退勤後、組合の上部団体の会議に出席。私は決して労組の「闘士」ではなく、職場で「反体制」的でもなく、組合上部団体と政治信条も異にする。しかし、かつて指導教授からなぜか出身大学の労組の記念誌を貰ったことがあり、そこで指導教授は「組合がない状況を想像すると組合が存在することで得られている安心感がわかる。」いった趣旨の短文を書いていた。記念誌の処分に困って渡したのだとは思うが、大勢に日和りかねない私へのメッセージだったと勝手に理解し、研究活動については指導教授にあまり従順ではないが、組合活動にはこの指導教授の短文の趣旨を肝に銘じて臨んでいる。
とはいえその短文は指導教授が還暦を過ぎて書いたもので、現在の私の年齢の頃は労組の書記長として精励し、歴史学者として政治・社会状況に対しても積極的に発言していた。目立つ場所で「闘った」ことがほとんどない私がとるべきスタンスはまだ別のところにあるのかもしれない。
とはいえその短文は指導教授が還暦を過ぎて書いたもので、現在の私の年齢の頃は労組の書記長として精励し、歴史学者として政治・社会状況に対しても積極的に発言していた。目立つ場所で「闘った」ことがほとんどない私がとるべきスタンスはまだ別のところにあるのかもしれない。