衝撃的に描かれていたと思います。

史実をなぞっていると
不本意ながら昌幸の家来となった
正武は、真田の勢力拡大不満に思い、家臣を家康のもとに送り訴えていた。
そこで家康の命暗殺を計画。その計画を練りに練っていた。
室賀一族の室賀孫右衛門を徳川家臣のもとへ派遣し
援軍を要請する手はずだったが、その者は既に昌幸内通しており、
そのまま上田城へ向かい暗殺計画を密告し、室賀のもとへ帰参した。
そうとは知らない正武囲碁の観戦に招待され、これを良い機会とみて
上田城へ乗り込んだが、通された書院の間にて昌幸・信幸調略により真田家臣の手で討たれた。
伴ってきた室賀家臣は捕らえられ、のちに真田の家臣となった。

と、さほどの驚きもなく、昌幸の調略により討たれた、と、
実際にはこのように淡々とした流れであったかもしれません。

しかし、そこに昌幸・正武を付加し、
「幼馴染み」「同じような人生を歩んできた」とか思い留ませる一言を入れ、
そして小刀を差し出し小県の国衆の想いを託す(?)など感傷的なところや
「おぬしの家来にはならん」と言い放つ対抗心はある。手を掛けようとするが・・・。

ドラマにするにはこのように表現しなければならなかったのか?
それを源次郎と梅の祝言を利用するという・・・。

しかし、前にも記したように、真田丸は信繁が主人公の物語、そしてヒロインはきり

この2人をうまく絡めなければ、昌幸が主人公と言っても過言ではない物語になってしまう。

そうなんです、信繁を主人公に描く事は難しいのです。
何せ、この頃の信繁の事を見出す史料が極端に少ないから。

たとえあったとしても、その時の細かな心情言動までは書かれた
史書・史記は殆んど無いと言っても良いでしょう。

逆に言えば、どんな風にも描ける。がそれもまた難しい。

あとちょっと気になったのが、
「上田城が完成した」とナレーションが入りましたが???です。
あの時点(1585年7月)では完成していません。徳川の援助による普請は中断となり
第一次上田合戦が勃発、収まったところで上杉の援助による普請で一応の完成
(9月末から10月頭にかけて)となりました。



長々となりましたが、信繁青春期のクライマックスである第一次上田合戦がいよいよ勃発

真田vs徳川、どのように表現されるのか楽しみです。

第11回「祝言」感想でした。
だんだん長くなります・・・(;^ω^)

3連休最終日は上田城→軽井沢3/21

2016-03-22 18:31:31 | 愛猫
真田丸第11回「祝言」の真田丸紀行上田城でした。

そして、フジテレビの昼番組バイキングでも上田城が特集されました。


これを見た後、上田城へ。

3連休で天気も良かったせいかたくさんの人出でした。

おもてなしです。

先ずは尼ヶ淵広場で




続いて
東虎口櫓門前で





おもてなし武将隊が登場したので退散。

真田丸の中で「あまがふち」を「海士淵」と記されていましたが、
これは上杉方の書状に「海士淵」と書かれていたためこれを用いたのだと思いますが、当時は音で聴いたものに当て字して表記していると聞いたことがあります。
上杉は日本海に面する土地を領有していた為に「あま」と聴いて「海士」をあてたのでしょう。

上田城のあとは、軽井沢へ。
3連休中も大変混んでいたようですが、15時過ぎになると道も駐車場も空いていて行きやすいです。

旧軽の浅野屋でグラスパフェを食べました。
食べたくなったので。


軽井沢プリンスショッピングプラザへ行って
ドッグラン&買い物をして帰りました。

上州沼田真田丸展に行ってきました3/20

2016-03-22 16:51:09 | 真田丸
先週、沼田へ行ったときに
上州沼田真田丸展の開催を知り
2週続けて沼田へ行く事となりました。


先週同様、真田街道を通って沼田を目指しました。

ちょっと遅めの出発。

足湯のある道の駅八ッ場ふるさと館でちょっと早めの昼食を摂りました。
足湯は混んでいたので今回はパスしました。

岩櫃山付近まで進むと沿道のこんにゃく屋さんが目に入り寄ってみると午前中に出した生こんにゃくは売り切れで、もう一時間ほどで新たな生こんにゃくが出来上がるというので、時間つぶしすることにしました。

岩櫃山の南麓にある密岩神社へ行きました。
前日のNHKのTV番組でおもてなしをやっていると知ったので。

これです。



絶景です。岩櫃山。




お茶を頂き、物販もやっており、買い物しました。

記念撮影






真田丸で堺雅人信繁が羽織っているのと同じ陣羽織やお手製の甲冑を身に着けること出来ます。ポスターと同じように撮る事が出来ます。
再チャレンジしたいです(;^ω^)


アンケートに答えるとガラポンが1回でき、見事銀賞でした\(^O^)/
商品は東吾妻町特性のマフラータオル!!良いモノもらえました。
これです↓


生こんにゃくを受け取り、沼田へ向かいました。
買ったこんにゃく美味しかったです。

真田丸展、良かったです(*^^*)
きりや梅の衣装や源次郎がプレゼントした櫛、沼田城の天守の模型など見ごたえありました。
初日だったのでたくさんの人出でした。








近所のバームクーヘン屋さん樫の木で2種類買いました。これもまた美味しかったです。


真田の郷での源次郎ときりをアリオとりんごで3/19

2016-03-22 16:05:49 | 愛犬
再現してみました(*^。^*)

撮りに行こう行こうと思っていたのですが
なかなか、近いのに。

でも、ようやく行くことができました。

真田丸第3回「策略」で
源次郎(堺雅人)ときり(長澤まさみ)との会話の場面で
2人が座った白樺の長椅子がそのまま置いてあるので。

撮影場所となったのは真田氏本城跡です。

























桜が咲いた頃、また撮影しに来たいと思っています。

上田城について~一直線~

2016-03-19 10:58:00 | 
先日、上田城築城について記事を載せましたが

今日は、ちょっと違った視線から見てみたいと思います。

築城の地の選定についていくつか挙げましたが
もう一つ、挙げたいと思います。

それは、
真田氏本城砥石城上田城一直線で結ばれているということです。

これは、数年前に地元紙で紹介されました。
そしてこの事は、砥石城のある地域の事をまとめたガイド冊子に記載されていることです。

真田家が上田城へ移る前に本拠としていた砥石城。

実際に砥石城へ行ってみました。

砥石城とは、
本城を中心に北に枡形城、南に砥石城、西南に米山城からなる
連郭式の山城
です。

枡形城から眺めてみました。

松の向こうに真田氏本城があります。
この辺の木、伐採してもイイのではないかと思いました。
間伐間伐。山は間伐しないと荒れ放題になります。
松をよけて撮ってみました。

真田の郷が一望できます。

そして180度振り返ると

が見えます。
一直線上の先には夫神(おがみ)岳があり冬至の日の入リとなる場所です。


一直線です!!!
こんなことも考えられていたのかと思います。
こういうことは、古代からよく採られている方法ですから。
何か、ロマンを感じます。ゾクッとします。

砥石城からは富士山を見ることができます。


そして眼下に広がる風景




砥石城については日を改めて記したいと思います。

こんな点から見ても上田城の築城には、色々な思いが、構想があったことがわかります。

真田丸第10回「妙手」放送日3/13

2016-03-16 09:12:44 | 真田丸
大問題へと発展していく沼田領問題

室賀正武の癇癪で始まりました。

国衆にとっては、
大名の都合で勝手にされるがままの状況に陥れば
怒りや困惑するのは当然の事です。

家康の下に乗り込んだ信幸・信繁兄弟に信尹。

まぁ、この家康の心ない口先だけの言動にはイラッとしますが、元々好きではない家康なのであんな感じでOKです。嫌な感じが出ていて。

家康に対して凄んだ信幸に信繁の本多忠勝制止。この場面にはしびれました。
これで終わらない、直後の信幸の疲弊脱力感が良い感じでした。
まだまだこの時の信幸は10代だからね。「凄んだけど死ぬかと思ったぁ~怖かったぁ~」感が良かったです。

北条のイライラっぷりもなかなかのもの。

そんな中、上田城が普請されました。
なにか、地元の城、他から比べれば小さな城にもかかわらず、上田城の築城が描かれた事に感慨深げです。嬉しいです。本当に。

そして、上杉景勝と信繁のやり取り。
上杉方へ「1人で乗り込んだ勇気」と「武士の誇り」、「その裏のない純粋さ」にぐっと来て流した一筋。景勝の描かれ方が、戦乱の世にあって和ませてくれるように感じました。

虚空蔵山城での戦芝居の場面。
メインテーマ曲が流れた瞬間、鳥肌が立ちました。しびれました。

信繁からのプロポーズを待ちに待っていたお梅ちゃん。
今で言うデキ婚の運びとなりました。

軽率で向こう見ずから始まった沼田領問題に翻弄される真田・北条・徳川・上杉のそれぞれの思惑がテンポよく描かれていました。

今回は、信幸・信繁兄弟が大活躍し、囲碁に明け暮れていた昌幸。
昌幸ばかりが目立っていたのでは、という感じの回でした。

いよいよ、真田の名を天下に轟かせた第一次上田合戦へと展開していきます。

第10回「妙手」の感想でした。

真田街道 上田~沼田 3/13

2016-03-14 15:35:40 | 愛犬
大河ドラマ真田丸で「沼田領問題が大問題へと発展していく」という話が展開され始めるということで

通称真田街道に沿って真田家の重要拠点である沼田まで行ってきました。

これまでにも沼田へは何回も行っていました。JR上越線のSL撮影の為に。

真田街道とは
真田家が自力で所領した地、上田(小県)から吾妻郡・沼田、更にその先の片品まで、現在の国道144・145・120号線をそう呼んで真田の歴史やゆかりの地を知ってもらおうと選定された観光ルートです。

上田城下町にある我が家を出発し上田市真田町を通り鳥居峠を越えて上州へ。

嬬恋村・長野原町と進んできたところで
道の駅八ッ場ダふるさと館で休憩。ここまで1時間ちょっと。

八ッ場ダムのダム湖となるところに掛かる橋上から



橋上からダム湖に沈む谷底を覗いてみました。
左上に新国道145号線、左下へ旧JR吾妻線、その右側が旧国道145号線、吾妻川、対岸中腹に移設された新JR吾妻線が見れました。

道の駅八ッ場ふるさと館には足湯があります。

景色が良い。まだまだ山には残雪が。




寒い日だったので温まりました(*^^*)

続いて真田家の吾妻の拠点、岩櫃城跡へ。初めて行きました。
ここも大河効果で人出がありました。

岩櫃城は中世の山城で岩櫃山の中腹に築かれました。甲斐武田家配下時から郡代として真田家が治めました。







前日までの雨?天候の影響や冬季は元々足元が悪いため3月下旬まで登山を自粛を促す案内があったので登山口で踏みとどまりました。

また良い季節になったら訪れたいと思います。

そして、沼田城祉の沼田公園へ。


沼田城は河岸段丘上に築かれた元々、中世の丘城。こちらも甲斐武田家配下時から真田家が治めました。のちに、真田信幸(昌幸の長男)が城郭整備をし近世城郭となりました。
上田城と同様に金箔瓦が出土しています。豊臣期に築かれたことがわかります。



残念ながら城郭の遺構はわずかに残っているだけです。





真田家が信幸から5代91年にわたって城主となりましたが真田信利の時(1681年)、横暴な藩政・幕府の命に対する遅延で改易され、翌年に完全に破却されてしまいました。

5重の天守や3重の櫓など立派な城郭でした。







先日、真田信之(信幸)と妻の小松姫像にスプレー塗料が吹きかけられた事件がありました。
その後、きれいにふき取られて、ブルーシートで覆っている場に居合わせました。


職員の方と話す機会があり、兜を被ったバジルを見て、上田城で見かけたことがあると。
「同じ模様だったのでそうかな」と、声を掛けられ、「上田から来ました」と、伝えました。



20日から31日まで開催される上州沼田真田丸展に合わせて除幕式が行われるそうです。