
バブルな時代「KUKAN」と言う月刊誌が、たしか学研から出版されていた。
時は「ポストモダニズム」と言う時代の思潮が世界に吹き荒れるころ、件
の雑誌から「東京を変える100人」と題された別冊特集号が出された。
その誌面は当時30代後半から40代の建築家、インテリアデザイナー、
それに今や死語と化した空間プロデューサー、等々当時の精鋭たち100
人が選ばれ、彼ら彼女らが東京で完成させたプロジェクトや現在進行中の
プランなど、各氏見開き2ページを使い紹介されるもので、誌面では各氏に
「この先、あなたが東京で作りたいものは?」と たった一つ共通の質問を
投げかけていた。
その問に、十派一絡げ99人がほぼ同様な答えを返していた。かいつまん
で言えば「ベイエリアでオフィスとホテルに商業施設とアミューズメント施設
がコンプレックスした複合商業空間を作りたい」と言った内容だった。
もちろん、10人10色。色や素材や形(デザイン/意匠)は様々だろうが・・・
そんな中、たった一人まるで違う怪答を吐く建築家がいた。その名は高松伸。
記憶の限りその台詞を記せばこうだ。『あながち冗談ではないぜと、怖い前
置きをして、あえて言わせてもらえば、僕は次の次の「東京都庁舎」と次の
「国会議事堂」の設計をしたい』と・・・
当時、東京都庁舎は故丹下健三が設計中でアジア一の規模を誇る、もちろ
ん日本一のオフィスビルだ。もっと言えば「都庁」と「国会議事堂」は共に国
家の建築物なのだ。この「東京」「日本」を象徴する両建築物の設計をしたい。
歴史に残る建築を国家を象徴する建築を俺にやらせろ。それは俺にしか出
来ないと言わんばかりに、ゆるぎない自信に裏打ちされた確信犯の明快な
快答。見事だ。建築家になりたいと思った限り、文字通りこの上ない回答。
当時30そこそこの僕はこの建築家の自信に満ちた高い志に身震いした。
もう追いつかない敵わないと脱帽した。
巷間、違法行為を平然とおこなってきた建築士と日本の建築業界そのもの
の構造、意識、が取りざたされている。
写真家・音楽家・芸術家・評論家・建築家・画家・漫画家・小説家・政治家・・・
事は一業界の意識、構造のお粗末さではない。
その道を目指した時点での「知の深さと志の高さ」なのだ。
そろそろ残り時間が少なくなってきた。
今さら後戻りなどはできない。
僕はあらためて「孤高の計画家」を貫く覚悟を確認しよう。
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