猫と花のおじさん

猫五匹と暮らす日々の繰り言

育成型経営と収奪型経営

2018-02-26 09:45:59 | 日記
 今朝の日経新聞に研究開発費がどの程度利益に貢献しているかという記事がありました。研究開発費の効率が悪いので、研究開発費の投資効率向上には、他社技術の購入、買収による方法を考えるべきであるとの論でと読み取りました。読み間違っていたらすみません。とりあえず買ってきて利益を生もう。とのムーブメントの一環かと思います。1月には技術者の暴走が企業を滅ぼした。とのコラムがあり、最近は博士を採用したが利益が上がらない、したがって博士の採用を考えるべきである。とのコラムもありました。いずれの記事も技術あるいは事業は買ってくればよい、自社開発は非効率との立場であるが基本の論調です。また、その成功例としてソニーが最近利益を上げている背景には、ハードウエア技術の発達によりハードウエアに特徴を出すことが難しくなったので、ハードウエアは購入してソフトウエアで勝負する戦略が効果を上げたとあります。10年以上前からソニーはものつくりで勝負しない会社になっています。インテルは生産を外注化し、研究開発に特化して利益を上げているとして、ものつくりは外注に任せていると主張しています。
 これを私は収奪型経営の進めと思います。

 この議論は次の点でおかしいと思います。インテルは技術開発を外注しているのではなく技術は自社で保持しています。ソニーがインテルよりも先行していた半導体メーカの一つであったことの反省はどこにあるでしょうか、そして、過去の日本のブランドメーカーは外注で生産をしていたと思います。船井電機などはブランドメーカーの下請けをしていたと思います。

 こういった技術あるいは市場収奪型経営には大きな危険が伴うことを、日本郵政、東芝、オリンパスなど名だたる企業が示してきたことも確かです。本業が大きく転換するとき、例えば、自動車産業の現状、EV化に勝ち残る必要がありそうな時に、自社にない技術を提携あるいは買収により手に入れることも辞さない必要がありますが、規模の拡大だけを追う企業の買収、技術の導入には意味がないように考えます。 逆に、アイリス大山、船井電機など過去にはブランドメーカーではなかった企業がブランドメーカーになっています。これらの企業は大手電機メーカーが家電製品から撤退する中で、大手企業に居場所のなくなった技術系社員を採用して利益を生むビジネスとしていると聞いています。海外に目を転じると、確かにメドトロニック、バクスターなどの例を見ると、企業買収により企業買収によりその規模を拡大するのに成功しています。その成功の要因は想像の域を出ませんが、メドトロニックの場合は創業者の医療機器に対する思いの強さが、バクスターの場合は徹底的な利益戦略、事業を買って見通しが経たなければその事業に関連する従業員の解雇をも辞さない厳しさにあると思います。これは日本の労働慣行では実現できません。日本の場合は希望退職の形をとるので、有能な人はやめてしまい、無能な人が残る。というより、勝負できる人が辞めて、勝負できない人が残るというのが正しいと思います。その結果、勝負できる人で有能な人が力を発揮する場を得ると、事業の規模はともかく利益を上げる集団になるように思います。
 これが私が収奪型経営を勧めない理由です。

 利益を生み出す研究開発投資を行うにはどのようにすべきか、これが日本の企業に課せられた課題のように思います。それは使命感を持って研究開発を進める人を選ぶ技術だと思います。私も小さな企業で研究開発を担当し、医用計測機の計測能力の向上を図りました(足の長い時間のかかる仕事です。)必要なことは実行し、ある程度成功をおさめ市場でも評価されているように思います。(正直に言えば、現時点では世界一の技術と思っています。)しかしこれには40年の歳月を要しました。とりあえずの対策(実際に他社の特許を買い商品にしました。)、当面の対策(買った特許の範囲内で性能向上を図りました。また並行して評価に必要なデータベースを作りました。)恒久的な対策(信号処理技術の開発とデータベースを用いた評価)これは計測しにくい患者に使ってみたものにしかわからない技術でもあります。普通の患者、健康人であればそんな技術はなくても測定できます。従って商品に採用されてからじわじわと評価が高くなって来ました。私にその技術を教えてほしいとの依頼もありますが、お断りしています。当然のことです、40年も会社は私に投資したからです。私を採用し、投資した結果が成功だったと思うからです。
 自分の会社で見ても、大学の研究室で見ても、使命感を(利益を生む商品を作ることであっても、「必要とされた技術を開発する。」ことであってもです。間違えてはならないのは「必要と思いこんだ。」ではないことが重要ですが。)、これを達成していくことに生きがいを感じる人物を技術の中心に据えて、社業を進めるのがもっともよいことと思います。
 往々にして文系の人物は、人当たりが良く、スマートに物事を進める、成績優秀者をお好みになりますが、残念ながら、偏屈、頑固、不服従な人、あるいは社会的に被差別のカテゴリーに属す人、一流大学を出ても、一流な暮らしをしようとしないような人の中にしか、技術を推し進められる素材となる人物がいないように思います。外見にとらわれすその人の本質を見抜く力が必要だと思います。 

 育成型経営は経営者の身の丈に合わせた成長を進めるという信念が貫かれて初めて成立します。収奪型経営は、事業がうまくいかなければ、従業員の指名解雇をも辞さない覚悟が必要です。日本の労働慣行化ではできないとおもいます。
 これが育成型経営を成功させる方法のように思います。



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