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弥三郎殿御返事

2017年06月07日 | 歴史

〈教学〉 6月度座談会拝読御書 弥三郎殿御返事 2017年6月6日

御書全集 1451ページ10行目~12行目
編年体御書1022ページ5行目~7行目
後世にまで残る偉大な歴史を
「勝つ」と決めて全力を尽くす
 
本抄について

 本抄は、建治3年(1277年)8月4日、日蓮大聖人が56歳の時に身延においてしたためられ、弥三郎という門下に宛てられたお手紙です。
 弥三郎については御書の内容から武士ではないかと思われますが、住んでいた場所など詳しいことは不明です。伊豆の門下・船守弥三郎とは別人とされています。
 本抄は、弥三郎が出家の念仏者と法論を行うに際し、主張すべき内容や心構えについて大聖人に御指南を仰いだことに対して答えられたものと考えられています。
 初めに、日本国の人々が、主師親の三徳を具える釈迦仏を差し置いて阿弥陀仏を崇めているのは大謗法であり、それゆえに飢饉や疫病が起こり、他国から攻められるのであると言われています。
 次に、そのことを指摘する大聖人に対して、2度の流罪など、さまざまな迫害が加えられたことを述べられ、心ある人ならば自分たちのために大聖人が難に遭ってくれたのだと考え、
 その迫害の一部でも引き受けるべきであると仰せです。
 最後に法論に当たって述べるべき内容と心構えを示されています。すなわち、所領を惜しんだり、妻子を顧みたりするのではなく、ひとえに思い切るべきであると言われています。
 そして、今まで生きてきたのは、今回の法論に遭うためであると思い定めて戦い抜くよう励まされています。

拝読御文

 但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり

諸仏の“入其身”

 日蓮大聖人は今回、拝読する御文のすぐ後で、「釈迦・多宝・十方の仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(御書1451ページ)と仰せです。
「釈迦仏・多宝仏・十方の仏たちよ! 集い来って、わが身に入りかわり、私を助け給え」と心に念じなさい、との意味です。
 ここに説かれているのは、「善」の「入其身」ですが、法華経勧持品第13には「悪」の「入其身」である「悪鬼入其身」が説かれています。
「悪鬼は其の身に入って」と読みますが、これは「悪鬼」が、さまざまな衆生の身に入り、正法を護持する者をそしり、辱め、仏道の実践を妨害することをいいます。
 「悪鬼」とは、誤った宗教・思想、また人の苦悩の因となって、精神を乱す源をいいます。
 日蓮大聖人は例えば、第六天の魔王が法華経の行者を迫害するために、智者や権力者の身に入ると述べられています。
 これに対して、「釈迦・多宝・十方の仏」、すなわち諸仏が「入其身」すれば、仏の所従(=家来)である諸菩薩・諸天等が従い、法華経の行者を守護することは間違いありません。
 池田先生は述べています。「広布の誓願を貫く生命にはありとあらゆる仏が入其身する。それほど、尊貴な我らである。ゆえに、諸天善神が守りに護らないわけがない。
 大宇宙の善の働きを、全て味方にしながら、満々たる仏の力で堂々と進みゆくのだ
 “ここぞ”という勝負所では、わが身に、諸仏を「入其身」させる強盛な一念で祈り、行動していくことが大切になるのです。

瀬田川・宇治川

 今回の御文で言われる「勢多」とは瀬田川のことです。琵琶湖から流出して大阪湾に注ぐ淀川は、最も上流の部分を瀬田川といい、途中から宇治川と呼ばれます。
 瀬田川・宇治川は、古来、京都の南東の防衛線とされ、東国の軍勢にとって瀬田川・宇治川を渡れるかどうかが、京都を攻略する際のポイントになっていました。
 例えば、寿永3年(1184年)、源範頼と源義経の軍勢が、京都に入っていた木曽義仲の軍勢と戦った「宇治川の合戦」でも、ここが勝敗の分かれ目になりました。
 この時、義経軍に属する佐々木高綱と梶原景季の二人が先陣争いを演じたことは『平家物語』などに記されています。
 先に川を渡って先陣争いに勝った佐々木高綱は、優れた武士として、後の世まで名を残しました。
 この時、宇治川を渡りきった義経の軍勢が義仲軍を破り、勝利を収めました。
 また、鎌倉幕府と朝廷が戦った承久3年(1221年)の「承久の乱」の際も、北条泰時が率いる幕府の軍勢が、朝廷方の防戦をしのいで宇治川の渡河に成功し、
 勝利しました。幕府は、この乱に勝ったことで、全国各地に勢力を広げました。
 このように瀬田川・宇治川は戦いの勝負を決する場所とされてきたのです。
 ◇ 
 日蓮大聖人は弥三郎に対して、今回の法論こそが勝負を決する瀬田川・宇治川に当たり、名を上げるか下すかの分かれ目であると言われています。
 全力を尽くして戦い、断じて勝利していくよう、弥三郎を激励されているのです。

「今年の世間」

 拝読御文では「今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに」(御書1451ページ)として、本抄が書かれた建治3年(1277年)に多くの人命が失われたことを述べられています。
 すなわち本抄に「諸人現身に大飢渇・大疫病・先代になき大苦を受くる」(同1450ページ)とあるように、この年は深刻な飢饉があり、また疫病の大流行が見られました。
 疫病は建治3年の春から翌・建治4年の2月中旬まで、社会の各層に広がりました。この疫病について建治4年2月に書かれた「松野殿御返事」には次のように述べられています。
 “去年の春から今年の2月の中旬まで、伝染病が国中に充満した。10軒に5軒、また100軒に50軒まで、家族が皆、伝染病で死んでしまったり、また、病にはかからなかった者も、
 心は大苦悩にあっているので、病に侵された人々以上に苦しんでいる”(同1389ページ、趣旨)。疫病が猛威を振るい、多くの人が亡くなったことが分かります。
 また飢饉についても、同抄には次のように記されています。“日本国は、ここ数年の間、うち続いて飢饉が進み、衣食は全くなくなり、
 畜類を食べ尽くした”(同ページ、趣旨)と。当時の飢饉は、これほど深刻なものでした。
 日蓮大聖人は、このように多くの人が亡くなっていった中で、生き永らえることのできた自らの使命を深く自覚すべきであると教えられているのです。

池田先生の指針から 大変な戦いこそ宿命転換の好機

 重大なる法戦――広宣流布の言論戦に立ち会い、わが身、わが声、わが行動をもって仏法を宣揚し、師匠の正義を叫ぶことができる。これ以上の誉れはありません。
 「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」――
 思えば、末法今時において、妙法に巡りあい、創価学会員として、創価の師弟として、世界広宣流布の道を共に歩めること自体が、最高の栄誉です。黄金に輝く人生です。
 戸田先生は言われました。
 「乱れた世の中で生活が苦しいとき、何故私たちは生まれてきたかを考えなければならない。
 みな大聖人様の命を受けて広宣流布する役目を持って生まれて来たということが宿習なのである。それが解るか解らないかが問題なのだ」
 長い人生の中にあって、「ここが勝負所である」「今が重大な勝負時である」という戦いに直面した場合も、この御文に通ずる体験でありましょう。
 私も、わが師と共に、わが同志と共に、幾度となく「此の事にあはん為なりけり」と命に刻んだ激闘が、数多くあります。同志の皆様もそうでしょう。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第13巻)
 ◇ ◆ ◇ 
 大聖人は、これから弥三郎が臨まんとする法論こそ、武士が名を挙げるチャンスである合戦と同じく、広宣流布の法戦において永遠に名を残す好機だと教えられています。
 そこで譬えに挙げられているのが、宇治・勢多の戦いです。
 そこは古来、京都に攻め入る際の要衝です。そこを余人に先駆けて突破して名を挙げることに、多くの名将たちも命を懸けたのです。
 私にとって、この一節は「“まさか”が実現」と、世間をあっと驚かせた「大阪の戦い」(1956年)の渦中、わが関西の同志と深く拝した御文でもあります。
 「今ここ」が、広布の突破口を開く決戦場であり、自身の宿命転換の正念場である――こう自ら決めて祈り、行動する時、必ず勝利の道は開かれます。
 大変な戦いの時こそ大転換のチャンスだと覚悟し、喜んで挑んでいくのが本当の勇者であり、賢者の生き方です。(同)

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改革を担う!都議選予定候補の訴え

2017年06月03日 | 政治

改革を担う!都議選予定候補の訴え

公明新聞:2017年6月2日(金)付

まつば多美子 現
杉並区 定数6
都政改革の先頭に立つ

初当選以来、「チルドレンファースト」を掲げて、未来を担う子どもたちが希望を持てる社会をめざし、私立高校授業料の実質無償化などを実現しました。

杉並区内の豪雨災害現場での救援活動が原点になり、善福寺川調節池の整備や女性視点の防災ブック作成といった防災事業も前に進めてきました。

東京都政が転換期を迎えている中、議員自らが襟を正して改革を進めなければいけません。都議会公明党の都政改革推進プロジェクトチーム座長として、議員報酬20%削減など「身を切る改革」関連条例の制定をリードすることができました。

都民に信頼される東京をつくるためにも、毅然とした姿勢を貫き、都政改革の先頭に立ってまいります。

 

たちばな正剛 現
板橋区 定数5
笑顔輝く安心の東京に!

都議会公明党の政務調査会長として、都民の皆さまの声を原動力に東京改革を推し進めてまいりました。医療の分野では、脳卒中治療などに医療機関が連携して対応する地域医療連携パスを推進。患者支援の充実へ、都立病院などで医療相談員を増員しました。

多くの要望をいただいた都営地下鉄三田線の混雑緩和を議会で訴え続けた結果、現行の車両数を増強する8両編成化がついに決定。また、街の防災力を強化するため、環状8号線などの主要道路や区市町村道で電線類の地中化を進めています。

妊娠期から切れ目なく支援を行う「東京版ネウボラ」の推進やサービス付き高齢者向け住宅の整備など、少子高齢社会への課題にも全力で挑みます。

 

公明新聞:2017年6月2日(金)付

小林けんじ 現
練馬区 定数6
未来に責任。安全・安心の東京へ。

2期8年間、「一人の声」を大切に4000件以上の区民相談に対応し、重ねた議会質問は100回に及びます。

私が取り組み、実施された「聴覚障がい者への介助通訳者派遣制度」を高校の授業で活用した方から、「充実した学校生活を送れました」とのお言葉をいただいたことは大きな喜びです。

また、転落事故を防止したいと、区内に八つある地下鉄駅の全てで、ホームドアの設置を推進しました。

都有地を活用し、区内保育所定員枠を4年で3705人分拡充。今年度さらに1006人分増やします。都内最多となる区内の特別養護老人ホームは、27から29に増設されます。

「安全・安心の東京」へ、全力で働いてまいります。

 

コラム「北斗七星」

公明新聞:2017年6月2日(金)付

ドイツ・デュッセルドルフで開かれている世界卓球選手権個人戦。世界から注目される若手日本選手の一人が平野美宇さん。アジア選手権でリオ五輪金の中国選手らを倒し初優勝した女子高生だ◆リオ五輪で代表漏れした悔しさをバネに、それまでの「守る卓球」から「攻める卓球」にスタイルを変えた。「全部勝つためにどうしたらいいのかを考える」。そう言い切る◆同じ年頃でデビューした女優の苦労話を『わたしの失敗Ⅱ』(産経新聞文化部編、文春文庫)で読んだことがある。岸本加世子さんの話だ。新人時代、連続ドラマの主演女優から徹底的にいじめられた◆リハーサル段階ではあったせりふが、主演女優の「いらないんじゃないの」の一言でカメラリハーサルのときには何カ所も削られる。出番がどんどん減り、「半年間は胃に穴が開きそうなくらいつらかった」と振り返る◆しかし彼女はひるまなかった。「わたしはきっと女優として芽があるんだ」と前向きに開き直る。そして演技派の大女優へと着実に歩み始め、やがて日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞するまでに◆二人とも、攻めの姿勢に転じることで困難を打ち破った。「攻撃は最大の防御」と。東京都議選の投票日まで1カ月。攻めに徹し、公明23氏の全員当選を勝ち取っていきたい。(六)

 

 

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都政の未来に責任担う

2017年06月03日 | 政治

都政の未来に責任担う

公明新聞:2017年6月2日(金)付

藤井一都議への絶大な支援を訴える山口代表=1日 東京・大田区藤井一都議(左)への絶大な支援を訴える山口代表=1日 東京・大田区

公明は結束力で勝負
山口代表、斉藤氏が力説 藤井(大田区)、高倉(中野区)都議も決意
都議選、1カ月後に投票

公明党の山口那津男代表は1日夜、東京都大田区で行われた藤井一都議(都議選予定候補=同区)の時局講演会に出席し、「都政の未来を見据えた時、実績と経験があり、結束力と責任感があるのは公明党であり、藤井都議だ」として、1カ月後に迫った都議選に向け絶大な支援を訴えた。

山口代表は、5月31日に中国の外交を統括する楊潔篪国務委員と会談し、日中関係の深化へ協力していくことで一致したと報告。「海外の要人も、日本の連立政権に公明党が必要だと認識している」と強調した。

東京都政に関して山口代表は、共産党が39年ぶりに都の予算に賛成したことで、私立高校授業料の実質無償化をはじめ、全ての政策を自らの実績だと宣伝していることに言及。一方で、都の予算には共産党が不要だと主張している米軍横田基地の民間利用なども含まれていることから、「信念が貫かれていないデタラメな政党に負けるわけにはいかない」と力説した。

公明党の特色であるネットワークの力については、大田区の長年の課題であった京浜急行の高架化が完了したことを挙げ、「東京都、大田区、国土交通省の連携がなければ実現できなかった。その要が藤井都議だ。何としても勝たせてほしい」と訴えた。

藤井都議は、6期24年間で多くの声を都政に届け、数々の実績を残してきたことを紹介。「都議会公明党の初議席は大田区蒲田からだ。厳しい戦いだが、伝統の議席を断じて守り抜く」と決意を述べた。

高倉良生都議の勝利を訴える斉藤幹事長代行=同 中野区一方、斉藤鉄夫幹事長代行は同日夜、中野区で行われた時局講演会に高倉良生都議(都議選予定候補=同区)と共に出席し、都議選勝利へ絶大な支援を訴えた。

斉藤氏は児童手当や妊婦健診の公費助成など都議会公明党の実績が国と地方のネットワークの力により、全国に波及したことを紹介。「都議会公明党には全国の“先駆け”となる生活を守る政策を実現する役割がある。その中心を担うのが高倉都議だ」と訴えた。

また都議会公明党が実現をリードした議員報酬削減などについて、共産党が自らの成果として宣伝していることを批判。「こうしたいい加減な党に公明党が絶対に負けるわけにはいかない」と力説した。

高倉都議は、防災公園の整備など3期12年間の実績を強調し「都政の改革のため、死に物狂いで戦い抜き、何としても逆転勝利する」と決意を語った。

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