ポスト西洋社会はどこに向かうのか 「多様な近代」への大転換
著:チャールズ・カプチャン 訳:小松志朗
勁草書房
グローバル・スタンダードと呼ばれたものは、実は西洋キリスト教文化圏のローカル価値観に過ぎない、ということを中世西洋史からもういちど振り返ってみて暴いた本。なかなか勉強になる。
グローバル・スタンダードというのは、本書によれば①自由民主主義②資本主義③世俗ナショナリズムということらしい。
この3つは分かちがたいと思われたのだが、中国の台頭により、そうでもないということが明らかになってきた。つまり中国は一党独裁主義なのだが、いまやまごうことなき資本主義である。ロシアも強権的な政治体制ではあるが資本主義をとりいれている。中近東の国々は政治と宗教が分かち難く結びついているのは周知のとおりだ。
もともと、近代西洋史の経験でいえば、中間層の台頭が既存の支配的な国家体制を揺るがすとされた。中国も、このまま一人当たりGRPが上昇していけば、いかなるプロセスになるかはさておき民主主義に移行すると言われた。「シフト」でもそう論じている。
ところが、現在の非西洋の成長の様子を観察すると、中間層の台頭が必ずしも革新になるとは限らず、むしろ体制側に取り入れられたり、宗教的に保守的になったりするらしい。
前者は中国のやロシアがそうであり、後者はトルコがそれにあたる。
つまり、西洋史が経験したこと、すなわちヨーロッパ史における宗教革命からウェストファリア条約によって形成された社会構造フレームは、グローバルスタンダードでもなんでもなく、単なるその場の条件がたまたま導き出した一解答でしかなかったのである。
そして周知のように、「グローバル・スタンダード」は制度疲労を起こしつつあり、EUは分裂しかかっているし、アメリカ合衆国は、モンロー主義に戻ろうとするトランプ候補はもちろん、ヒラリー・クリントン候補も、TPPの見直しを言い出すようになった
ひるがえって我が日本も、憲法改正に踏み出そうとしている。もちろん憲法9条が焦点である。改正賛成派の人もけっこういるとのことだが、この背景にアメリカが西太平洋から手を引こうとしているのだということまで気づいている人はどこまでいるのだろうか。アメリカは日本に、もうこれ以上自分たちをアテにしてくれるなと言っているのである。君たちだけで中国と対峙しなさいと言っているのである。
本書は、これからの国際社会はひとつのスタンダードは存在しない、多様な価値観社会が並行する時代になると予言する。
そんな中、アジアの中で「西洋型グローバルスタンダード」であった日本はどうなるであろうか。
既に自由民主党以外に国家を運営する政党が存在しず、経団連など経済界とも密接な日本は、「日本型一党独裁体制」というポスト西洋社会にいつの間にか繰り出していると言えなくもないのだ。