時折彼が意を決したような、それはそれは凛々しい眼差しで
「俺がその内金持ちになったら絶対に豊胸手術を受けさせてやるから安心しろ…!」
と言って突然私の肩に力強く手を置いてくる。
そりゃかつて冗談で「次の誕生日には生理食塩水を○cc頂戴」なんて言ったことも確かにあるが、先程の言葉はもはや「実は己が為」以外の何でもないことはこちとら百も承知なのである。
後になって沸々と込み上げるのは果たして、怒りか。やるせなさか。
まあ良い。
新年度から依頼されたラジオの仕事が滅法楽しい。
わずか数分間ではあるが、週に一度、ああでもないこうでもないと、だらだら御喋りさせて頂いている。
別段変わったことを話そう、という気はなく、私の目線で感じたままに話をすることを心掛けている。
先日スタジオで話したその直後、突如電話が鳴った。
私の話を偶然車で聞いていたという高校時代の友人からであった。
友人は一言目に、お前は相も変わらず変だと言った。
その瞬間、私は何故か心底安心したような、あたかも肩に背負っていた婆ァを三人程降ろしたような晴れ晴れとした心持ちになった。
「そうか、やはり自分は変であったのだ。阿呆なのだ。」と。
まあ大抵の女子は自分は変だ、と可愛いらしく強調したがるものだし、どこからどこまでが普通かなどと聞かれてもすぐには答えられぬ。
だが自分の場合、歳を重ね様々な人と出会い触れ合い、奇妙珍妙な経験を味わう内に、いつの間にか一般的な事象に対し「もっと調和しよう」「もっと寄り添おう」という気持ちが強まり、知らず知らず「普通に。出来る限り普通に振舞おう。」としてきたように思う。
それは周りを傷つけないためであったのかも知れないし、かといって別にいい人ぶりたい訳でもなく、まずは相手が「普通に」望む答えを差出してあげたいと思っていたからかもしれない。
けれどそうした私の言動も、やはりどこからか己の抱え込んだ一種の「業」のようなものがポタリポタリと漏れていたのかと思うと、急にそんな自分が滑稽で可笑しくて笑えた。
阿呆はどこまで行っても阿呆なのだ。
その電話で私は自分を受け入れてもらったように感じたが、よくよく考えるとそれは自分で自分を受け入れたということだった。
自身を再構築している時期なのだと、近頃よく感じる。
柱の強度はどうか。
壁の色はどうか。
室内を風はどう抜けてゆくのか。
そして。
窓からはどんな景色を見たいのか。
決して梅津邸の「まことちゃんハウス」のような出来栄えにならなければ良いのだが、なったらなったで、まあそれも覚悟しておこう。