愛知県丹羽郡大口町、堀尾公園内
再現された姥堂と裁断橋(姥堂奥)
再現された姥堂と裁断橋(姥堂奥)
『尾張名所図会』(江戸天保年間に製作)
「姥堂 裁断橋」現名古屋市熱田区伝馬町二丁目
「姥堂 裁断橋」現名古屋市熱田区伝馬町二丁目
歴史的な場所に住んでいても、興味がないとそこは平凡な生活空間の一部でしかありません。歴史的な街道(江戸時代以前も含めて)は舗装されて外観を変えながらも、今も生活道路として使われていますが、観光地化されていない地区では特に誰も注意を引かれることはないと思います。
しかし一度それに気付いた人は、歴史と自分との係わりに興味を持ち、建物や公園などに埋もれてしまった歴史の面影を求めるようになるようです。私もそんな一人です。
幼い頃は歴史的に重要なお城へ遠足などに行っていたにも拘らず、子供にとっては単なる「城」で遊び場でしかありませんでした。授業で習う「歴史的名所旧跡」というのは、自分とは時空的に遠く離れた「どこか」で、観光で行く奈良の大仏とか京都の二条城みたいな荘厳で格式高い場所だと思っていました。自分の身近にある所が、教科書に出てくるような場所だとは思いもしませんでした。つまり自分が生きている時代と授業で習うような歴史に繋がりを意識することはなかったのです。
それが、ある時旧東海道の近くに住んだことで私は不可思議な世界へ誘われてしまいました。通勤で毎日歩くその道路には、「旧東海道」と看板がでていましたし、旧跡もあったのでさすがにそこが旧東海道だということは知っていましたが、歴史散策の集団がボランティアガイドさんの話を聞いているのを横目に、通り過ぎるだけでした。
ある日、買い物に出て旧東海道(普通の狭い生活道路)を歩いている時、陽気がよかったのか気分が良かったのか、「そういやここは東海道五十三次の東海道だけど、なんも残ってないなぁ」と周囲の家並みを見渡しました。一見ごたごた立ち並んだ昭和の匂いのするような古い家も注意深く見れば、軒下に連子格子が残る木造家屋だったりして、視線を道路に戻すと着物の裾を端折った旅人や着物姿の女の人がこっちへ歩きあっちへ行きしているのが、白く半透明の姿で私の目に映ったのです。
それは私のステレオタイプな想像でしたが、それ以来、私は旧東海道に関心を持ちはじめ、仕事で何度か歩いた場所が鳴海宿だったことを後で知ったりと新鮮な感動を覚えました。
住んでいた場所は宿場ではなかったですが、宮の渡しの近くでもあったので、今いろいろ本を読んだ後では、多分あの辺りも小さな店屋なんかもあって賑わっていたんじゃないかと想像できます。
近くにあった旧跡は、裁断橋・姥堂跡です。年配の方はご存知のようですが、豊臣秀吉の小田原攻めに出征した堀尾金助(当時18歳)が戦死し、嘆き悲しんだ母親が息子と別れた精進川に架かる橋を改修して擬宝珠に息子を悼む碑文を刻んだ、という悲話が伝えられています。『尾張名所図会』には右に姥堂、左に木造の裁断橋が見えます。その向うに浮島があり、背景には呼続(よびつぎ)の浜の松林があります。金助の母の死後も橋の修復は献金で行なわれていました。江戸時代には、ちょっとした名所になっていたみたいです。東海道中膝栗毛の中でも弥次さん喜多さんは手水場を作る献金をしています。
明治44年、兵器製造所建設のための敷地造成に伴って精進川が埋め立てられ、隣りに新堀川が作られました。現在、姥堂はほぼ同じ場所にコンクリート製で復元され、裁断橋も一部分石で再現されています。昔の桁石も保存されてるそうです。ついでに「都々逸発祥の地」の碑も建っています。→現代の裁断橋・姥堂
川も橋もなくなりましたが、同じような位置にできた新堀川に架かる橋が当時の光景を偲ばせます。私が居た時は、図会の左にある鳥居はなかったですが、橋を曲がってすぐの新堀川の堤防に小さなお茶屋さん(焙煎からやっている)がありました。ひょっとしたら、姥堂で足を止める旅人たちにお茶を振る舞っていた茶屋が、この辺りにはいくつかあったのではないかな、と妄想は膨らみます。
堀尾金助が生まれ育った地は、清洲城の脇を流れる五条川を北上したずっと北に位置する江南市の近くで、10年以上前の地図には「堀尾跡」となっていて、堀尾公園として整備されています。そこには、裁断橋が五条川に架けられ、位置関係が違いますが姥堂が再現されています。隣りの八剣神社の敷地に金助親子の像と、母が綴った文を刻んだ碑もあります。田んぼと工場地に囲まれているので、昔は見渡す限り田園地帯だったことでしょう。戦争なんてなければ、金助親子も田んぼの実りを願いながら、長閑に過ごせたかもしれません。堀尾公園
精進川の裁断橋跡地は熱田区ですが、この辺りは区境で、浮島は瑞穂区、呼続は南区で、図会の距離間はいい加減です。私が居た場所は埋立地で江戸時代は海だと思っていましたが、図会を見て島があったと知りました。現在の地名も浮島町。