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郷土の古城と史跡めぐり

 瀬戸市の古城とその近くにある史跡を訪ねるツアーです。どなたでも参加できます。初参加の方 歓迎です。

萱津合戦 ②

2009-01-11 11:00:29 | 信長の古戦場を行く

(松葉城は箱根社の辺りにあった)

<松葉城>(まつばじょう)
①所在地 大治町西条字城前田 
②城主  安井氏(織田伊賀守)
③大治役場前の南西辺り

『略 史』
 大治町史では、現在の「西条」のバス停の東北に城址があったとしている。県道68号が124号に分かれる分岐点辺りを指す。
 松葉城は天文の初め頃までは土地の豪族安井氏が居城し、その後へ織田伊賀守が入ったということになるが、遺構はない。
 天文21年(1552)に清州城にいた信友の家臣・坂井大膳・川尻秀隆らに攻められ、伊賀守は深田城の織田右衛門尉とともに監禁されている。しかしまもなく萱津戦に勝利した 信長が救出、落城した松葉城は、このとき廃城になったようだ。 城址に箱根社があったというが、いま箱根社は「松葉」集落の北に移っている。
一説には、城は西条字北屋敷、圓長寺の北にあったともいうが、同寺の住職は否定しておられた。
 深田・松葉の2城に居た清洲方の兵は上萱津の戦場で、清洲方の敗色が濃くなったとき、城を出て味方の助勢に駆け付けているが、信長方の軍に敗れ、降参して両城を明け渡し、清洲へ戻ってしまったと「信長記」はいう。

  その後信友(彦五郎)は「安食の戦」(名古屋市北区)にも敗れ、信長の暗殺を企てるが失敗。その計画を洩らしたとして、主の斯波義統を殺したため、子の義銀が逃げて信長に庇護を求めたことにより、「主殺しをした織田信友を討つ」という大義名分を信長に与えてしまい、信長は叔父・信光とともに清洲城を攻め、遂に信友を滅ぼしてしまう。
 かくて信長は、弘治元年(1555)那古野城を出て清洲城に移り、尾張下4郡を支配することになる。               
 (萱津合戦の項終わり)


(尾張下4郡を制した信長は清洲城に入った)復元天守

 参考図書『尾張の古城』 08年刊 B5版360ページ
 
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  ss-green@vesta.ocn.ne.jp


萱津合戦 ①

2009-01-10 14:48:18 | 信長の古戦場を行く

(大治・深田城のあった辺り)

 中世末の頃、清須(清洲)は尾張国の首府でした。守護大名・斯波氏の居城であり、守護代・織田大和守もここに住んでいました。
 戦国の世になって、守護・斯波氏より守護代・織田氏の力のほうが強くなり、主の斯波氏は傀儡化してしまいます。織田大和守が彦五郎「信友」の時代、那古野に居た信長の父「信秀」の台頭を嫌った清洲の信友と信秀の仲がしっくりしなくなりました。
 萱津合戦は その「信友」と、信秀死去の後、跡を継いだ「信長」との戦いという いわば織田家中の身内同志の争いですが、叔父信光の支援を受けた信長が最終的には勝ちを収め 清須城に入るための戦いになりました。
 天文21年(1552)夏、まず清洲・信友方が海東郡にあった信長方の深田城・松葉城を攻めて、城主の織田伊賀守・同右衛門尉を人質にして両城を占拠したことで戦が始まります。
 この合戦の行われた地域は、現在の海部郡甚目寺町で、信長は当時守山城に居た叔父・信光の軍と稲葉地で合流、庄内川を越えて清洲、大治・松葉方面に押し出し、清須城をでた信友軍といまの上萱津(甚目寺町)辺で激突、4時間に及ぶ激戦の末、信長軍が勝利します。信長軍は その後一気に深田・松葉の両城も奪回して、人質を救出します。(「萱津合戦」の地には、いまは合戦場址の石碑だけが残っています。)
<深田城>
 さてこの戦で登場した「深田城」について触れておきます。
 ①所在地 大治町西条または堀之内
 ②城主織田右衛門尉
 ③大治町役場の付近
『略 史』
 「尾張志」によると、大治・深田城は西条村にあったといい、「織田軍記」に織田右衛門尉が居城したとある。当時の織田氏に右衛門尉を名乗ったのは信長の叔父の信次か、達順しかいない。
 信次は織田信秀の弟で孫十郎信次。後年兄・信光の後を受けて守山城主になるが、故あって出奔、後に再度同城主になるが、伊勢長島攻めで討死する。
隣接する七宝町役場の南東にも「深田」の地名があり、七宝町にも「深田城」があったとされるから、「信長公記」に出てくる深田城はこのどちらを指しているのか、この城の城主がもう1人の右衛門尉・達順であったかどうかも分からない。或いは同じ城が、名のみ2城として残ってしまったのではないかとも思う。
 しかし、多くの史料で深田城は、松葉城とともに、天文21年(1552)に清州城の坂井大膳・川尻秀隆らに攻められ占拠されたとあり、萱津合戦に関与したのは、合戦場からの位置的に見ても、この城とみてよいと思う。いずれにせよ遺構はない。
                              (以下次号)

・参考図書 『尾張の古城』(平成20年刊) 笹山 忠 著
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