東西圧縮回流記

仙台青春風の旅 ブーメランのように 

吉田松陰の叫び 津軽半島龍飛崎にて

2016-11-17 | 旅・趣味・自転車ほか
1852年に吉田松陰(1830年生)と宮部鼎蔵が龍飛崎のすぐ近くの算用師峠まで来ている。北方の護りの状況を確かめるためだ。津軽海峡を通行する外国船を見学しようとした。松陰22歳のとき脱藩してまで来ている。やはり志は高かったのだろう。明治元年1868年の16年前のことだ。松陰は翌年の1853年にペリーが浦賀に来航したとき佐久間象山と黒船を見に行った。松陰が龍飛崎にきたのはペリー来航の前年になる。

北海道の山波が望めるこの地、龍飛崎には吉田松陰先生詩碑なる顕彰碑があり詩句は次の如く

去年の今日巴域を発す
楊柳風暖かに馬蹄軽し
今年北地更に雪を踏む
寒沢三十里路行き難し
行き盡す山河万の夷険
滄溟に臨んで長鯨を叱せんと欲す
時平かにして男子空しく慷慨す
誰か追ふ飛将青史の名

と刻まれている。
青年なら志を持って生きて頂きたい。
我々は使命感持った次世代の若者に期待しています。

http://meiji-ishin.com/shoinshihi.html



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ジャニスジョップリンとキャロルキングのつづれ織り

2016-11-05 | Weblog
ジャニスジョップリンのボーカルを若いころに聞いたことがあり何とも味があってハードなボーカルなのだろう、凄いと魂を動かされたことがあった。
先月、作業をしながらテレビを流していると、聞き覚えのある歌声が流れてきた。久しぶりにジャニスジョップリンかなと思った。ジャニスは凄いというのは修士2年のとき1年間住んだ原研(日本原子力研究所)独身寮の真砂寮で暇に任せて知人の部屋でレコードを聴いたりクダを巻いていたころに知ったことだ。

テレビが進むにつれて思い出話や離婚歴、最後はオバマ大統領が年配の婦人を表彰しているシーンまで出てきた。ジャニスジョップリンは若くして亡くなっているはずなのに、おかしいなと思っていたが、途中でキャロルキングのストーリーであることがわかった。ジャニスの写真は見覚えがあるが、キャロルの歌声は知っているが顔はよく覚えておらず思い浮かばなかった。ファンの方からは軽蔑されそうなほどのいい加減さだ。年譜を調べると1942年と1943年の生まれで一歳の違いでほとんど同じだ。彼女たちは私より何年か年上で、ジャニスは27歳で亡くなり、キャロルは74歳で健在だ。

1942年 キャロルキング(CKと略す)ニューヨークで誕生
1943 ジャニスジョップリン(JJと略す)テキサスで誕生
1960 JJ 17歳テキサス大学オースティン校入学
1962 CK 20歳「ロコモーション」作曲(歌リトルエヴァ)  
1967 JJ 24歳モントレーポップフェスティバル出演
1968 JJ 25歳アルバム「チープスリル」
1969 JJ 26歳ウッドストックフェスティバル出演
1970 JJ 27歳死亡 CK 28歳
1971 JJ アルバム「パール」
1972 CK 30歳「つづれ織りTapestry」大ヒット
2016 現在CK 74歳

運のいいことにジャニスジョップリンの伝記映画「ジャニス リトルガールブルー」が上映中だったのを見つけたのですぐに映画館へ行き拝見した。彼女の生前の活動と酒と麻薬の壮絶な人生だったことを知った。さっそくジャニスのアルバム「チープスリル」「パール」などを購入し、現在はキャロルキングの「つづれ織り」も手に入れ聞き比べている。確かに声質は似ているところがある。ジャニスはハードでキャロルはポップスだ。

ハードな生き方で短命だったジャニスジョップリンに献杯を!





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