伊太祁曽から電車に揺られて約10分。
電車は目的地に到着した。
駅名標は南海時代と変わっていない。
それどころか、約二年前に来た時とその佇まいは変わっていない。
古い小さな、「駅舎」と呼ぶのも憚られる構造物。
強いて言えば待合所みたいなものか・・・と思ったら待合所は別の場所にあった。
草むらの中に建つ「乗客待合室」。
もう木や草の中に埋もれようとしているのでは、という錯覚すら抱かせる。
手前が自転車置き場となっている今、この「待合室」で電車を待つ人はどれだけいるのだろうか。
ホームを見る。
かつては一面二線、上下列車の交換が可能な構造となっていたことが窺える。
今は一面一線。
前に訪れた時は「乗って残そう貴志川線」の幟が多く見られたが、存続している今はスッキリとしている。
その代わり、ホームへの通路を上りきった所にはこんな幟が。
「もっと!ずっと!貴志川線」。
これが新たな利用促進スローガンということだろう。
「もっと」利用され「ずっと」存続できれば、次に待つはLRT化。
もしそこまでたどり着くことができれば、この静かな駅も変わることだろう。
・・・とそんなことを思いつつその幟を見る。
そして、良い撮影場所はないかと歩き出した。
電車は目的地に到着した。
駅名標は南海時代と変わっていない。
それどころか、約二年前に来た時とその佇まいは変わっていない。
古い小さな、「駅舎」と呼ぶのも憚られる構造物。
強いて言えば待合所みたいなものか・・・と思ったら待合所は別の場所にあった。
草むらの中に建つ「乗客待合室」。
もう木や草の中に埋もれようとしているのでは、という錯覚すら抱かせる。
手前が自転車置き場となっている今、この「待合室」で電車を待つ人はどれだけいるのだろうか。
ホームを見る。
かつては一面二線、上下列車の交換が可能な構造となっていたことが窺える。
今は一面一線。
前に訪れた時は「乗って残そう貴志川線」の幟が多く見られたが、存続している今はスッキリとしている。
その代わり、ホームへの通路を上りきった所にはこんな幟が。
「もっと!ずっと!貴志川線」。
これが新たな利用促進スローガンということだろう。
「もっと」利用され「ずっと」存続できれば、次に待つはLRT化。
もしそこまでたどり着くことができれば、この静かな駅も変わることだろう。
・・・とそんなことを思いつつその幟を見る。
そして、良い撮影場所はないかと歩き出した。