パピヨン&猫~アリオ&りんご&バジル&くるみのブログ~

愛犬&愛猫と一緒に愛車で日本全国?はまだまだですが、お出掛けした事・趣味のお城の事・鉄道の事など紹介しています。

山城 尾野山城跡Vol.1

2020-01-18 13:24:16 | 

ここ3年間、仕事が忙しくて

また私的でも色々とあって

なかなか、趣味のに時間を

割くことが出来ないでいました


令和2年・2020年はまた城活

積極的にしていきたいと

思っています

 

という事で早速ですが

私が生まれ育ち、

現在でも仕事場(事務所)でもある

実家がある

上田市の神川地区は古からの

歴史が豊富な場所です

官道の古代東山道が通り、

信濃国の国府が置かれたり、

信濃国分寺が建立されたり

平将門が合戦をしたり、

源頼朝の勧進と伝わる

信濃国分寺三重塔(国重文)があり

海野平の合戦

第一次上田合戦(神川合戦)

あったりしました

 

中世末期から戦国時代には

戦国大名や国衆の草刈場・戦場

となった為に

多くの山城が造営されました

 

そんな多くの山城を実家の屋上や

実家までの道すがら

市内を車で走っていると

そこかしこに見ることが出来ます

実家から見えるのが真田氏本城など

真田地区の諸城や

戸石城・砥石城矢沢城伊勢崎城(砦 蚕山)を望むことが出来ます

そしてもう一つが

今回の記事タイトルになっている

尾野山城(尾山城) 

上田市生田2007-1

(尾野山公民館の住所)

<掲示されている縄張り図>

海野氏配下の尾山氏によって

造営されたとされる

造営年代は詳細不詳ではあるが

室町時代後半か?

応永7年(1400年)の大塔合戦

参戦したとの伝承があり

その後の戦乱の中で造営されたか?

大塔合戦 応永7年(1400年)9月24日に

信濃守護小笠原長秀

村上・祢津・海野・高梨・井上氏などの

国人領主の連合軍対戦した合戦

この尾野山城跡が落葉した晩秋から芽吹く前の初春にかけて

実家やその周辺から目の前に

はっきりと見える様になるのです!

このように実家の屋上から見る事が出来ます

たぶん尾野山城をこういう風に

撮った人はいないのでは!?

登城口となる愛宕神社参道側から

中央部の建物が愛宕神社社殿です

<参道→社殿→堀切→三の郭>

<比較的平坦な三の郭付近>

 

<三の郭→堀切→二の郭→堀切→主郭>

主郭 見事な台形を成しています

主郭西寄りに小さな三峰社社殿が

あります

<二の郭→堀切→主郭→大堀切>

続く・・・



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